【幕間】衣通の回顧・・・(1)
ふくらはぎに鍼を打ってきました。
カチコチに固まった筋肉に電気を流しました。
とっっっっっっっても痛いです。( ; ; )
『宴、初日』の部分の衣通姫サイドストーリーです。
私は衣通郎女、忌部首子麻呂の娘です。
以前の私は、私の引っ込み思案なところが嫌いでした。そんな私を変えてくれた方がかぐや様。私にとって憧れの人、そしてとても大切なお友達です。
◇◇◇◇◇
それは昨年の正月三日の事でした。
もうすぐ就寝の時間という時に、気を失なわれたお兄様達が屋敷へと運ばれて来ました。
屋敷は騒然となり、皆慌てふためいています。
何事かと思い、お付きの方に何があったのか聞いてみました。
「天女様が降臨なされたのです。私達は天女様の勘気を受けてしまい、罰を受けたのです。しかし慈悲深い天女様は我々を許されて事なきを得ました。佐賀斯様は呪いを解かれご無事ですが、天罰を受けた時に気を失われただけです」
とんでもない答えが返ってきました。
天女様?
不遜にも、私は一瞬だけ天女様を見てみたいと思いました。
しかし次の瞬間、天女様の勘気に触れて気を失われたお兄様を見て、それは畏れ多い事だと思い直しました。
そして天女様には決して近づいてはならないのだと心に刻んだのでした。
しかしその十日後、それは心に刻んだだけでは叶わぬ願いであると知りました。
「衣通よ、明日からの讃岐行きへ同行なさい。かぐや様の名付けを祝う宴に参加して、我々忌部一同がかぐや様との友誼を深めるのだ」
その瞬間の衝撃はどの様な言葉でも足りないくらい大きなものでした。
あの日、気を失って血の気が引いた顔をされて倒れられたお兄様の姿が想い起こされます。
神様とお父上様は私にとてつもないご試練をお与えになります。私の信心が足りなかったのでしょうか?
当日、重い足取りでたどり着いた讃岐でかぐや様はいらっしゃいました。
お年は八つ、私より二歳年下と聞いています。
しかし大人と同じ様に堂々とお話をされるかぐや様はとても素敵で可愛らしく、呪いとは無縁のお姫様にしか見えませんでした。
ただ一つ、かぐや様の傍にいる萬田郎女様の表情がとても晴れやかな事が気になりました。
萬田様はいつも険しい表情をされる事が多く、近寄り難い印象でした。
少なくともあの様な晴れやかな萬田様をみた事はただの一度もありませんでした。
もしかして、かぐや様は人の心を取り込んでしまう術を持った恐ろしい方なのではないだろうかと、思い至ったのです。
ああ恐ろしい。
なんて恐ろしい場所へお父上様はお連れになったの。
私は生まれて初めてお父上様を恨みに思いました。
しかし、宴が進む程、私の浅ましい考えは間違いであり、かぐや様はすごい御方なのだと分かってきました。
歌がお上手で、くじ引きなる遊戯は大の大人も夢中になるほど楽しく、そして何と言ってもあの素晴らしい舞は圧巻でした。
仄かに光を纏われたかぐや様はとても美しく、観るだけで心が洗われる神々しい舞でした。
その場にいる者達は舞台の上で舞うかぐや様に釘付けでした。
まるで神様が降臨されて何かを訴えるかのような真剣な眼差しは、心を打たずにはいられません。
私はこの舞をひと時たりとも目を離してはいけないのだと直感しました。
そしてその後、直感は正しかったのだと分かりました。
舞が終わると同時に空一面に光の花が覆い尽くしたのです。
神様が起こした奇跡、いえ天女様が遣わしてくれた祝福なのだと理解しました。
私はこの日のために生まれてきたと言われても、それは決して大袈裟ではないと思いました。
この感動をどの様に表せばいいのか、今の私には到底出来ることではありません。
宴の最期にかぐや様のご挨拶がありました。
「本日お集まりの皆様。私の様な未熟な幼子のためにお越しになられました事を大変感謝します。この宴は忌部首子麻呂様を始め、忌部の氏子の方々ご一同のご協力が無ければ、何もできませんでした。舞子様達の見事な舞、楽隊の皆様の素晴らしい演奏、稀に見る優れた歌合わせ、どれもこれも皆様のご協力あっての事です。
此度は拙つたない舞では御座いましたが、皆様にお礼の気持ちを示せればと、ただ一生懸命に、ただ一心不乱に舞いました。ただひたすらに萬田様に教わりました舞を舞いましため、周りがどうなっていたのかは私には分かりませんでしたが、もしほんの少しでも私の舞が皆様の心の癒しになりましたら私にとってこの上ない幸いです」
何て! 何て、奥ゆかしく、他人への思い遣りに溢れた言葉なのでしょう。
ほんの少し? かぐや様にとってこれだけの施しがほんの少しなの?
かぐや様が本気を出したら一体どうなってしまうのでしょう?
