突然の皇子様の来訪・・・(3)
火事には十分お気をつけ下さい。
またまた皇子様からの突然の呼び出しです。
皇子は皇子でも、実質的に国を動かしている伝説級皇子様、中大兄皇子です。
一昨年お目見えしたときは、少しは人の話を聞き入れる素振りもありましたが、今の皇子は完全なオレ様みたいです。
そのうち家臣を集めて独唱会でもやるのでしょうか?
◇◇◇◇◇
「かぐやよ、面を上げなさい」
ずっと伏している私に中臣様が声を掛けました。私は皇子の前で失礼がないよう、一呼吸置いた後、ゆっくりと顔を上げました。
御簾の向こうにうっすらと見える皇子は片膝を立てて、如何にもオレ様ポーズです。
そのオレ様が、オレ様ポーズのまま、オレ様な質問をぶちかましてきました。
「かぐやよ。鎌子の話では其方は歳に似合わず知恵が回ると聞いた。
一つ知恵を貸せ」
「何に御座いましょう?」
「火災を無くすにはどうしたらよい」
は? ……火災?
「火災……ですか。
恐れながら。火災を完全に無くすというのは人の手に余るかと存じます」
「では其方は火災に逢えば死ぬしかないと申すのか?」
「考えられうる手段を用いて被害を最小限にすることは可能ですが、完全に無くすことは難しいと存じます」
「なんだ、使えぬな。其の方は」
「申し訳ございません。」
無茶言わないで……と言いたいですが、オレ様に逆らってひっ捕らえられるのは勘弁願いたいです。
使えない少女ですので、お捨て置き下さい……なんて心の中で毒づいていると口からぽろっと出そうなので、心の声を封印します。
「かぐやよ。被害を最小限にすると言ったが、どうするつもりだ?」
今度は中臣様から質問です。
「優先すべきは人の命と考え、燃え始めると消すのが難しい物、例えば炭や油などは離れた場所に隔離します。
火災は初動が重要ですので、例えば至る所に水桶を常備するなどしてすぐに消火する体制を整えるのが肝要かと存じます。また建物そのものの構造を必ず二カ所以上逃げ道のあるよう設計し、火に閉じ込められる事が無きよう備えるのも一つの手段かと存じます。
火災の被害は炎と思われがちですが、実は煙に巻かれるのが最も怖く、建物の構造を煙を逃がしやすい構造にするなどの工夫が有効かと存じます。
そして何よりも一番大切に御座いますのは人です。いざという時、自分が何をすれば良いのか分からなくなるのだそうです。例えば年に一度、日を決めて特定の場所に火災が発生した事を想定した訓練を行うことで、被害を減らし、日々の生活でも失火に対する意識の向上に役に立つだろうかと愚考致します」
避難訓練や防災対策は総務のお仕事です。
散々資料に目を通していますので、立て板に水ではありませんが、それらしいことはスラスラと言えます。
「そこまで分かっていながら、どうして火災を無くせぬのだ」
オレ様な質問が容赦なくいたいけな少女に浴びせかけられます。中身はアラサーですが……。
【天の声】此方にきて3年以上経ったが?
「人は燃える物に囲まれて日々過ごしております。書も木簡も衣服も屋敷も、人自身もです。これらを全て燃えない物に変えるのは不可能です。
また火災の原因は様々です。炊き出しの失火、暖の炭火、他所からの延焼、雷、そして考えたくは御座いませんが他人の悪意によるもの。原因が様々なれば、対策は難しくなります」
「ならば話が早い。放火に対してだ」
そうゆう事? 戦国武将みたいに築城でもするの?
「なれば……屋根は瓦屋根にすべきでしょう。外壁は土に藁、石灰など練り込んだ土塀にします。
敷地内に水を確保して消化の際の水源とします。物見台を設置して、いち早く火元を見つけられる体制を整えます。貴重な品は、土壁だけで囲まれた蔵を建てて収納するのが良いかと」
「なるほど、多少は知恵が回る様だな。だが、肝心の人はどうする? 倉に籠るのか?」
「生命は火に弱いので如何ともしがたく存じます。例え鉄の覆いに囲まれても中で蒸し焼きになります」
「高向の話によれば、唐には火鼠の衣なるものがあるそうだ。それを手に入れれば良いと言っておったが其方はどう考える」
!!! こんなところで!?
「恐れながら。私には火鼠の衣が実在するかすら分からず、お答えに窮します」
「やはり子供だな。国博士の知見には及ばぬか。
もうよい、下がれ」
「お耳汚しの程、大変失礼致しました」
私は深々とお辞儀をし、その場を下がりました。
はー、どっと疲れました。
それでは屋敷へ戻ろうかとしたのですが、同行していた物部様から「少し待っていて貰えるかな?」と一室に通されて、そのまま待機させられました。
「お願い、おうちに返して!」と言ったら帰して貰えるかな?
