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退職準備中・・・(6)

 東宮様の即位の儀まであと僅か。

 身辺整理も終わり、残るは飛鳥を旅立つだけです。


 本日は上野国まで行くための船の手配をしていた秋田様がお越しになりました。

 上野国へ出した使いが持って帰った木簡を携えております。

 合格発表を待つようなドキドキ感があります。


『急に来られても迷惑です』なんて返事が返っていたらどうしよう?


 ◇◇◇◇◇


「かぐや殿、お待たせしました。

 上野国こうずけのくにより返答が届きました。

 喜んで受け入れますとの事です。

 使いの者の話によりますと、かぐや殿からの便りをご覧になり相当に驚いていたみたいです」


「そうですか。元気でしたのでしょうか?」


「ええ、使いの者によると逞しい青年だったと申しております。

 それと名を変えておりましたため、探すのに少し難儀したと申しておりました」


「随分と変わられてしまったのでしょうか?

 見分けがつかなくならないかが心配です」


「それは心配ありません。案内人が付きますから」


「案内ですか?」


「ええ、難を逃れるため真人殿と共に上野国へと渡った臣下の者が、迎えに来て上野国までの道中、同行する段取りとなっております」


「その方はこちらへと来られているのですか?」


「いえ、ご一行は難波のみなとから船に乗り、相摹国さがみのくにへと向かう予定です。

 そこから陸路で七日から十日ほど歩きますので、案内の者は相摹国で合流するようお願いしてあります」


「相摹国ですか?」


 少し意外です。上野国って群馬だよね?

 群馬に一番近い海といえば……東京湾? 茨城?

 相摹はたしか神奈川県だったはず。

 というか、相摹国ってどこからどこまでが相摹?

 関東の地形に詳しくないから分からない。

 甲子園の常連校にそんな名前の高校があったっけ?

 この時代に鎌倉ってあったっけ?

 あまり東国かんとうについて詳しくないのでイメージが湧きません。


「それは向こうに着いてからで良いでしょう。

 船の準備は出来ておりますので、積み込みをお願いします。

 誰かお供は同行するのですか?」


「ええ、亀ちゃんと旦那リーダーさんが一緒に来てくれることになりました。

 それと護衛を付けない訳にいかないと言って、辰巳さん夫妻がかなり強引に付いてくることになりました。

 本当は讃岐の警護の要となる方ですし、里長でもあるのですけど……」


「しかし辰巳殿が一緒となれば、周りの者も安心するでしょう」


「ええ、昔からよく知った方ですし、誠実な性格は誰もが知るところです。

 この上なく心強く思います」


「本音を言えば、私も付いて行きたいと思っております。

 しかし畿内にかぐや殿の居場所を知る者が一人も居ないことで不都合があるかも知れません。

 口外するつもりは決してありませんが、足跡を全て消し去るつもりもありません」


「此度の事も、真人クンの足跡が残されていたからこそ探し出せたのですからね」


「はい。ただし私も飛鳥からは身を引こうかと考えております」


「え、そうなんですか?」


「元々私は忌部宗家にとって客人みたいな立場でした。

 これを機に三室戸へと戻り、今後は実家を盛り立てて行こうと考えております」


「それは前向きなご意見ですね。応援しております」


 こうして上野国への移住は決定的なものになりました。

 真人クンがどんな風に変わったのか考えると、少しドキドキします。


 ◇◇◇◇◇


 即位の儀が目前と迫った頃、合間を縫って東宮様に挨拶に参りました。


「もうすぐここを去るに当たりましてご挨拶に参りました。

 お忙しい中、誠に恐縮に御座います」


「いや、構わんよ」

「そうじゃ、かぐやとの話の方が余程重要じゃ。

 旦那様が対応できなければわらわが対応する」


 鵜野皇女様もご一緒です。


「昨夜、御使い様が夢枕に立ち、どの様にして私を回収するのかご指示を受けました。

 つきましてはそのご報告です」


「やはり、其方は去ってしまうのだな」


「仕方が御座いません。

 誰にも天罰が下らないようにするために必要な措置ですので」


「で、我々は何か準備が必要か?

 何せ神の御遣い様が降臨されるのだ。

 持て成しの一つもした方が良かろう」


「いえ、当日私が舞をご奉納いたしますが、そのさ中に御使い様が迎えにきます。

 そして私を連れ去る様にして去って行きます。

 その際に一言二言申しますので、口裏を合わせて下さい」


「『遠路はるばるようこそ参られました。どうぞかぐやを宜しくお願い致します』

 ……とでも言うのか?」


「神の御遣い様ですので少々尊大な態度で参られると思います。

 反撃が出来るのであればやっても構わないそうです」


「そんな罰当たりな事は出来ぬわ」


「では黙って御覧になっても構いません。

 ちなみに私は天から罰を受けて地上に降りてきたという設定です。

 此度の東宮様の働きにより、私の罪は許され天へと還るという話の流れになります。

 私が天へと還る事が、東宮様の即位に対しまして凶兆と捉われない様、出来るだけご配慮致します」


「ああ、助かる。

 欲を言えば其方がここに留まってくれる事が一番なのだがな」


「身の丈に合わぬご評価を頂きまして恐縮です。

 しかし私の役目は終わりました。

 『老兵は死なず、ただ去るのみ』に御座います」


「別にかぐやは年増であっても老兵ではないがの」


(グサッ!)


