ミウシ君の成長
ミウシ君、成長しました。
主人公は……まるで成長していない。
阿部倉梯麻呂様の印象といえば、壮年のやり手官僚であり、左大臣の職に就いてからは顔色が優れない様子が目に浮かびます。
会うたびに疲労回復の光の玉をこっそり当てていました。
娘を現帝の妃として嫁がせ、いずれ天皇となる中大兄皇子にも娘が嫁いでいるとのことなので、世が世ならば平安時代の藤原氏並みの権勢を誇っても良いお立場の方です。
私の目から見ても、いつも国の未来の行く末を案じていて、お貴族様というよりこの時代にはそぐわない政治家なのだなと思います。
偉大なお父様を尊敬して止まない御主人クン。
まだ数えで十四歳、満年齢ならば十二、三歳なのに阿部(倉梯)氏を背負わなければならないと思うと、心配せずにはいられません。
◇◇◇◇◇
倉梯様の訃報を聞いてからひと月ほどして、御主人クンが讃岐へとやって来ました。
衣通姫も萬田先生の出産に立ち会いたいと讃岐にやってきているので、久しぶりに飛鳥戦隊かぐレンジャーが揃いました。
しかし今は、そうゆうシチュエーションを楽しむ余裕はありません。
阿部倉梯氏の離宮に御主人クンが戻り喪に服していると聞いたので、衣通姫と共にお見舞いへと赴きました。
御主人クンは一目見てかなり参っている様子なのが分かります。
「久しいな、衣通殿、かぐや殿。心配を掛けて済まぬ。」
「いえ、こちらこそ押しかける様な形で来てしまい申し訳ございません。御主人様がお気を落とされているのではないかと思い、参りました次第です」
「いや、押しかけたなんて私は全く思ってない。二人を見るとこの離宮が出来た当時を思い出されるよ。あの時はまだお父上様が健在であったなんて、まるで夢であったのかと思ってしまうよ……」
寂しそうに語る御主人クンは大人びた様子です。
今年元服したと聞いていますが、着ている衣も髪型も変わりました。
現代であればまだ中学生くらいなのに、子供っぽいオレ様だった頃の雰囲気は綺麗さっぱり消えています。
「御主人様は今後、阿部宗家の氏上として跡を継がれるのですか?」
「いや、流石に今の私は若輩者だ。傍系ではあるが阿部引田比羅夫殿に、父が建立した氏寺の氏上を引き受けて頂くことになりそうだ」
阿部比羅夫……知る人ぞ知る武人で、小説や時代劇などでもしばしば題材になる有名人です。
「では、御主人様はこの先どのように?」
「幸い今年の正月、元服した時に冠位を賜わっている。京に残ればそれなりの司にも就けるだろう。だが鉱石探しはお父上様から私に賜わった仕事だ。私はこの仕事をやり遂げるつもりでいる」
「それでは筑紫国へ再び赴かれるご予定ですか?」
「いや。調べた限り、筑紫の国一体で石綿の鉱石らしきものは見当たらぬようだ。なので、次は越国へ行くつもりでいる。先に申した阿部引田比羅夫殿が蝦夷国へ進行する足掛かりとして越国の最奥へと参られるようなので、それに随行させて頂けるよう働きかけているところだ」
「重ね重ね申し訳ございません。私が迂闊な事を申してしまったばかりに御主人様にとんでもないご負担をおかけしてしまって……」
「気にしなくともよい。むしろ感謝しているくらいだ」
「そうなのですか?」
なんか御主人クン、器が大きくなっているみたい。
もしかして世に言う『キレイなジャ〇アン』になったの?
泉に落ちて、泉の女神さまに取り換えられたとか?
