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「少年」

少年を見つけた。

顔が柔らかそうで、一つも傷が無い純粋そうな少年だ。 

少年は母親とキャッチボールをしていた。 

とても楽しそうに笑っている。 

少年が泣き出した。

母親がボールを少年の頭に当ててしまったようだ。

私は少年の横に行き、頭を撫でてやった。 

母親も来て、同じように少年の頭を撫でた。

しばらくすると少年は泣き止み、次にフリスビーを始めた。 


青年を見ていた。 

険しい顔で、泥だらけになりながら前を見ていた。

青年は今、大事な局面らしい。

私は成長を嬉しく思いながらも、小さな少年を懐かしく思い出した。 

しばらくすると、青年は膝をつき、泣き出した。

私は少年の背中をさすろうとした。

すると、青年と仲間たちが肩を組み、皆で泣きながら青年を励ました。

私は手を止めて、青年たちを見ていた。

そうか、青年には、たくさんの仲間がいるのだ。

もう私がいなくとも、青年は何度でも立ち上がることができるだろう。

私がそれを悟ったとき、空が光に包まれ、私は空に浮かんでいった。

思えば私は青年に何を残せただろうか。

グローブぐらい買ってやれば良かったと私は今更ながら思った。 

青年は私のことを…

いや、そんなことは別に良いのだ。

私はただ、青年たちが大人になったとき、今と同じくらいの幸せを掴んで欲しいと思いながら、青年たちを見下ろしていた。

読んでいただき、ありがとうございます。

よければアドバイス、感想、文句など、おねがいします。 

個人的には「青年は私のことを…」の部分は蛇足かな〜と思いましたが結局入れました。このことについての意見もドシドシ欲しいです。


この下にはこの詩の解説を書いておきます。これを読んで、「だったらここはこういう表現の方が適切」などの意見があればコメントお願いします。


【解説】 ※この作品を読んでから見てください。


まず、この少年(青年)を見ているのは少年の死んでしまった父親です。なぜ死んでしまったかは書きませんでしたが、病気などと思ってもらっていいです。  


少年と青年は同一人物で、少年は青年、青年たちへと成長しています。

また、父親の「大人になったとき…」という発言から青年たちの後は大人になるということも分かります。


少年がキャッチボールをしていたり、父親がグローブでも買ってあげれば良かったなどと言っていること、大事な局面だということから、青年は野球の試合中と分かります。


険しい顔で泥だらけという言葉から、相手と互角だったり、不利な状況だったりを感じることもできます。

その後、青年が膝をつき、泣いたのは試合に負けたからです。かなり悔しかったんでしょう。これには青春を感じます。


少年と青年には対比になっている部分がいくつかあります。 

少年⇔青年 

見つけた⇔見ていた 

親とキャッチボール⇔相手と試合 

親が慰める⇔仲間が慰める 

キャッチボールから逃げた(嫌なことから逃げた)

⇔試合から逃げない(苦しくても逃げない)

この対比のほとんどは少年の成長を表しています。


父親は最後、青年が何もしてやれなかった自分を、恨んでいなかったり、愛していることなどを願おうとしたが、そんなことより、青年に幸せになってほしいと願った。 


空が光に包まれたり、父親が浮かんでいったことから、青年たち(少年の成長)を見て、父親の未練がなくなり、天国のような場所に行ったと考えられます。 


解説は以上です。

最後まで読んで頂きありがとうございます。


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