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秋田の奔走・・・(4)

 

 『真人は上野国、車評くるまのこおりに居る』


 亡き藤原鎌足が何かしらの方法で残したであろう遺言が、中臣金なかとみのくがねを経由し、摂津に残されていた。


「奥方、……これは?」


 秋田がこの手紙の謂れを尋ねた。

 何故、この手紙がここにあるのか?

 何故、くがねが受け取っていたのか?

 何故、金が妻に託したのか?


くがねが右大臣になる前、藤原様の者から預けられた文だと伺いました。

 遺言ゆえにこれを信頼のおける者に持っていて欲しいと。

 何故、ご遺言を身内ではなく従弟であるくがねに託したのか。

 それを他の者に預けさせたのか不思議でした。

 ただ単に持っていればいいのであれば、と預かっていたのですが。

 しかし、中身それを見て真意が良く分かりました。

 くがね様なら私にこれを預けるであろうと、鎌足様はご存じだったのでしょう。

 私は鎌足様にとって大切な愛し子の美々母与児(みみもとじ)様の乳母ですから。

 私が持つべき文だったと……持っていなければならなかったものなのだと。

 ……真人坊ちゃん」


 耳面刀自の乳母だった彼女にとって、真人殿はいつも傍に居た身近な存在だっただろう。

 誰に託すかを考えた上で、鎌足様がそうなるように仕向けたのだと思えた。

 封が破られていなかったのは、中臣金の生真面目な性格をよく知っての事なのだろう。

 天智帝の未来視の監視下で、ここまでの謀を成功させる鎌足の手腕は感心するほかない。

 もしも小角の能力すらそのはかりごとに組み込まれていたとすれば、恐ろしさすら感じた。


「ではこれをかぐや殿の元へ持って行きます」


「お願いしまします。

 かぐや様ならきっと真人様をお一人のままにしないでしょう。

 真人様はきっとかぐや様をお想いになっています。

 ずっとそうでした。きっと今も……」


「私もそう思います」


 こうして秋田と小角は、急ぎかぐやの居る宮へと馬を走らせた。

 距離にして百里(50km)、全力で駆けるには遠すぎる。

 しかし秋田には駅鈴はゆまのすずが与えられていた。

 東宮が後ろ盾なのだからさもありなん、である。

 国ごとに駅鈴は与えられているが、一国に数個しか貸与されない代物だ。

 帝ですら出掛ける際には、持って行く駅鈴は御璽ぎょじと並んで厳重に管理される。

 それほどの駅鈴はゆまのすずを持つ者を留め置く者は居ない。

 駅では駅馬をほぼ無制限に使えた。


 秋田らは駅馬を乗り継ぎ、鎌足の手紙をまるで国の一大事であるかのように飛鳥へと運んだ。

 疾走のおかげで、日が暮れる頃には飛鳥にある宮へと到着した。

 この時代の人にとって、日が暮れるとは真夜中という事だが……。


 ◇◇◇◇◇


「夜分申し訳ない。秋田です。

 かぐや殿にどうしても知らせたい事があり参りました!」


 門番に急ぎである事を伝え、かぐやへの面会を求めた。

 本人に自覚がないとはいえ、立場の上ではかぐやは東宮の妃である。

 いくら親しい間柄とはいえ、非常識の誹りを受けかねない行動だ。

 だがそれ以上に非常事なのだ。


「どうなされたのじゃ、秋田殿。

 何か大変なことがあったのですかいのう」


 竹取の翁が夜分というのに押しかけた秋田に嫌な顔一つ見せず対応する。


「今すぐにでもかぐや殿に知らせなければならない事があるのです。

 今すぐにです」


 切羽詰まった様子の秋田を見て、かぐやを呼びに行った。

 かぐやも今日が期限である事を十分承知しているので、何用なのかも分かっている。

 すぐに来たが、小角が一緒なのは意外だったらしい。

 少し驚いた表情をしながら挨拶を交わした。


「ご無沙汰しております。小角様。

 もしかして私の事で小角様を巻き込んでしまったのでしょうか?」


「久しいな、かぐや殿よ。

 だが安心せよ。其方()を山奥へと隔離しようと考えてはおらぬよ」


 他人の心が読める小角は、かぐやの心に浮かんだ疑念を早々に打ち消した。


「では、何故?」


「小角殿は藤原様より遺言を承っていたのです」


「藤原様の……遺言?」


「そう。以前、鎌足殿の見舞いを頼まれたことがあったのを覚えているか?

