デッドロック_④
「最初に違和感を感じたのは、依頼の内容がただの人探しだったこと」
「『連絡がつかなくなった彼氏を探してくれ』。それが依頼だった」
「うちの依頼手続きは複雑だ。わざわざ手順を踏んで、わかりにくい立地の事務所に足を運ぶ。
彼氏が行方不明なのか着拒なのかもわからない段階で、そこまでする緊迫感を煽るような特性が、この依頼にはない」
確かにそうだ。うちの依頼人には、必然的に共通した特徴が生まれるはず。行き詰まり、藁にも縋る思いで依頼してくるという特徴が。
「それにこの事務所は設立して間もない。一刻も早く探し人に会いたいなら警察の方が信用できるし、スムーズに捜査が進むはず。けど依頼人はそうしなかった。それが一つ目の違和感」
碧波がポケットからスマホを出し、俺と龍馬の前に示した。
「二つ目の違和感は、大島のスマホの見せ方。
ツーショット写真と失踪後のラインの履歴を見せた時は、手に持ったまま画面が見えるように差し出した。
でも失踪直前と思われる時間のラインを見せる時だけは…」
机の上にスマホが置かれる。碧波は空いた両手でスラックスの生地を握りしめた。
「こうだった。そしてしばらくスマホを取らない。
緊張か何かわからないけど、手が震えるのを隠すかのように」
「それだけで確信したのか。少し強引だな」
眉をひそめた龍馬に、碧波が首を振る。
「まだあるよ。大島は自分が中村さんにたかり続けていたことに対して何とも思っていなかった。
なのに事件のことを警察に話さない理由は、『相手にされないと思った』。この矛盾も気になった。
それから、この入り組んだ住宅地に迷わず来れたこと。私たちが下見に来たときも家具の搬入に業者が来たときも、複雑な道にかなり悩まされた。初めて来る人が、こんな所にスムーズに来られるはずがない。
そして最後の違和感。今日の天気は大雨。しかもきのうから天気予報で伝えられてる。なのに大島の装備は折り畳み傘だけだった」
「…確かに、どれも不可解だね」
「一つずつ整理していこう。警察に相談した方が早くことが進みそうな案件を、わざわざ探偵に依頼する理由。
警察と探偵の違いは何?…あぁ、お金があるとか信頼度が厚いとか、そういうんじゃなく」
「各防犯カメラの映像を確認できる。この権限を持つのは警察だけだ」
コーヒーを傾け、龍馬が呟いた。
「そう。そんなに急いで人探しをするなら、探し人の足取りを防犯カメラの映像から調べられる警察に頼んだ方が手っ取り早い。なのに、大島はあえてそれを避けた。それは何故か」
「防犯カメラにまずいものが映っていることを恐れた。例えば…殺人の現場」
やっと推理に参加できた。バラバラだった違和感が歯車となり、頭の中で次々と連動しながら回り始める感覚。頷いた碧波から話を引き継ぎ、互いの脳内に浮かんだ推理を言語化していく。
「経験の浅い探偵に頼めば、探し人が見つかるまで時間がかかるのは予想がつく。防犯カメラの映像が消えるまでの、いわば時間稼ぎ」
「大島がここへ迷わず来れたことと、大雨とわかっていながら折り畳み傘しか持っていなかった理由は共通してる。
大島は車で来たんだよ。それも、誰かが運転する車で」
「自分で運転した可能性もあるだろう」
「いや、それはない。大島が事務所に来た時、碧波は『免許証とかお持ちですか』と聞いた。免許証を持ってる人間なら、例に免許証が挙げられればまずそれを出すだろ?でも大島は学生証を出した。よって大島は免許証を持っていない」
「ここに迷わず来れたのは事実だと思う。
『迷った』って言うことで、この付近…つまり現場付近に初めて来たことをアピールするならともかく、『迷わなかった』って嘘をつく必要性はない。
そもそも、そこが迷うような場所かなんて、実際に来ないとわからないからね。大島は初めてこの辺りを訪れた。でも、運転手はそうではなかった」
「運転手は、現場付近に行ったことがあった。だから迷わず来れた」
「この辺りへの行き方を知っている人物で、大島の知り合い。被害者の失踪について、事情を知っている可能性が高い。
でも大島が事件に関わっている可能性も十分にある。となると、現状からこの二人の関係性で考えられるのは?」
「共犯関係。殺しは大島、現場に被害者を運び入れたのは運転手。成人男性の死体を担いで空き家の二階に運び入れられる人物。…男だ」
「そうなるね。そして大島は、依頼人を装って被害者を探させることで、容疑から逃れようとした。…自分だけ、容疑を逃れようと」
「大島がうちに来ようとしたことを、おそらく運転手は知らない。依頼人がこの辺りへ来るのは、初めてでなくちゃいけないんだ。
事務所に来るなら、わざとでも道に迷わないと…スムーズに来たら、探偵に疑われる。
大島は、行き先を伏せて共犯者を足に使った。簡単に足にできるような、心理的にも物理的にも近しい関係だった」
「浮気相手…いや、新しい財布って表現が適切かな」
「だね。ただ…」
共犯者に隠してまで、探偵を雇う理由はなんだ?
