【幕間】大友皇子の本心・・・(2)
本日より、平常営業に戻ります。
※大友皇子視点によるお話です。
付き人であり、教育係でもある麻呂との奇妙な交流が続いた。
奇妙……そう、奇妙なのだ。
私の知る限り、付き人とは皇子である私を理由もなく敬い、傅くものなのだ。
だが麻呂は違っていた。
無論、私の命に従うが、麻呂は皇子としての私を立てようとはしない。
話し合いにしても、何処となく説教めいてはいるが、意見を押し付ける事はしない。
何と言うのか、まるで密命を受けた者の様な振る舞いにも見える。
父上にか?
それとも……?
◇◇◇◇◇
体調の芳しくない父上の元に、この上なく痛ましい知らせが届いた。
中臣鎌足殿が薨御されたのだ。
言うまでもなく、中臣殿は父上の腹心であり、盟友であり、心の拠り所であった。
そう言えば何時だったか『帝には中臣様という盟友が居られる様に、私が皇子様の盟友となりましょう』と言った男が居たな。
だが父上の落ち込みようは只事ではなかった。
ただでさえ体調が優れなかった様子だが、一気に老け込んでしまった。
父上の施政者としての務めは、中臣殿が父上が処理しなければならない案件を振り分けているのだ。
そうしなければ父上は一日中執務室から出られ泣ぬであろう。
近江令が完成したとはいえ、令を効力のあるものにするためにはやらねばならない事が多すぎるのだ。
戸籍を作る事への反発がことの外大きい。
その様な事を帝が全てやっていられない。
だがそれを行える人材が不足しているのだ。
これまでは中臣殿の超越した能力がそれを可能にしていたが、病に倒れてから父上の負担が増していた。
それなのに父上は、有能な人材を登用しようとしないのだ。
むしろ、遠ざけているかのようにも思えた。
後になって父上のこの行動の理由を知ったが、この時は奇異としか映らなかった。
◇◇◇◇◇
中臣殿の葬儀は父上の意を酌み、盛大に執り行われた。
陵は中臣殿が長く居を構えていた摂津国に造られた。
人伝に聞いた話では、中臣殿は葬儀も陵墓も質素であることを望んだらしいが、父上は真逆の事をしたらしい。
それが良い事なのかどうかは分らぬが、父上としてはそうせずにはいられなかったのであろう。
それを知っているからこそ、何も口をはさむことは誰もしなかった。
だが、中臣殿の不在は永い国政の停滞という重篤な結果をもたらした。
そして中臣殿が亡くなってから、父上は祭祀以外で姿を見せる事は無くなり、年が明けて詔と勅命を発せられた。
この時、初めて父上の考えと自分の身の振り方を知る事となった。
『昨年は政を担ってきた藤原内大臣が薨御するという痛ましい年であった。
余もその痛手から未だ立ち直る事叶わず。
遺された我々はこの悲しき出来事を乗り越え、藤原内大臣の目指す政を推し進めるもの也。
天智の大王の名の下に詔をここに発する。
一つ、藤原内大臣が主として編纂した近江令の発布をここに宣言す。
本日を以て数多の国はこの令に従い政を行うべし。
守らぬ国には令に従いこれを正す。
一つ、数多の国は令に従い、速やかに戸籍を作成せよ。
盗人、浮浪者を調べ、これを取り締まるべし。
一つ、令に従い朝廷における法度を定め、須らくこれに従うべし。
一つ、誣告、流言を発した者は、これを厳しく罰する
一つ、冠位の下の位の者は、冠位の上の位の者の歩行を妨げる事を禁ずる。
無冠の者は言うに及ばず。
一つ、皇弟・大海人皇子は、東宮太皇弟とし帝を補佐する。
以下、東宮太皇弟より勅を下す。
一つ、大友親王は、近江令による太政大臣に任ず。
一つ、蘇我赤兄を筑紫宰の職を解き、左大臣に任ずる。
一つ、中臣金を右大臣に任ず。
一つ、蘇我果安を御史大夫の職に任ず。
一つ、巨勢比等を御史大夫の職に任ず。
一つ、紀大人を御史大夫の職に任ず。
一つ、栗隅王 (くるくまのおうきみ)を筑紫宰の職に任ず』
以前から父上が仰っていた私を政務の中心に据える事が現実となった。
しかも太政大臣?
