中臣鎌足様のご帰還
ゴタゴタの予感……。
ひとまず与志古様は無事出産され、元気な女の子を産みました。
母子共に無事です。
しかし! オレたちの闘いはまだまだ続く!
……のです。
出産後の後処理の後、与志古様を暖かい部屋にお連れして先ずは休ませました。
出産は20時間近く掛かったと思います。
その間、口に出来たのは僅かな水だけでしたので胃に負担の少ない食事を私達で用意しました。
赤ちゃんに乳をあげるのは中臣氏から派遣された乳母にお任せします。
私達の用意した産着を着せて、与志古様の傍でお乳をあげます。
赤ちゃんに母乳をあげる事は母体のホルモンに影響を与えて身体の回復に役立つはずなので、体力が回復しましたら少しの間だけでも与志古様にも母乳を与えてくださる様にお願いするつもりです。
しかし、高貴なお方の妃は子供を産む事が第一の使命で、乳児死亡率の高いこの時代では一人産んでお終い、という訳にには参りません。
授乳とは一種の成分輸血をしている様な状態ですので、授乳期間中は妊娠する事が難しくなります。
次の出産に備えて身体を整えなければならない妃様は、授乳を乳母に任せなければならない訳です。
乳母さんという事はお乳が出ます。
お乳が出ると言う事は乳母さんにも子供がいる訳ですね。
乳母さんと一緒にいる時は、どちらかの赤ちゃんを私が抱っこしています。
それが与志古様の希望ですので。
高貴な家なら住環境も恵まれていますし栄養失調になることも無いので、乳児の生存率は高いはずですが油断は出来ません。
この時代の庶民に生まれた子供が無事に二歳、つまり次の正月を迎えるのは通常四、五人に一人くらいですが、ウチの領民はその三倍くらいに生存率が高いのです。
その理由の一つが私が光の玉で除菌しているからです。
赤ん坊を抱っこしている時は不可視の光の玉で周りのバイ菌を除菌しています。
命に貴賎はありませんが、この子を取り上げたのが私なのだから想いも一入です。
ただ、真人クンは少しヤキモチを妬いているみたいです。
兄妹が生まれた上の子あるあるですね。
◇◇◇◇◇
三月に入りしばらく経った頃、中臣様が始めての我が子との対面のためいらっしゃいました。
ちょうど赤ちゃんをあやしている時に現れて、中臣様に礼を言われてしまいました。
「かぐやよ、与志古の出産ではいたく世話になった。礼を言う。
車持の家からはお小言を貰ったが、母子共に健勝で何よりだ」
「勿体無い言葉に御座います。私はほんの少しだけその場に居合わせて、お産の苦痛に苦しむ与志古様に寄り添っただけに御座います。
本当に大変でしたのは与志古様で、私の致した事は些細な事に御座いますので、まずは与志古様への慰労をご優先くださいまし」
「そうだな。それが私の子だな?」
「はい。元気な女の子に御座います」
「おぉぉぉ、これが……」
「中臣様、眺めるだけではなくお子様を抱き抱え上げられては如何でしょう?」
「いや、私はこの様な弱々しい生き物を扱った事がないのだ。潰してしまいそうだ」
「大丈夫で御座います。
胸の前で……こんな風に両手で輪っかを作って下さい」
「こうか?」
「ではそっとお乗せします。頭にお気をつけ下さい」
「なんと……何て軽いのだ。病気ではないのか?」
「すこぶる健康で御座います。じきに私くらいに大きくなります」
「其方は十であろう」
「では与志古様のお見舞いに参られますか?」
「そうだな。ではかぐやよ、この子を頼む」
「折角ですからこのまま参られては如何でしょう?
それが与志古様への一番の慰労となるかと思います」
「そう……なのか?」
「出産とは女子にとって命懸けの闘いに御座います。命を賭して産んだ子を中臣様が大切になさっているお姿をお示しになされば、与志古様は報われたお気持ちになられるかと愚行します」
「それで喜ぶのなら吝かではないな」
「それでは参りましょう」
私は赤ちゃんをおっかなびっくり抱き抱えている中臣様を与志古様がお休みになっている部屋へと案内しました。
「与志古様、宜しいでしょうか?」
「かぐやさんですか? どうぞ中へ入りなさい」
「失礼致します」
ガラリと戸を開け、中臣様を中へと案内しました。
「中臣様がお見舞いに参られております」
「えっ!?」
奇しくもドッキリカメラみたいになってしまいました。
でも嬉しいサプライズのはずなので、ヨシとしましょう。
「それでは私はこれで」
「え、ちょっ……」
私は混乱する与志古様をそのままに、私は部屋を後にしました。
その後、与志古様からお礼を言われましたので、出産の時の与志古様の絶叫していた鬱憤が少しは晴れたのではないでしょうか?
◇◇◇◇◇
翌日、私は中臣氏の宮へと行き、赤ちゃんの様子を見に行きました。
そこにはすやすやと眠る赤ちゃんの横に座っている中臣様と与志古様がいらっしゃいました。
「かぐやよ。改めて礼を言おう。与志古の話を聞けば聞くほど、其方がこの子のために尽くしてくれたようだ。正に命の恩人と言っていい」
「そんな恐れ多い事に御座います。
私は専門の知識を持たぬ、ほんの少し出産の立ち会いの回数が多いだけの子供です。やった事と言えば、痛みに苦しむ与志古様を励ましただけで御座います」
「でもかぐやさん。私が真人を産んだ時は力を入れて我慢しろとしか言わず、丸一日ひたすらに苦しんだ覚えしかありません。手を取り、少しでも痛みが和らぐ様心を尽くしてくれた事がどんなに心強かった事か。
それに……この子は逆子だったのではないのですか?」
「どうしてそれを?」
「共に居合わせた者が頭から出たのではなかった、と言っておりました。だとしたらこの子が生きているだけでなく、五体満足である事が信じられないくらいなのです。後宮でも逆子が無事だった例は聞いた事がありません」
黙っているつもりでしたが、お付きの人はしっかりと見ていた様です。
中臣様は鋭い方ですから嘘は絶対にバレます。
「与志古様を不安にさせてはいけないと思い、黙っておりましたがその通りに御座います。だからと言って、赤子の命を諦める理由にはなりません。無事であったのは、難産にもか関わらず与志古様がこの子を想う強い気持ちが天に通じたのだと思います」
「本当に強情な娘だな、かぐやよ。そこまで申すのならそうなのであろう。
だが、感謝していることだけは忘れないでくれよ」
中臣様は半ば根負けしたかの様に言いました。
「身に余る光栄に御座います」
うん、押し切った!
私もこの世界に来てもうすぐ6年。
私も学びました。
能力を使えば使う程、墓穴を掘っているという事に。
私は目立たず地味に、趣味だけを糧に生きていくオンナですから。
【天の声】その台詞、聞き飽きた。
しかしその日の午後、中臣様の元にお使いの人がやってきて、中臣様は急いて発ってしまいました。
どうしたのだろう?と思っていると、与志古様が教えてくれました。
「阿部倉梯麻呂様が薨御(※)されたそうです」
(※薨御は大臣などが亡くなる時に使う言葉、天皇がお亡くなりになるのが崩御)
え……御主人クンのお父様、左大臣が亡くなったの!?
何故? どうして?
今、御主人クンは九州じゃないの?
御主人クン、どうするの?
私は亡くなられた倉梯様よりも遺された御主人クンの事を心配している事に、自分自身気付いていませんでした。
薨御は大臣などが亡くなる時に使う言葉で、天皇がお亡くなりになる時は崩御ですね。