【幕間】大友皇子の本心・・・(4)
この閑話の主役は大友皇子? それとも物部麻呂?
※大友皇子視点によるお話が続きます。
麻呂が卓越した能力の持ち主である事に疑いはない。
だが、官人として高い評価を受けているとは思えなかった。
父上は私を帝とするつもりなのだから、私の側近として麻呂が重用されると考えているならそれもあるだろう。
しかしこの人材不足にあって麻呂ほどの逸材を私だけの付き人とするのは惜しい気がしていた。
◇◇◇◇◇
「天智帝に敬い申し上げます。
太政大臣の任を拝命し候。
この身をもって帝に尽きざる忠誠を捧げ、天下の安寧を念とし、国家の栄えの礎たらんことを、ここにお誓い申し上げまする」
父上の決定に異を唱えることの出来ない私は、分不相応とは思いつつ太政大臣を拝命した。
同じくして蘇我赤兄殿が左大臣、中臣金殿が右大臣の辞令を受けた。
正直に言えば、この二人よりは政に向いている麻呂を御史大夫に取り立てて頂きたかったので、これを機に父上に嘆願した。
「帝にお願いいたしたく。
我が側近、物部麻呂を取り立てて頂く事は叶いませぬでしょうか?」
左大臣、右大臣の前ではあるが、父上に面会できる機会は少ないので、不躾だとは思いつつ意見した。
だが父上の反応はいま一つだった。
「伊賀よ、物部麻呂が亡き藤原鎌足も一目置くほど有能な官人であることは承知している。
令の編纂に従事したくらいだから、政にも詳しかろう。
それ故、太政大臣たる其方の側近として遇することで、其方を補佐する役目を与えておるのだ。
昇進については何れは考えておこう。
だが今はその刻ではない」
何か引っかかる言い方に覚えた。
有能である事は分かっているのに、役職を与えられぬ理由とは一体何なのだ?
しかしその理由は直ぐに分かった。
◇◇◇◇◇
父上との面会を終えた後、蘇我赤兄に呼び止められ、こう言われた。
「大友皇子様、あまり物部には深入りせぬ方が宜しいでしょう。
将来、帝となられる皇子様だからこそのご忠告に御座います」
「物部を重用できぬ理由でもあるというのか?」
「太古の昔、物部は大王に対立した一族です。
罪深き物部氏はその強力な呪術を以て国家転覆を謀る者達の末裔。
懐に入れるには危険です。
常に切り捨てるおつもりで扱われなさる事を進言致します」
麻呂が呪術?
物部が軍務に従事している事は知っている。
しかし物部が国家転覆だと?
……いや、それを言うのなら父上に討たれた蘇我氏の方が余程罪深いのではないのか?
あまりにも物部に対する侮蔑に満ちた物言いに、腹立たしさすら感じた。
しかし私が知らないだけかも知れぬと、反論することは控えながら反論した。
「初めて聞く話だが、物部が危険であるのならどうして滅ぼされないのだ?
若き日の父上と藤原鎌足殿は、蘇我氏の宗主を断罪したのだぞ」
すると蘇我赤兄の顔が僅かに歪み、苦々しそうな顔で答えた。
「蘇我もまた罪深き氏である事は否定しません。
ですが、蘇我入鹿、蝦夷の罪は我が兄である蘇我倉山田石川麻呂が身を挺して誅したのです。
ですが物部は最期まで反抗しました。
故にその罪は未だに許されていないのです。
以来、物部は汚れた氏として忌み嫌われているのです。
親しいからと絆されてはいけません」
もっと知りたいとは思った。
しかし赤兄に聞いても碌な話にならなさそうなので切り上げる事にした。
赤兄の口調は私怨に満ちているように思えたのだ。
そこで場所を変えて、もう一人の大臣、中臣金に聞いてみた。
「中臣殿よ、蘇我殿は物部氏を悪し気に申していたが、それは事実なのか?」
すると金は深く考え込んだ後、静かに語った。
「物部が大王に反抗したのは神代に近い出来事です。
中臣氏、物部氏、忌部氏、卜部氏は古来より伝わる神々を敬い、神道を以て国家安寧に寄与する古い氏族にございます。
一方、蘇我氏は渡来の流れを汲む一族であり、我が国代々伝わる神々への祭祀や風習を彼らの祖国の風趣で染め上げる事を至上の使命としている一族です。
それを阻止するため立ち上がったのが他でもない物部氏なのです。
しかし激しい争い結果、敗北した物部氏は微賤の一族へと堕ちたのです。
以来、物部氏は表向きは軍務、裏では仄暗い汚れ仕事を行う集団となったのです。
人伝に聞いた話では、自害した蘇我倉山田石川麻呂の首を切った者、帝の従弟にあたる有間皇子の処刑を行ったのも物部の者と聞いております。
