航海(ボン・ボヤージュ)
話の順序が行ったり来たりで読み難くなってしまい、申し訳御座いません。
※第十二章『極秘作戦』文中、「その行く先とは……」の続きです。
即位の儀の翌々日、難波津を発った船は広い海を進みます。
私は現代でも、この時代でも船旅を経験していますが、以前の船旅は筑紫へと向かう内海(瀬戸内)での航路でした。
瀬藤内の静かな波と違い、外洋を進むので船は大きく揺れます。
お爺さんお婆さんが体調を崩さないか心配です。
外洋……つまり船は難波津から南へ進み外洋へと躍り出て、紀伊半島を迂回して、北東北方向へと進んでいます。
水桶に浮かべた木製の魚が南を示していますので、魚の左斜め後ろ側の方向にです。
木製の魚の名前は『指南魚』。
唐からの贈り物で魚の中部には磁石が埋められている、つまり方位磁石です。
普通の船にそのような貴重な品を積むことはありませんが、航海の安全を心配した”鸕野皇后”からプレゼントされました。
時折、船乗りさん達が興味深そうに”指南魚”を見にきます。
(※作者注:斉明帝時代に、唐から『指南車』と呼ばれる方位磁石を仕込んだ人形を乗せた車が贈られたと、日本書紀に記述があります。天然の磁石を使った方位を指し示す技術は遅くとも三世紀、おそらくは紀元前にはあったみたいです)
幸い、潮も風も波も最適な状態で、航海そのものは順調です。
そして航海中の最大のイベントがやってきました。
富士山です。
マウントFUJIです。
世界に誇る霊峰・フジヤマです。
♪ エブリバディサムライスシゲイシャ Beautifulフジヤマ ha ha ha! ♪
舳先の方向に対して左側に見えます。
(新暦で)三月の富士山は一年のうちで最も美しいと言ってもいいでしょう。
ついでに言えば、富士山に最も美しく無い月など存在しないのですが……。
(こう言わないと、静岡県民と山梨県民を敵に回しますので)
この壮大な光景には、現代で何度も富士山を目にした私ですら目を奪われました。
お爺さんもおばあさんもも感嘆したのは言うまでもありません。
「なんじゃこりゃぁー! 何と美しい山なんじゃ」
「ほぇ~、長い気はするものだねぇ~。ありがたや、ありがたや」
『竹取物語』では、かぐや姫から送られた不死の薬と手紙を、月に一番近い富士山の頂上へ持って行き、燃やしたとあります。
悲しみの山です。
しかし今、私は富士山が見えるところまでやってきて、とある目的地へと向かう途中。
心なしか、山が祝福しているかのように見えます。
キラキラ ♪
それにしましても遠州、駿河、伊豆、つまり静岡県は、高速バスでも新幹線でも通過するのにも難所に挙げられます。
……とても長いのです。
富士山が見え始めて、豆州(伊豆半島)らしい陸地が迫るまで丸一日掛かりました。
富士山が段々と大きく見えてきて、その雄大さが予想を超えて半端ないものである事を知る頃、ようやく伊豆半島に接近しました。
ここは流刑地でもありますが、目的地はさらに先。
伊豆半島の先端、石廊崎を越え、船は面舵をとり北東北から北東、そして更に北へと向きを変えました。
◇◇◇◇◇
到着したのは四之宮(※神奈川県平塚市)、相模国の国府がある賑やかな場所です。
一先ずはここで宿を取り休養を取って、明日からは歩きです。
お爺さんお婆さんの体力を考慮して、ゆっくりと進みます。
陸地での移動は案内が付きました。
懐かしい人です。
まだ私が讃岐で農業試験場を営んでいた時、一緒に品種改良に取り組み、時には厳しく(※田んぼに突き落としたり)、時には優しく(※美味しい食事で餌付けしたり)した、中臣氏の舎人さんです。
確か鎌足様に重用されていたはずですが、いつの間にか見なくなってました。
私も十年以上姿を隠していたので、お互い様ですけど……。
「お久しぶりです。
こちらの土地は不慣れなので、宜しくお願いします」
「お任せ下さい。
それにしましてもかぐや殿は幼き頃から存じてますが、変わらず美しいですな。
田んぼに突き落とされたことが嘘の様です。
はははは」
黒歴史を持つ私に痛い一撃を喰らいました。
「おかげで讃岐は昨年も豊作でした。
畿内にも農法は確実に伝わり、暮らしが改善されていると聞きました。
田んぼに堕ちた甲斐があるというものでしょう。
ほほほほ」
言われっぱなしは悔しいので僅かながら反撃します。
「かぐや殿は昔もお間も変わらないみたいですな。
今の我が主もきっとお喜びになります。
では参りましょう」
こうして私達は陸路をひたすら北へと向かいました。
お爺さんとお婆さんは籠に乗っての移動ですが、時々籠を降りて自分の脚で歩いたりもします。
道中は殆ど平坦な道で、山に囲まれた奈良盆地に居た私達にとって見慣れない地平線が、はるか向こう側に広がっています。
現代知識のある私なら関東平野がどれくらい広いのかを知っておりますが、お爺さんとお婆さんにとっては、遠い異国に来てしまった気分なのでしょう。
お爺さんの目にうっすらと涙が滲んでおりました。
「どうしましたの、父様?
何処か身体の痛いところはあるのですか?」
「こんな景色がこの世にあるなんて全然想像もつかんかった。
年を取ってからこんな素晴らしい景色が拝めて、わしゃあ嬉しいんじゃ」
お爺さんは以前の様な毒気が抜けて、まるで仙人の様になってしまいました。
願い通り帝の妃になってあげたというのに、大して喜んでいなかったし。
……一日だけでしたが。
「私達はとんでもない所に来てしまったんだねぇ。
あの高い高い不二の山の反対側が見えるよ」
お婆さんは少し不安そうです。
かく言う私も不安です。
だけどきっと気に入ってもらえるはず。
きっと快く受け入れられるはず。
そう思いながら十日間の道のりを北へ北へと向かいました。
◇◇◇◇◇
ようやく目的地に近づくと、田畑の様子が少し違ってきました。
讃岐で見た四角い田んぼに、整然と並んだ稲株(※稲の刈り跡)。
田植えによる稲作が行われている証拠です。
ここは上野国車評。
現代で言う群馬県の高崎市か前橋市付近のはずです。
どちらが県庁所在地でしたっけ?
新幹線が止まるのが高崎なのは知っていますけど。
【天の声】前橋市の皆さん、ごめんなさい。
車評……ここは与志古様のご実家、車持氏のお膝元なのです。
「かぐや殿、こちらの方です」
舎人さんに案内されたて、”その人”が居るだろう場所へと案内されました。
行った先には日焼けして逞しい体躯の青年が鍬を振るっておりました。
しかし見間違えるはずがありません。
とてもとても懐かしく、もう二度と会えないと思っていた人がそこに居ました。
「真人クン!」
「かぐや様!?」
(つづきます)
本日は短いですが、一旦ここで切ります。
いよいよ残り数話が少なくなりました。




