帰るべきか帰らざるべきか
殆どが主人公の独り言です。
夢枕に立った神の御遣いにより、お役目終了を伝えられたかぐや。
後は現代へと還るのみだと告げられた。
しかし帰還のための制約は多く、心のどこかで期待していた高志との再会が叶わない事を宣告された。
絶望したかぐやは、この先の自らの振る舞いについて考えるのであった。
残る時間はあと五十日、決断の日まであと二十日しかない。
◇◇◇◇◇
はぁ……、ため息が止まりません。
この先、私は何を生き甲斐にしていけばいいのでしょう。
この世界で後宮で働くことは出来ないと言われました。
飛鳥も去らねばなりません。
中央とは距離を置かなければなりません。
讃岐も近すぎるでしょう。
じゃあ何処へ?
私が住んだことのある場所と言えば難波と……美濃ですね。
軟禁された筑紫を住んでいた場所とは言わないでしょう。
全てを捨てて新しい場所へと移り住むのは流石に勇気が要りますし、お爺さんお婆さんを連れ立ってとなると無理としか思えません。
お爺さんお婆さんと離れ離れになるのなら、現代へ帰った方が良いような気がします。
もし私が連れ去られた直後へと帰して貰えるのなら、翌日から何もなかったかのように出勤して、現代社会の中に埋没していくのも悪くありません。
それに少ない可能性ではありますが、お爺さんとお婆さんと共に現代へと行けるかも知れません。
材料さえ手に入れば……。
現代社会で七十歳を過ぎたお爺さんとお婆さんはどうなるのでしょう?
田舎でポツンとした一軒家を買って、そこで暮らすとか?
しかし田舎暮らしというのはその実、メチャ大変らしいと聞きます。
閉鎖的な地域社会というものをナメてはいけません。
パンツを干したらその色、形、臭いまで地域の噂になるかも知れません。
いい歳をしてあんな派手なのを履いているのかとか、擦り切れて薄っすくなったよれよれのパンツを履いて恥ずかしくないのかとか、そもそもパンツを外に干すのはケシカランと引きちぎられて地ベタに埋められる事だってあり得ます。
【天の声】そんなことはありません。田舎暮らしの皆さん、ごめんなさい。
それに戸籍を持たないお爺さんたちが何事も無く生活できるイメージが湧きません。
現代社会は恵まれていますが、不法移民状態のお爺さんとお婆さんにその恩恵が与えられなかったら、古代で過ごすのと変わりはあるのでしょうか?
例えば健康保険。
無職で収入ゼロでも、国民健康保険は掛かります。
私が会社員の地位を保ったままなのなら社会保険の扶養範囲と出来ますが、戸籍上赤の他人のお爺さんとお婆さんを扶養家族とする方法が思い浮かびません。
外国人であっても社会保険の加入が可能なのは、会社で手続きをした経験上知っております。
しかし日本人でありながら、千四百年も過去の人がやってきた場合、日本の法律はそれをフォローできるのでしょうか?
弁護士さんに相談したとして、信じて貰えるのか?