つまり穢れを恐れぬ一族だけに任される役目です」
物部氏の持つ闇の深さに呆然となった。
麻呂はそのような状況に置かれていたとは今の今まで知らなかった事を恥じる想いすらした。
「それは今も続いているのか?」
「最近は聞いておりません。
しかし裏でどうなっているのかは存じていないだけかも知れません。
誰しもが物部の呪術は怖いのです」
「そうか……中臣殿、教えてくれて感謝する」
以前、麻呂が口にした言葉が私の頭を過った。
『父上は私に何も物部の教えをすることをしませんでした。
なので私は物部としては半端者なのです。
物部の教えを知る前に父上は亡くなりましたので、何も分かりません』
多分、自分の父親がどの様な事をしていたのか、させられたのかを麻呂は知っていたのであろう。
そこそこ長い付き合いで知った気になっていた麻呂の事を、実は何も知らなかったという事実に自分の不明を恥じ入るばかりだった。
◇◇◇◇◇
中臣殿話を聞いて以来、私の麻呂を見る目が変わってきた。
苦労をしているはずのにそれを微塵も感じさせないのは何故なのかと、不思議に思えたのだ。
文も武も優れているが、それを鼻に掛ける事はしない。
それどころか、もっと優秀な者、もっと強い者は他にいると言って、自分の能力をひからかそうとはしない。
むしろ本気でそう思っている節すらある。
そう言えば、麻呂はこうも申していたな。
『多くの方に世話になり、今の私がおります。
父上も物部としての教えはされませんでしたが、私が学ぶ環境を用意してくれました。
競争相手は私なんか足元に及ばぬほど優秀な奴でした。
師の教えは破茶滅茶でしたが、後になって自分のためになっている事を知りました』
競争相手とは、定恵上人のことだろうか?
ならば師とは?
父親ではなさそうだ。
気になったので、雑談のついでに聞いてみた。
「麻呂が師事していたという師匠とは一体どのような方だったのだ?
何処でそのような業を修めたのだろうか?」
すると麻呂は少し考えこんだ。
悩むほどのものなのか?
「……不思議な方でした。
何処でその業を修めたのか私こそ知りたいくらいです。
もし月の都で学んだと言ったとしても信じるかも私は知れませんね」
「何だそれは?
月の都はともかく、唐の都で学んだという事は無いのか?」
「それはないでしょう。
唐にその様な知識や業はありませんでしたから」
何故なのか麻呂の言葉に違和感を感じた。
しかしその違和感の正体が分からず、話を続けた。
「なるほどな。
私も一度は会ってみたいものだな。
その方は政に興味は無いのか?」
「たぶん無いと思います。
いずれは伊賀様に会わせられるかも知れませんが、がっかりすると思いますよ」
「何故だ?」
「予想とだいぶ違いますから」
「じゃあ、そのガッカリする日を楽しみにしているよ」
結局、麻呂の師匠については何も分からないままだった。
しかし、後になって麻呂の言葉に一つだけおかしな所があることに気付いた。
『唐にその様な知識や業はありませんでしたから』
麻呂は実際に唐に居た事がある様な口ぶりなのだ。
だとすれば麻呂が唐の書を原文のまま読んで書けるのも説明が付く。
つまり耳母刀自の兄上である定恵上人と共に唐へ渡り、留学してきたというう事か?
しかし唐へ留学したのであればそれなりの地位に付き、それなりの役職を与えられて然るべきはずだ。
物部だから許されなかったのか?
ならば最初から留学など許されるはずがない。
何より誰にも知られずに唐へ渡る事など出来るはずもない。
つまりそれを可能にする高官の伝手があるはずだ。
……中臣、いや藤原鎌足殿か?
そう言えば、麻呂の父親は鎌足殿の下で働いていたと言っていたな。
耳母刀自の話によれば、麻呂は讃岐評にあるという中臣氏の離宮に住んで居たそうだ。
ならば麻呂は、藤原鎌足殿の後ろ盾を得て、唐へと渡ったという事になるのか?
しかし麻呂は唐ではなく讃岐評で何かを学んだ口ぶりだ。
師とは……定恵上人? それともかぐやという女子か?
いずれは会わせられると言っていたが、定恵上人ならば会わせられるはずはない。
かぐやという女子もお祖母様に殉じたと聞いている。
麻呂の行動の原点となる手掛かりを見つけたような気がしたが、真相にはまだ遠かった。
(つづきます)
少しづつ麻呂の隠し事がバレていきます。




