不可解過多の連続殺人_⑧
「北川を、殺そうとして…」
「北川と宮沢の関係は良好じゃなかった。動機の面から言っても、北川に殺意を抱く人物で最も有力なのは宮沢。でも彼女が死体になったことで、私たちは宮沢を疑いもしなかった」
「宮沢はきのうの二十時から二十時三十分に北川宅を訪れた。少々もみ合ったものの、なんとか北川を殺害。しかし即死には至らなかった。北川は刺された瞬間に自分の腹から包丁を抜き、宮沢の腹に突き刺したところで絶命した」
「宮沢はその後、北川宅を去って自宅へ帰る。北川の死体は明らかに他殺体だから、鍵を閉めて密室を作る必要はない。むしろそのままの方が、容疑者は絞りにくくなる。
ただ腹部を刺された宮沢は、その場で死ななかったとしても、かなりのダメージを負っている。スーパー『フリマ』の前を通ったのが二十一時三十分になったのもそのせいだ。本来なら徒歩三十分の道でも、重傷を負った体では一時間から一時間半かかった。
これは肩を怪我した大紫兄が北川宅から『フリマ』まで四十分かけて歩く姿から考えついた」
「お前の怪我も無駄じゃなかったってことか。やったなぁ」
「だから肩を触ろうとするなッ。バイトの高野くんが見た宮沢の姿が不自然じゃなかったのは、今が夏で、しかもそのときが夜だったからだ。挨拶されて顔を引き攣らせたのは、傷が痛むから。あるいは、自分が負傷していることに気付かれるかも知れない緊張感からだ。今の季節じゃ汗だくなのは不思議じゃないが、冬場の事件だったとしても宮沢は汗だくだったはすだ。傷を負った体で歩いているんだから、いやな汗もかいていただろう」
「そして、夜だったことで宮沢は最大の難を逃れた。二つの証拠品を、見られずにすんだんだ」
「二つ?」
「一つは、腹に突き刺さった包丁の柄。明るい時間帯なら一目で気付かれたはずだけど、街灯のない夜の路地では目につかない。服装が血の目立たない黒いTシャツだったこともポイントだね」
「もう一つはこれだ」
大紫兄がペットボトルを掲げる。さっき見つけたお宝だ。
「中身は血のついたビニール手袋」
「お前、それ…どこで?」
「『フリマ』の前のごみ箱に捨ててあった。宮沢が捨てたのはこれだろう。宮沢の指紋と北川の血液が検出されるはずだ。宮沢が北川を襲った証拠になる。
暗闇のおかげで、中身をいちいち気にされることもない。宮沢は怪しまれることなくこれを処分することができた。しかも目撃者がいるおかげで、宮沢の行動はただペットボトルを捨てただけだと証言して貰える」
「幸運は重なったけど、肝心の宮沢の命は長くなかった。刺された瞬間は大丈夫でも、歩くうちに傷が深くなったり広がったりしたのは想像がつく。傷の深さを自覚した宮沢は、あることを思いついた」
「それが内出血密室だった。玄関に鍵を掛けなかったから密室とは言えないが、そうすることで、北川殺しの容疑が自分以外の誰かに降りかかることを期待した。
…鍵の掛かっていない部屋に、腹を包丁で刺された死体がある。その状況を見た警察は、『北川を殺した犯人が、宮沢も手にかけて逃げた』と思うんじゃないか?…と」
実際、私たちはそれに引っ掛かった。現場の状況を冷静に整理すれば、すぐにわかったことだったかも知れない。脱衣所で殺され、浴室に倒れ込んだかのように見えた死体は、ただ服を着た人間が浴室に入って死んでいただけだったのだ。
「なら、なぜ浴室を現場に選んだ?リビングにしておけば、少しは違和感のない現場になっただろうに。それに、自分の死を悟った人間が、そこまでして容疑を逃れようとするとは思えない」
「想像になるが、宮沢は自分が死ぬ可能性も、死なない可能性も、どちらも考えていたんだ。刺された場所からして助かるはずもないが、自分が負傷した状態で北川宅から戻って来られたことで『もしかしたら大丈夫かも』という考えが生まれた。あるいは、殺人を犯した興奮状態の中で、自分の怪我の程度がわかっていなかったのかも知れない。
本当にまずい状況でこそ、根拠もなしに『まだ大丈夫』と思ってしまうのはよくある心理だ。凶器の指紋を先に拭き取っておかなかったことからも、宮沢の判断力が不安定だったことがうかがえる。犯人の行方はさておき、指紋さえ拭き取れていれば、この事件はただの連続殺人事件だったんだからな」
「念のため…って言い方もおかしいけど、宮沢は片方の靴下を脱いで脱衣所に落としておいた。もし自分が助からなかったとしても、入浴前だったことを最大限演出するために。
では、なぜ浴室なのか?もし傷の場所が良くて助かったら、することは決まってる。抜いた包丁に付着した血液と指紋を、綺麗に洗い流す。そして、ひっそりと傷を治しながら過ごしていく。
自分の出血も含めて、証拠を全て洗い流せる浴室の方がリビングよりも都合がよかった」
一人の捜査官は、あんぐりと口を開けたまま。またある一人は、目を見開いて動かない。私も同じ顔をしたい。呆れた被害者だ。
「宮沢は服を着たまま浴室に入ると、Tシャツの裾なんかで覆った手で、指紋をつけないよう用心しながら腹に刺さった包丁を引き抜いた。栓の役割をしていた包丁が抜けたことによって、傷口から一気に出血する。結果、浴室に倒れ込む格好で、宮沢は絶命した。これが不可解な連続殺人の真相だ」
おしまい、と言うように大紫兄が龍馬くんにペットボトルを渡す。遺留品とも証拠品とも言えるそれを照明に透かし、龍馬くんが呟いた。
「…自分が助からないと知った時、宮沢は後悔したんだろうか」
「北川を殺したことで、自分の命も失われることを、か」
「それでも、抱いた殺意は叶えられた」
私の言葉に、大紫兄がどんな顔をしているのかは知っている。今は敢えて見ないだけだ。
「犯人の心情は、想像しないことにしてる。互いに親しい相手じゃないと、動機なんて深い部分は読み取れない。…宮沢自身にしか、それはわからない」
うだるような暑さが、外から部屋の中にまで広がっている。
その空気の中にうすら寒いものを感じたのは、きっと私だけだろう。