想像もつきません。
そして思いました。
こんな絶大なお力を持っているかぐや様に仇なそうなんて、お兄様達は何て愚かだったのでしょう。
たった十日ほどの前の出来事を思い起こすだけで震えてしまいました。
私の心の中は果てしのない感動と、底知れない恐怖とでグチャグチャでした。
◇◇◇◇◇
その夜、かぐや様との邂逅を果たしました。
三日間に渡る宴の期間、讃岐に宿泊する招待客のためには宿泊する家が用意されていましたが、私達忌部は広い屋敷の中にお部屋を用意されました。
この日の夕餉は、大人は大人同士、子息は子息同士で楽しみなさいと一部屋に集められました。
ああ、天女様であらせられるかぐや様が同じお部屋にいる、と思うだけで緊張してきました。
どうしましょう?
あ……、宴の主催者としてご挨拶するみたいです。
こんなに間近で聞けるなんて、何て光栄でしょう。
「ほ……」
「もういいから、早く飯食わせろよー」
『ピキッ』
いけない! 国造のご子息が発した心無い言葉に、思わず眉間に皺が寄る音がしてしまいました。
この時の私は生まれて三番目くらいに激怒していたのかも知れません。
「そ、それではここは無礼講という事で、お召し上がりながら歓談しましょう。どうぞ召し上がって下さい」
しかし子供の戯れ言など全く気にされず、ご挨拶するかぐや様はとても大人です。
そんなかぐや様をウットリと見ていたら、視線が合ってしまいました。
慌てて目を逸らしましたが、かぐや様がこちらの方へ歩いてくるではありませんか。
心の中では来て欲しいと思う心と、走って逃げ出したいと思う心が入り乱れています。
そんな私の前にかぐや様はいらっしゃって飲み物を差し出しながら優しく語り掛けてくれました。
「これをどうぞ。初めてお目に掛かります。
讃岐造麻呂の娘、かぐやと申します。
忌部氏のお方ですよね?」
えっ? 私の事を忌部の娘だと知っている?
と言う事は私に覚えがあるという事?
何て畏れ多い。どうしましょう?
ご返事申し上げなければ。
「は、は、は、は、(ごっくん)、はい!
天女様に覚えて頂けたなんて光栄でし!」
ああ、舌が動いてくれません。ガリッと舌を噛んでしまいました。
ど、ど、ど、どうしましょう。お詫びしなきゃ!
「し、し、失礼しました」(ガバッ)
ガチャン!
きゃぁぁぁぁぁ!
天女様の前で粗相して食器をひっくり返してしまったわ!
どうしよう、どうしよう、どうしよう、……。
こんな私を見兼ねたかぐや様は、私のお付きに声を掛けました。
「落ち着いて、落ち着いて。
お付きの方。申し訳ありませんが、お片付けを手伝って頂けないでしょうか?」
「は、はい!
姫様、まずは片付けますので、お立ち下さいませ」
今度こそ失敗しちゃダメ。立つのよ、私!
「ひ、ひゃい!」
ガッチャーン!
きゃぁぁぁぁぁ!
天女様の前で粗相してお膳をひっくり返してしまったわ!
どうしよう、どうしよう、どうしよう……、頭も目もグルグル回っています。
ああ、もうダメ。気を失って全て終わりにしたい。
そう心の中で覚悟を決めておりましたら、かぐや様は私の手をお取りになりました。
不意な突然の出来事に思わず声が出てしまいました。
「ひっ!」
すると、心の中に日差しが差し込む様な暖かさが満ちてくるのを感じました。
もしかして今の私は別の何者かに取り憑かれていて、かぐや様がそれを追い払ってくれたかの様な感じです。
「……落ち着きましたか?」
「は、はい。信じられないくらい安らかな気持ちになりました。
本当にかぐや様は天女の様なお方で御座います。
私の様な下賤の者の手を取って頂けるだなんて、天に上るかのような気持ちで御座います」
ああ、心に思っていることがスラスラと出てきます。
やはり私は何かの憑き物に囚われていたのかも知れません。
「改めてご挨拶しますね。
私は讃岐造麻呂の娘、かぐやと申します。」
「わ、わ、私は忌部首氏上の孫にあたります衣通郎姫と申します」
「まあ、伝説の美女と謳われた衣通姫と同じ名前ですの?」
え? そうなの?
自分の名前についてその様な謂れがある事を初めて知りました。
何て博識な方なのでしょう。
「かぐや様は秋田様から伺った通り、聡明な姫様なのですね。
その様に受け応えられたのは初めてです。
大人でもその様なお方はいらっしゃいませんでした」
「え、ええ。書を読むのが何よりも楽しみなので……」
いつしか私はかぐや様と普通に会話できていました。
その夜、素敵な出会いを与えて下さった神様に感謝しました。
(つづきます)
第32話〜第35話の『宴、初日』の部分の衣通姫サイドストーリーです。
自分で書いていても結構忘れていました。
4〜5話くらい幕間が続く予定です。