【幕間】大友皇子の本心・・・(7)
※大友皇子視点によるお話が続きます。
昨年、十市が生んだ私達の子供、葛野はすくすくと育ち、一年が経とうとしている。
父上は孫が生まれたというよりも、後継者が出来たことを殊の外喜んでいた。
もう一人の祖父である東宮様は大津宮へ参られる機会がなく、まだ会ったことがない。
しかし一人だけ、自分の身内の成長を喜んでくれる方がいる。
十市の母上、私にとっては義母に当たる額田王殿だ。
「かっちゃーん、ばぁばですよぉ~。
暫く見ないうちに大きくなったんじゃない~。
ばぁば、って呼んで~」
「ばぁ……ばぁ」
「きゃ~~~~。
そうよそうよそうよ~、ばぁばよぉ~~」
毎日の様に孫に会いに来ているので昨日とはそんなに違わないと思うのだが、義母殿にとっては大きく違うように見えているらしい。
そんな義母殿と葛野を見ていることが私たちにとって癒しの一刻となっている。
葛野が疲れて眠り虚仮てしまうまでそれは続くのだ。
◇◇◇◇◇
「母上、遊んでくださいまして葛野も喜んでおります。
有難うございます」
「私こそ楽しませて貰って嬉しいわ。
斉明様は孫を可愛がっておられましたけど、こんなにも可愛らしく愛おしいものだとは思いも寄りませんでした。
本当にかっちゃんを生んでくれてありがとう。
もっと生んでくれるともっと嬉しいわ」
すっかり上機嫌の額田様が無茶を言い始める。
努力はしているのだけど、そう簡単ではない。
「額田様は十市を産む時に苦労されたと聞きましたが、どの様にされたのですか?」
「そうね……もしかしたらですが、十市は産まれる事の無かった子かも知れないの」
「どうゆう事ですか?」
「当時、私は東宮様の妃でしたが嫁いで三年過ぎても懐妊の兆しが無かったの。
ひょっとして石女なのでは? とすごく悩んだの。
その苦しい気持ちを救ってくれたのがかぐやさんなの」
かぐや殿が?
以前、かぐやのお陰で自分が生まれたような事を十市が言っていたが、誇張ではなかったのか?
「かぐや殿……が何をしたのですか?」
「それがね、一言では言えないのよ。
何せ、そのために屋敷を一軒建ててしまって、至れり尽くせりだったの。
懐妊するために必要な知識を授けてくれて、本当にかぐやさんには驚かされる事ばかりだったの」
「母上様が教えて下さった、”排卵日”というのもかぐや様のお知恵なのですか?」
「ええ、そうよ。
女子の体内の奥深くでどのような事が起こっているのかを正確に知っていて、どうすれば懐妊し易くなるのか丁寧に教えてくれたの。
出産も驚くほど体の負担が無くて、斉明様も自分もできるならもう一回ここで生みたいなんて仰ってらしたわ」
「かぐや殿は医術の心得がある方なのですか?」
「それが良く分からないの。
確かに卓越した知識を持っていたわ。
誰も知ら居ない事や、思いも寄らない様な事を知っているの。
だから誰も真似できないの。
お化粧だってかぐやさんと同じお化粧が出来る人はいないの。
あんなにも一緒にいて楽しいと思える人は居なかったわ」
どうやらかぐや殿は知識も人格も優れた方だったらしい。
麻呂がやたらとかぐや殿を褒めたたえるのも誇張ではないかも知れない。
「もしかぐや殿が居なければ十市はこの世に居なかったということは、十市の出産はかぐや殿のお陰という事ですか?」
「ええ、それは間違いありません。
だけどそれだけではないの。
懐妊する前に、かぐやさんが私の手足を按摩してくれた時に何の前触れもなく倒れてしまった事があったのよ。
その時はただ驚いただけでしたが、丁度その時が懐妊した時と一致している事を知ったわ。
もしかしたら十市の懐妊はかぐやさんが天女の御技を使ったお陰かも、と思っているの」
天女の御技?
ますます不可解になってきた。
「天女の御業とは何でしょう?」
「今の若い子は知らないけど、斉明様にお仕えしている時、かぐやさんは何度も天女の御技を披露しているわ。
『神降しの巫女』を知らない人が飛鳥には居ないっていうくらいに有名でした。
もっとも当の本人は、隠れてコソコソとやっているつもりだったみたいですけどね。
ふふふふ」
父上が神様から能力を授かり、かぐや殿は天女の御技が使えるという事は、二人は対立しているという事なのか?