「残念ながら筑紫国では手掛かりのないまま終わった。しかし鉱石探しを通じて諸国との繋がりが出来たのだ。この先、全国との繋がりが出来るのならば、それも悪くない。
それに大和国で当たり前だと思っていたことが全然違っていたりする。自分の中の常識というものが如何に矮小なものか思い知らされたよ。
そのことをお父上に書に認めて送ると、これまでになくお褒めになってくれたのだ」
「そうゆうものなのですか?」
衣通姫が不思議そうに尋ねます。
私は現代に居た時に全国各地どころか外国すら行っていますので、御主人クンが何を言っているのか分かるような気がします。
しかし、生まれてから一度も大和国を出たことがない衣通姫にはイメージできないみたいです。
「ああ、まず言葉が違うのだ。最初の頃は何を言っているのかすら、全く分からなかった。それに生えている木や草も違うのだ。だから食べる物も違っていて、見たこともない物が膳に出されることも珍しくない。
筑紫の国は百済に近いせいか、生活の様式が向こうの文化に感化されている様子があり、身の回りの物や着る服が違っていたのだ。これまで私は、どこの土地の者も大和国の者と同じ物を食べ、同じ様な生活を送り、同じ様に物事を考えていると思っていた。しかし、それが間違いだということに気付けたのだよ」
「それはとても貴重な体験をなさったのですね」
「ああ、越国でもまた新しい発見があるだろう。だからむしろ楽しみにしている」
かわいい子には旅をさせよとはよく言ったものですね。御主人クンが一回り大きくなって帰ってきました。
「私もよその土地に行ける機会がありましたら行ってみたいですわ」
衣通姫は御主人クンの話にすっかり魅入られているみたいです。
ニクいね、この色男めっ!
衣通ちゃん、実はチョロインさん?
「そうだな。私もぜひ勧めたいと思う。
それに今の京は良からぬ事が多いので、離れた方が安全かも知れない」
急に話がトーンダウンしました。
「どうしてですか?」
「ふむ……。あまり公には出来ぬのだが、実は右大臣の蘇我倉山田殿が同じ蘇我の者に討たれたのだ」
「!?」
「謀反ですか?」
「いや、謀反を疑われたのは蘇我倉山田殿だ」
「一体どうゆう事なのでしょうか?」
「私にも分からぬ。しかし二年前の飛鳥京で我々が遭遇した襲撃事件、あれも内部分裂の一つだったのかも……、つまりは今の政は私が思っている以上に脆弱なのかも知れぬ。私が京に残らぬ決心をしたのもそのような背景があるのだ」
「そのような事が……」
「ああ、蘇我倉山田殿は帝の信任も厚かったと聞く。
しかもこの短い間に右大臣も左大臣もいなくなったのだ。私にはこれが偶然とは思えぬ。御父上様は病に倒れられなくなったと聞いているが、それすらも怪しく思えてしまう」
「御主人様……」
「いや……、済まぬ。今の言葉は聞かなかったことにしてくれ!」
「いいえ、お気になさらず。私どもは御主人殿を裏切る真似は致しません。それに今は倉梯様の喪に服しているのです。話し相手が必要ならば私達でよければいくらでも」
「そうです、御主人様。私もかぐや様ほど頼りにはなりませんが、お話を聞くことは出来ます」
「ああ、有り難いな。話をして少し頭がすっきりしたよ。
ところで衣通殿はずっとこちらに居られるのかな?」
「いえ、私はこちらで身内の者が出産するという事で、その付き添いに参りました」
「わざわざこちらで出産するのか?」
「そうです。ここで出産すると子供が無事に生まれるという話が広まっているのですよ。先々月も与志古様が無事出産されました」
「そうなのか?」
「はい、私も如何ばかりかお手伝いしました。先月中臣様もお忙しい中、お越しになられて生まれた子供に会いに来ました。その時ですね。内麻呂様の訃報が飛び込んできたのは。中臣様が慌てて出立されました。」
「そう……なのか? 中臣様はここでお父上の訃報を受けていたのか?」
「はい、中臣様とは午前にお会いしてお話をしましたが、その後使いの者が来てそのまま……」
「そうだったのか……。
いや、済まぬ。どうでも良いことだった。気にしないでくれ。ところでその身内の者の出産はいつ頃なのか?」
「おそらくは今日明日にでも始まりそうです」
「何と! それは大変な事ではないか。そんな大変な時に申し訳なかったな」
「いえ、御主人様こそ大変でしたから。
それに大変なのは妊婦さんであり、私では御座いませんよ」
「それもそうだな。気が向いたらまた話相手に来てくれ」
そう言って私達は阿部倉梯氏の宮を後にしました。
それにしましても、御主人クンの話から察するに今の情勢というのは予想以上に混沌としているみたいです。
この時代、たくさんの要人が不遇の死を遂げています。
戦争があり、外圧があり、力による政権交代があり、まるで幕末の様な時代でした。
同時に新しい価値観、国家感の創出の時代でもありました。