でもそんな雰囲気では無さそうなので、素直に従いました。
でも悪い予感しかしません。と言うかいい予感がする余地が全くありません。
問答無用でバッサリと斬られるくらいなら光の玉を使って抵抗しようか?
遺されたお爺さんお婆さんのために素直に受け入れるべきか?
心の何処かでたぶん大丈夫だろうと思いつつ、万が一の事態に心の備えをしながら時間を潰しました。
しばらくして、物部様がいらして呼び出されました。
「お嬢ちゃん。中臣様が話をしたいそうだから、来てくれるね?」
「承りました」
(意訳:私はNOと言える日本人になりたい)
物部様に連れられ、中臣様が控える部屋へと通されました。
そこには少しお疲れの中臣様が居ました。
「鎌足様、かぐやをお連れしました」
「早かったな」
「おそらくこうなるだろうと、かぐや殿には宮の中で待機して貰いました」
出た! 『こんなこともあろうかと』。
有能な人しか言えない台詞です。
「お呼びと伺い参りました。何か粗相が御座いましたでしょうか?」
「いや、子供の発言で粗相も何もないだろう。申している内容に可愛げがないのは頂けなかったがな。先程の話で幾つか確認したい事があっただけだ」
すみませんね。会社員モードが入ってしまったので。
「何なりとお尋ねください。思いつくままに申し上げてしまいましたので、内容の拙さはご容赦下さい」
「本当に可愛げがないな。
其方は壁を土壁にすると申したが、どの様に作るのか存じておるのか?」
「申し訳御座いません。私は存じておりません。しかし白土師という職能を持つ者が壁を綺麗な白色に塗り上げる事ができると、この宮の建設の時に伺いました。本来はその者を手配したかったのですが、残念ながら伝手がなく叶いませんでした」
「そうか。ならばその者を探すとしよう。
ならばもう一つ。其方は火鼠の衣とやらが実在すると思うか?」
「恐れながら。火鼠なる生物を関連づける物が一つもない現状では実在を唱えるのは難しいかと。
虎ならば少なしとはいえ毛皮が珍重されております。
象ならばその牙を用いた印が存在します。
しかし、火鼠にはそれが御座いません。
然るに、存在しないか、あったとしても希少な品物だと思われます。
もし私がしつこい求婚を断る口実にするなら、『火鼠の衣が欲しい。さすれば夫婦となります』と申しますでしょう」
「そう言うか。残念な其方にそこまで思う男が現れると良いな。
まあよい。では聞き方を変えよう。燃えない衣は存在するのか?」
中臣様の思う通りに話が進んでいくような感じがします。
何だかんだと、中臣様は聞き上手です。有能な上司である証ですね。
「難しいですが、繊維質の鉱石から採れる石綿というものがあり、それを使って編んだ布は燃えず、熱も通し難いと聞きます。しかしその石の繊維は吸い込むと肺を痛め、健康を害するとも聞きますので、取り扱いに注意が必要に御座います」
古い本社の社屋を解体する際、石綿が建材に含まれているからと、行政上の手続きが面倒くさかった思い出が甦ります。本当に大変でした。
「その鉱石の在処は知っておるのか?」
「申し訳御座いません。私の知見には御座いません。全国の国造に問い合わせるのが宜しいかと。もしくは石綿ならば唐で入手出来るやも知れません」
確か石綿の歴史って結構古かったはず。手続きの時に見た資料に書いてあったと思います。あと、竹取物語に出てくる火鼠の衣は実は石綿だったであろうとも書いてありました。
「成る程な。そこまで知っておきながら、其方はどうして先ほど言わなかったのだ?」
「ご質問には出来うる限りのお答えを致したつもりでおります。しかしながらご質問の意図を理解し、それを先読みして回答を致しますのには判断する材料が御座いませんでしたので、控えておりました」
「まあ、そうか。ならば質問の意図を言っておこう。
実はな……、皇子の宮が火災になり焼け落ちた。原因は不明だが、おそらく人為的なものだろうと思われる。故に対策をしたいのだ」
!!!!
私はまたとんでもない面倒事に巻き込まれたのだと、ようやくこの時理解しました。
(つづきます)
記録に拠りますと実際に中大兄皇子の宮で原因不明の火災があった様です。
飛鳥板蓋宮と呼ばれる皇極天皇(645年に退位した女帝)の皇居は、屋根に板を葺いていた事からその名がついているくらいで、当時の屋根は檜皮、草、茅、藁のためとても燃え易く、火災が頻発しておりました。