自分だけが容疑を逃れようとした…本当に、それだけか?
「…動機が違う。これ以上ないような、それしか考えられないような動機があるはずだ。探偵を雇う理由が」
目を瞑り、思索に耽る。いくつかの違和感と、わかってきたこと。碧波の大まかな推理は合っているんだ。ただし、細かい部分の詰めがまだ甘い。
情報が取っ散らかっている。整理すればわかるはずなんだ。頭の歯車が、まだ軋んでいる…
「…大島には、被害者を探さなくてはならない理由があったはずなんだ。依頼を受ける時、碧波言ったよね。『まず浮かぶのが、愛想つかされて着拒』。俺たちはあの時、事件性を全く考えていなかった。ならそれで引き下がればいいだろ。俺たちは、誰のことも疑っていなかったんだから。
にも関わらず、大島は偽造したラインの履歴を見せてまで事件性をアピールした。自分がシロでいられる絶好のチャンスを潰してまで、大島は依頼をしようとした」
一つずつ。一つずつ、推理を組み合わせていけ。
地面や窓に打ちつける雨音が、思考の邪魔をする。碧波はもどかしいような表情で、マグカップの中に角砂糖を一つ放り込んだ。素早く沈んでいくそれを見つめながら、ゆっくりと呟く。
「この辺りは静かな住宅街。空き家に立ち入る人間なんて、まずいない。死体は数か月は発見されなかった可能性だってあった。
…動機について、詳しく考えよう。探偵に依頼してまで、一度隠した死体を探そうとした動機」
「警視殿の意見はどう?大島が被害者を探そうとした理由、どう考える?」
「正直な意見でいいのか」
「大歓迎だ」
向かいに座る龍馬にパスを出す。戸惑い顔の龍馬が、コーヒーを啜った。
「推理が散らかりすぎだな。まだまだ下手だ。この時間、必要か」
「ひどいな。正直すぎる」
「正直な意見を大歓迎したのは誰だよ」
マグカップを机に置くと、龍馬はソファーに座り直した。
「大島が事件に関わっていることも、共犯関係のことも、碧波ちゃんが推理したってことを大島は知ってるんだろ。なら、事情聴取で全部話すはずだ。
防犯カメラを見ることのできる警察を避けて、探偵を雇うことを選んだ…そこまでわかれば、俺としては十分だ。それ以上の推理をここでする必要性って、なんだ?」
「私たちは探偵だもん。せっかく来た初めての依頼人が、まともな推理もしないまま犯人だってわかっちゃいました…なんてオチ、納得できる?
いや、私たちには無理。耐えられない」
「契約だから、大島からの報酬はきっちり貰う。でも、俺たち何もしてないのに犯人から報酬だけ受け取るなんてのはプライドが許さないんだよ。
意地でも推理してやるんだ。これ以上大島に遊ばれてちゃ堪らない」
「開業して数日の探偵が持つプライドってなんだよ…」
「とにかく。事情聴取が終わるまでに謎を解く。
小園くんだっけ?報告の電話が来るだろ。その時に答え合わせをするんだ」
龍馬が深い溜め息をついた。しかし面白がるように口角を上げている。
乗り気でないように見せながら、この手の話が好きなのは彼も一緒なのだ。
「じゃあ早く聞かせてくれ。答え合わせが始まるまでに」