悩みが尽きる事はありませんでした。
◇◇◇◇◇
こんなことを考えてばかりだと、やる事為す事失敗続きです。
当然、周りからは心配されます。
「かぐや様、虚ろなご様子ですが如何なさいましたか?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていました。
本日は早々に戻ります」
このまま後宮に中に居ると、私の様子が変なのをどの様に曲解されるか分かったものではありません。
体調不良のせいにしてとっとと早退するに限ります。
しかし宮に帰り部屋へと戻っても何も手に付かず、ぼーっと考え事をします。
ぼー……。
日が暮れてしまいました。
旧暦の一月は一年の中で一番冷える時期です。
特別にあつらえた炬燵に入って何もせず、ずっと考えます。
戸を開けるとお月様が見えます。
綺麗なお月さまです。
夜景の綺麗さは飛鳥時代の圧勝ですね。
本当に月に帰るのならそれでもいいかなと考えてしまいそうです。
この世界にやってきてから、生活のリズムが超朝型になりましたので、夜景を見る機会はあまりありませんでした。
この時代の人にとって空に広がる夜景が貴重なものだなんて想像もつかないでしょう。
もし現代に戻るのなら、この貴重な夜景も見納めです。
夜景だけではありません。
お爺さんお婆さんは言うに及ばず讃岐の領民の皆は大切な人達です。
この世界で知り合えた人々は私にとって掛けがえのない人々ばかりです。
秋田様は困ったところはありますが、この時代で私が生きて来れた恩人です。
秋田様がいらっしゃらなければ、私の飛鳥時代ライフは全然違ったものになっていたでしょう。
美濃での潜伏期間でも私を支援して下さいました。
この世界にも薄い書がある事を教えてくれた師でもあります。
もし私がこの世界を去ることになったら、私のコレクションを全て差し上げましょう。
萬田先生に見つからないようにね。
源蔵さんと八十女さん夫婦とは長い付き合いです。
讃岐での幼少時代も、難波での施術所でも、飛鳥に戻っても、そして私が美濃に潜伏している間も讃岐から伝書鳩を飛ばして連絡を入れてくれました。
今では讃岐評を取り仕切る評造です。
初めて声を掛けた時には、土間で土下座してしどろもどろだったのに……。
求婚者は皆いい人ばかりでした。
御主人クンは私なんて足下に及ばないくらい完璧な好青年で、今や風格すら漂わせる大人です。
出会った最初の頃はオレ様っぽい性格でしたが、今では困ったときに一番頼れる親友とも思っております。
麻呂クンは腕白だった頃と打って変わって、お父様の悲しいを乗り越え立派な男性へと変貌しました。
身を挺して大友皇子を守り、真人クンを守るため奔走しました。
一本気溢れる頼もしい兄貴であり、心優しい青年でもあります。
御行クンには申し訳ない気持ちがあります。
人生で一番大切な時期を私と共に潜伏生活を続けて、私に好意がある事を知りながら私は御行クンの気持ちに応えることは最期までありませんでした。
しかし此度の戦では御行クンの働きは最大限に評価され、これからの人生が実り多い事を願っています。
真人クンは出会った当初からとても良い子でした。
大きくなってからも向学心が衰えることなく、唐にまで渡って勉強してきました。
帰国してから僧侶としての責務を背負いこれからって時に……。
この世界では思いも寄らない歴史上の人物と交流を持つことになりました。
まさか大海人皇子……、もうすぐ即位して天武天皇の妃になるとは予想外過ぎました。
初めて会った時は謎の人②とか言って遠ざけようとしていたし、皇子様は皇子様で私の事を残念な女子と言われたし……、でも今でもその評価は変わってないかも?
鵜野様、後の持統天皇とこんなにまで深く関わるとは思いませんでした。
最初は家庭教師と生徒の様な関係でしたが、建クンを邪険にしない良く出来たお姉さんでした。
歴史に名を残す女帝の才能は凄まじく、私の教えた事は一年半で全てマスターしました。
一度だけ教えた平仮名を完全に記憶した鵜野様の頭脳があったからこそ、私は十年間の準備期間を耐えることが出来たのです。
心の盟友、それが私の鸕野様に対する気持ちです。
斉明帝……今でも斉明帝が亡くなった朝倉宮でのあの日の出来事が時々フラッシュバックします。
私達を命がけで逃がそうとした斉明帝。
なのに最後まで建クンを護りきれなかったことを心苦しく思います。
名ばかりの帝として苦しいお立場にあって、やりたい放題の中大兄皇子に苦労されていました。
でもお年を召していたのに剽軽なところもあって、私を困らせた事も多々ありましたが、今ではとても大切な思い出です。
そして私の事を娘の様に慈しんでくれた御方です。
斉明帝の存在が私をこの時代に居る本当の意味だったのではないかと思う事があります。
もし斉明帝が私の事を気に掛けなかったら、きっと私はここまで時代の流れに深入りしていなかったでしょう。
……そうだ! お墓参りをしましょう。
斉明帝の陵墓は飛鳥京からさほど遠くはありません。
二時間ほど歩けば着くはずです。
その陵墓には、建クンも一緒に合葬されていると聞いています。
この月なら明日は天気が良さそうです。
お婆さんを誘って行きましょう。
そしてどうしたら良いのか、斉明帝に相談しましょう。
(つづきます)
『竹取物語』ではかぐや姫が時の都へと還るのは8月15日の満月の日です。
創作の都合上、2月27日としました。
日本書紀に記された天武天皇の即位の日です。