 其方が鸕野殿を通して依頼した件だ」(※第十章『病床の鎌足』ご参照)


 秋田の言葉を引き継ぎ、説明する小角。


「ええ、もちろん忘れておりません。

 あの時は本当にお世話になりました。

 藤原様の御気持ちが私に対して決して悪しきものでなかった事を知れて、心が軽くなりました。

 小角様には感謝に堪えません」


「その時にだな、実は其方には伝えていなかった事があるのだ」


「何でしょう?

 藤原様が私に何か気に障る事があったのでしょうか?」


「姫様、これをご覧ください」


 秋田もつい長年慣れ親しんだ姫呼びになる。

 気が逸っているのであろう。

 かぐやは秋田から差し出された手紙を受け取り、はらりと広げた。


 !!!!

 次の瞬間、かぐやの声にならない声が漏れ出た。


「これは誠なのですか?」


 嬉しい事に違いはない。

 しかし素直に信じられる話ではなかった。


「小角殿が受け取りました藤原様の心の声を元に、探し求めたのがこれです。

 中臣金なかとみのくがね様の妃、耳面刀自様の乳母だった女性が預かっていた手紙です」


「ミミちゃんの乳母さんが?」


 耳面刀自の乳母はかぐやもよく知った人物だ。

 息子の英勝のおしめを替えるのも手伝った仲だった。

 その乳母が金の妃だとは知らなかったが、金の最後の言葉はハッキリと覚えている。


『かぐや殿と話が出来るのもこれが最初で最後となろう。今のうちに礼を言いたかったのだ』


 只一人、敗軍の責を取り自死した、義の人であり信の人であった。


「おそらくは藤原様が巧妙に真人殿の居場所を隠したのだと思います。

 天智帝に露見することを恐れ、与志古様にすら内密にしていました。

 しかし一度調べれば、必ず真実に行きつく様、私達は誘導されたように思えます」


「確かに……はかりごとに駆けて藤原様の右に出る者は居りませんでしたね。

 私なんて足下にも及びません。

 徹底して人の裏をかき、人を人とは思わないような怖いお方でした」


 かぐやは誉め言葉にならない言葉で鎌足を称える。


「これから私は真人殿と連絡を取るため上野国こうずけのくにへと飛びます。

 その時に真人殿にかぐや殿が参られると伝えて宜しいでしょうか?

 ご両親を受け入れて貰えるか尋ねて宜しいでしょうか?」


 かぐやは悩んだ。

 本心はただ一つ。

『真人に会いたい』

 それだけだ。


 自分が救出できなかった事で受けた深い後悔、生きていてくれた事への喜び、これまでどのように過ごしてきたのか、話したい事は山ほどあった。

 しかし同時に、真人は中央に戻べきとも思えた。

 命を狙う天智帝亡き後、真人は自由なのだ。

 唐で学んだ知識を役立てる事は、世のため、人のため、真人ほんにんのためである。

 自分自身が真人が自由になる足かせになるのかも知れないのだ。


「申し訳御座いません。

 明日までお返事を待って頂けないでしょうか?」


 かぐやは即答せず一先ず保留した。

 あまりの衝撃に思考が停止してしまっているのは自分でも分かっていた。

 本当にこれで良いのかが判断付かなかった。


「良い御返事をお待ちしております」


 そして秋田は敢えて結論を急がせなかった。

 いずれにせよこれ以上の話を持ってくることは出来なかったであろう。

 これでも現代に還るというのなら止める手立ては思い浮かばない。

 何よりも、この話を聞いても尚、かぐやが現代に還る事を選択するとも思えなかった。


 そしてかぐやは結論が出ないまま、神の御遣いと相対したのだった。



(つづきます)


過去話のアップデートがなかなか進みません。

まだ60話ちょっと。残り500話。

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