もっと聞きたいが、父上の目がこの場を視ている事を考えると深入りするのは危険な気がする。
「神降しという事は神様が舞い降りたのですか?」
「私が視たのは、光り輝く神の御使いが空から降りて来られてかぐやさんと共に舞を舞う姿でした。
別の儀では無数の子供くらいの光る小人だったそうです」
光る人? 父上の様な実戦に役立つ御技ではないみたいだ。
「それは是非見てみたいものですね」
「ええ、かぐやさんが存命であれば……きっと……見られたでしょう(ぐずっ)」
額田様はかぐや殿を思い出し涙ぐんでいた。
本当に親しい間柄だったのだろう。
でなければ、妊娠・出産という繊細な相談など出来るはずもない。
「それは残念です。
先日は多治比殿や麻呂もかぐや殿の思い出を楽しそうに話しておりましたが、皆に好かれるお方だったのですね」
「ええ、本当に誰にでも優しくて、聡くて、強くて、いつも一生懸命で、なのにちょっと残念なところがあって、心の綺麗な娘と言うのは彼女の様な人を言うのでしょう。
正に天女の名に恥じない人でした」
額田殿のかぐや殿に対する評価はこの上ないもののようだ。
しかし所々、誉め言葉ではない言葉があるのは何故なのか?
混迷は益々深まっていった。
◇◇◇◇◇
父上への接見は、最近では父上の寝所で行われる様になった。
頭痛と目眩が酷いため、立つこともままならないのだそうだ。
私に太政大臣を叙位したことで、気が緩んでしまったとも考えられる。
このままでは本当に私が帝に祭り上げられる日も近いという事か?
出来れば勘弁願いたいものだ。
どうにかして逃げる事は出来ぬものか?
…………
「帝におきましては御身の不調、痛ましきの存じ上げます。
ここに速やかなる御快癒を祈り奉ります」
父上とは生涯父と子の会話は出来ぬであろう。
そう思いながら臣下らしい言葉を言い連ねる。
「ふふふ、だいぶ大臣としての振る舞いが板についてきたようだ。
して、何用だ?」
「以前より承りました新たな事業につきましてご相談頂きたく参りました」
「何をしたいのだ」
「主に三つです。
一つは律の制定に取り掛からせて頂きたく存じ上げます」
「構わぬ。
しかし律の制定は地方部族の反感が大きい。
制定するだけなら誰でも出来るが、それを施行するのは至難の業だ。
心して掛かれよ」
「はっ!
二つ目は貨幣の鋳造です。
唐と伍するためには貨幣制度の導入が不可欠に御座います。
偽造を許さぬ鋳造術の確立、制度の周知、流通の監視法など、銅の採掘と共に三十年を掛けて取り組みたく存じ上げます」
これは先日、麻呂に教わった話だ。
麻呂は貨幣の導入にかなり前向きな考えを持っているが、それと同時に如何に難しいかを知っていた。
お陰でそれらしい話が出来るほどには貨幣制度への理解が進んだ。
「鎌子も言っていた。
強国になるためには絶対に必要だとな。
三十年掛けて行うのであれば、それは其方の終生を掛けての取り組みとなるであろう。
確と行え」
「はっ!
そして三つ目は国史の編纂です。
我が国の成り立ち、神々の系譜、各地に残る神話を記し、また神代より続く大王の陵墓を調べ上げ、父上の代に至るまでの帝の業績を残すべきかと存じ上げます」
「ふ……それも鎌子が言っておったな。
だがあまり刻が無い。
私の死後、編纂は一年を置かず完成させよ。
前にも申したが、私と鎌子の業績は必ず書き入れよ」
一年で完成?
そんな無茶な!!
「畏れながら、国司の編纂に一年はあまりに短いのではないでしょうか?
陵墓一つを調査するだけで数カ月を要します」
「要らぬ。
国史とは……、正史とは……、歴史とは、勝者が決める語り部にしか過ぎぬ。
調査は必要ない。
勝者が勝者の歴史を作るのだ。
そして神々の話を記した神話には天津甕星様を国神として崇める内容にせよ」
何てことだ!?
これでは歴史の詐称ではないか。
私は後世に残る犯罪をせよと言われているのと変わらないではないか。
「一つだけお伺いさせて下さい。
何故、天津甕星様なのでしょう?
私は大王の一族は天孫たる瓊瓊杵尊を祖とし、天照大御神様を崇めると教えられてきました」
「そうだ。しかし誰もそれが真実かどうかは知らぬ。
だが天津甕星様は私の前に現れ、能力を授けられたのだ。
確かに存在する神を敬う事に何の不都合がある。
いいか、忘れるなよ」
「……御意」
神の使いと言われるかぐや殿と、天津甕星様から加護を受けた父上。
これが将来起こるであろう戦の正体なのではないか?
何の確証も無かったが、漠然とその様な思いが胸に去来したのだった。
(つづきます)
そろそろこの幕間も話の着地点に持って行きたいところです。
現在、壬申の乱の後の話のまとめ中です。
如何にキレイに話をまとめられるか?




