退職準備中・・・(1)
主人公が見た目の変わらない秘密とは……。
♪ わたしが~オバサンにな~あっても ♪
秋田様に行く先を探して頂くお願いをして、ひとまず私は飛鳥を去る準備に入りました。
現代に戻るにしても、古代に残るとしても後宮に居られるのはあと四十五日です。退職前の社員さんは、業務の引継ぎや退職の手続きのため人事課の人と面談したりします。中には溜まった有休を消化する人も多く居ますが、残念ながら古代には有給休暇という概念はありません。
むしろ労役と称して働いている人にも賃金を支払われないくらいブラックです。
労基法の律を作って頂けるよう、東宮様に上申してみようかしら?
私の場合、手引書を作ったのでこれで引継ぎはこれで良しとします。
退職届は通常三十日前、法律上2週間前というのが一般的ですが、古代には民法はありません。黙は兎も角として、前日でも構わないでしょう。直接申し上げるのが心苦しいのなら、退職届を出すか、代行サービスに頼むという手もあるかも知れません。変に引き留められても面倒ですし、撤回することは出来ませんから。
もっとも退職を申し出たら「あ、いいよ」と軽~く往なされるのも悲しいものがありますけど……。
とりあえず退職届(案)を作成しましょう。
この時代にわざわざ退職届を出す人もいないでしょうが、折角なので古代で初めてになる書類様式を作って、内侍司の業務手引書にこっそりと差し込んでおきましょう。
後宮の最高責任者は帝ですが、帝宛にすると直訴になるので、上申書の形で。
(シコシコシコシコ……)
『退職届
臣、謹んで御機嫌を伺い申し上げます。
臣、尚書の職務を全うすること叶わぬ故、ここに辞職を願い出申し上げます。
臣、後任にて職務を万全に遂行賜りたく、今後より一層の御代の繁栄を祈り申し上げます。
二月二十六日 赫夜郎女謹上』
これで良いかな?
……あれ?
一月七日の五十日後の二月二十七日が運命の日なので、退職届の日付を前日の二十六日と書きましたが、ひょっとしたら二十七日って即位の儀、当日でしたっけ?
マズッ! 二重予約だ。
再調整しなきゃ!
……って出来ないじゃん!
じゃあ辞退?
どっちを!
……って出来ないじゃん!
そうなると、どうなるのでしょう?
即位の前日にあまり煩わしい事になるのも嫌なぁ……。
なので当日の朝、シマちゃんに託しましょう。
で、舞を舞ったら、ほなサイナラ―と言って去るという事で全力で逃げるか、現代へ還るかしましょう。
良い社会人は絶対に真似をしてはいけない辞め方になりそうです。
飛ぶ鳥跡を濁しっぱなしですね。
後宮にある私の私物の片づけですが、とりあえず薄い書は秋田様に全て引き取って頂きました。おそらくは、きっと、間違いなく、秋田様の事ですから大切に保管して下さるでしょう。
建クンとの思い出の品もたくさんありますが、下手に外へ持ち出すことは出来ません。現代だって、勝手に会社の物を持ち出してはいけませんし、パソコンのデータを抜き取るのは犯罪行為ですので絶対にやめましょう。会社のパソコンのアクセスログや操作履歴は社内サーバーに残っております。
だけどせめて建クンが描いた絵は頂いていきます。これを持ち出すのにはもう一つ理由があって、建クンが描いた絵と言うのは、私が学校の美術で習った遠近法とか陰影法などの絵画技術を用いて書かれていますので、どう見ても場違いな遺物に近い代物です。
殆どは朝倉宮の火事で燃えてしまいましたが、ここに残っている絵は回収しておかなければなりません。
未来に戻るのなら絵を持って行くことは叶いませんが、その時は悲しいけど燃やすしかありません。
あとは、着替えや日用品はそのままにして……。
あっ!
これまで書き溜めた寺社仏閣の関係者の皆さんへの調査が放置したまま、塩漬けになっていました。そのまま放置しても良いかも知れませんが、あれだけ苦労したのにこのまま終わらせるのも勿体ない気がします。
それに何よりこの調査、いつも幼かった建クンを抱っこ紐で抱えてあちらこちらへと行った思い出でもあるのです。自己満足かも知れませんが、これだけは片づけておきましょう。ついでと言っては何ですが、新たに調査を再開して足りない部分を補完するのも良いかも知れませんね。
もし大学時代にこれくらいに卒論に情熱を傾けていたら、もっと良い論文が出来ていたでしょう。
もしこれが完成すれば国宝レベルの論文になるかも知れません。何せ現代では絶対に不可能な調査ですからね。
こちらの世界にやって来る前の趣味への情熱が胸の奥底から再び目を覚ました。
わきわき♪
やる事は決まりました。
論文を書くぞー!
◇◇◇◇◇
この日から私は書司のお部屋で一日中机に向かうようになりました。
東宮様の即位が近い事もあり、毎日のように各地の有力者の方々の来訪があります。その中に出雲国の国造様のような大物が飛鳥へお越しになり、お話を伺うことが出来ました。
出雲国造は天穂日命を祖とする豪族で、神話の宝庫です。
妃の権限で国造様を留め置き、会談を申し込みましたが、先方も『神降しの巫女』と言われている私の事を気に掛けていたみたいでした。
最初のうちは私に対する警戒感が見え隠れしておりましたが、ちょっとしたサービスで光の玉を出したら私に対する疑いの目は完全に消えて、色々な話が聞けました。
卒論テーマと被っている部分が多くありますので頭に入り易く、出雲風土記にも記載された内容が正し言い伝えであることが分かった事が大きな収穫です。
こんな具合に、各地からやって来る来客にインタビューを続ける事で、これまで空白だった調査の穴埋めが進み完成に大きく近づいていきました。
◇◇◇◇◇
しかし肝心の秋田様からの報告はまだありません。
期日の夜、私が眠りに就いたら神の御遣い様が夢枕に立つでしょう。
その時、私は何と答えるべきか?
最近のお爺さんお婆さんはいつも不安そうに私の事を見ています。
『竹取物語』のかぐや姫も色々と悩みましたが、最後の場面(シーンででは嘆き悲しむお爺さんとお婆さんを残して、かぐや姫は記憶と感情を消されて月の都へと帰っていきました。
そんな悲しいお別れは嫌です。
もしこのまま秋田様がやって来なければ、今の私の気持ちは私ひとり現代へ戻り、お爺さんお婆さんには私に関する記憶を消して貰うという選択肢が一番優勢です。
『竹取物語』によると、かぐや姫はお爺さんお婆さんに手紙と不死の薬を差し上げるのですが、私もせめて私が私自身に施術している若返りの光の玉を差し上げようかな?
若返りなんて言うと大層な物に聞こえますが、これは昔私が開発した技なのです。
斉明帝から建クンに娶って貰うよう言われた後、建クンが大人になって私がオバサンになったら建クンに捨てられるのではないかと、ありとあらゆる現代知識と現代で処方した美容液を再現する光の玉の開発に取り組んでいたのです。(※第八章『誤解よ、解けよ!』ご参照)
ここ最近、十年ぶりに再会した皆さんから『昔と全然変わらないね』と言われる裏に、実は涙ぐましい努力があったのです。
おかげでクーパー靱帯の再生と皮膚組織のコラーゲン再生にはかなり成果が上がりました。日焼けしたら即、光の玉で癒して皮膚の老化を徹底的に防いできたのです。
これと同じ技をお爺さんお婆さんとのお別れの際に……。
でも、変わらないのは見た目だけで、決して不老不死にはならないのですけど……。
(つづきます)
【予告】次回、話は急展開します