「わ、私は何も言っていないからな、かぐやよ。

 ところで其方の傍らにある包みは何なのだ?

 先程から気になっていたのだが」


 何となく強引な話題転換に思えますが……。


「ええ、これは私の采女を退職するに当たりましての一つのケジメです。

 どうかお納めください」


 私は持ってきた包みをスッと差し出しました。


「確認して良いか?」


「はい、お願いします」


「どれ……」


 東宮様は包みを広げ、中にあった書をパラパラとめくります。

 横に居る鸕野様も全部で三冊ある書の一冊を手に取り、同じように眼を通しました。


「かぐやよ……これは……」


「はい、私が長い間調べて参りました神様のお話を纏めた(ろんぶん)に御座います。

 一区切りをつけた処で、書として纏めました。

 この書を以て采女を卒業する所存です」


 つまり私にとって書司ふみのつかさの卒業論文です。

 現代で執筆した大学の卒業論文に比べますと力の入り方が違います。

 何せ飛鳥時代のリアルの声を集めたものです。

 出来る事なら現代へ持って帰ろうとも考えていたくらいに思い入れがあります。


「これは……すごいな。

 其方が昔申していた国史に携わりたかったという言葉は、誠であったのだな」


「本当に昔の事ですね。

 まさか覚えて下さっていたとは思いませんでした」


「いやそれくらい印象が強かったのだ。

 それにしても私も知らぬ話がこんなにもあるとは……」


「ふむ、流石はかぐやなのじゃ。

 かぐやの情熱は薄い書だけでなかった事が一番の驚きじゃ」


 酷っ!

 酷い言われようです。


「薄い書も纏める機会があればそうしたかったのですが、残念ながら叶いませんでした。

 文化とは崇高な物ばかりとは限らないのです。

 下々の庶民が育む文化(サブカルチャー)というのも未来の者にとりまして宝なのです。

 文化に貴賤というものは無いのです」


「そう言われると、かぐやのしていた(悪)事も目をつぶってもいいような気がしてくるな」


「旦那様、騙されてはなりません。これがかぐやの手口なのじゃ。自分の欲望のためならどんな事もする女子おなごなのです」


「そういえば千年経っても欲は満たされないと兄上に申しておったな」

(※第二章『皇子様からの呼び出し(2)・・・謎の人①』ご参照)


「そうじゃ、かぐやは欲張りなのじゃ。趣味も、仕事も、食べる物も、すべて妥協しないのじゃ」


 付き合いの長い鸕野様には全部バレております。


「それではかぐや、この書は私が大事に保管しておこう。

 もしこれを公にする際は其方の名を出さぬ方が良いだろな」


「はい、ご配慮頂き、ありがとうございます」


「いや、神の伝承をここまで見易く、詳細に調べ上げた者は他には居ないだろう。

 それにこれは其方が未来の智慧を元に書き記したのではなく、この世界で集めた話を纏めたのだから歴史への干渉とは成るまい。

 是非後世に語り継ぐべきものだ。

 それに、そうすることでかぐやの夢が一つ叶うのだろう? かぐやよ」


「はい、その通りに御座います。

 そこまで御考慮頂きまして感謝に堪えません」


「感謝しているのは私の方だ。

 それくらいしか私が其方にしてあげられることが無いのだ。

 是非そうさせてくれ」


「むぅ、旦那様がそこまでかぐやを贔屓するのは少し妬けるのう」


「これくらいは勘弁してくれよ。

 むしろ妃扱いをすることが何一つ出来なかったのだ」


「それは仕方がないのじゃ。

 かぐやは裕福な故、ちっとやそっとの宝玉では靡かぬ。

 良い男子おのこに囲まれていったから、なかなか靡かぬ。

 かぐやが心の底から喜ぶ事なぞ、簡単には思いつかぬのじゃ。

 おかげで行き遅れてしもうたがの」


(グサッ!)


「か、かぐやよ、重ね重ね言うが私は言っておらぬからな」


「そこまで気を遣わらなくとも大丈夫です。

 行った先で良い人を見つけてみせます。

 見掛けだけですが、若返りの技を編み出したのですから」


「その技、わらわにもして欲しかったのう……」


「申し訳御座いません。これ以上の歴史への干渉は危険ですので」

(意訳:ちょっとした仕返しです。)



 こうして、私は退職前の準備を全て終え、即位の儀の日を迎えたのでした。


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