初めて耳にする役職だが、令に詳しい麻呂の話によると政務を執り行う上で最も上の位に位置する地位だという。
これといった経験が無く、他の者達に比べて若造といって良い私がなっていい地位ではない。
すぐさま父上に面談を願い出た。
◇◇◇◇◇
「よく来たな、伊賀」
「御父上に置きましてはお加減は如何になりましょう」
「良くはないな。
だが其方には期待している。
しっかりと役目を果たせ」
「しかし……私には荷が重くは御座いませぬでしょうか?」
「其方にしか出来ぬ役職だ。
鎌子にも託せなかった役職でもある」
中臣殿にすら託せない?
想像が付かない。
「どうゆう事なのでしょうか?」
「心して聞け。
もうすぐ、大きな戦が近づいている。
それに備えねばならないのだ」
「ならば今のうちに反乱の芽を摘めば宜しいのではないのでしょうか?」
「それが分からぬのだ。
戦が起こるのは視える。
だが、誰が首謀者なのかが分からぬのだ」
父上の話の内容が理解できなかった。
首謀者が分からないのに、戦があるのが見えるとは……一体?
「よく聞け。
私は神の加護を受けている。
神の加護により、私は見知っている者達の将来が“視える”のだ。
蘇我赤兄、巨勢比等が見知らぬ敵と戦っている姿が視えたのだ。
故に戦に勝たねばならぬ。
私に戦を挑む愚か者を根絶やしにせねばならない。
そのためには私の視た”将来”を正しく把握し、対策できる者が必要だ」
神の加護?
突然の告白に心が付いていかない。
しかし帝である父上に否という返事はあってはならない。
「何故、私なのでしょう?」
「私の視える将来に従い、陣を張り、兵を動かせば必ず勝てる。
論功は其方のものだ。
さすれば私の後継者が其方である事に異を唱える者は居るはずもない。
そして私と鎌子の功績を後の世に伝えよ。
私に加護を与えた神を国神として敬うのだ」
ここに至って父上が私に期待する役目というものを悟った。
父の願い、父の希望、父の野心を実現する駒。
「唖不能語」と言われた亡き兄上、建皇子ではそれが叶わなかったのであろう。
故に扱い易い私が後継者に選ばれたという事か?
かと言ってこの場で感情に任せた反論は出来ない。
ひとまずはこの場を離れ、頭を冷やすことにした。
「父上のお考え確と承りました。
しかしながら突然の事に理解が及ばない所が多々あります。
少々、考える暇を下さい」
「ああ、よく考えておく事だ」
こうして父と子というにはあまりに堅苦しい面会が終わった。
残ったものは自分が重要な役職を与えられたというより、父上にとって自分の立場がどのようなものであるかを知った落胆が心を支配していた。
こんな時に相談できる者は……真っ先に浮かぶのは養父、そして二人の妃。
そして麻呂だった。
だが次の瞬間、それが出来ないという事に気付いた。
父上は言っていたのだ。
『神の加護により、私は見知っている者達の将来が“視える”のだ』と。
つまり私の行動や言動は父上に筒抜けなのだ。
そしてこれまでもずっと自分自身が父上の監視下にある事を改めて知って、絶望を感じてしまった。
自分がその様な事を知らずに行動してきた迂闊さを恥じる様な気持ちにすらなった。
もし十市や耳面刀自にこの事を話したら……、辞退したいのであれば辞退すれば、と言うであろう。
もし養父に相談すれば……、父上にお考えを伺っては如何と答えるであろう。
父上にその場面を”視られ”ただけで、父上は私に対して疑念を持つかもしれない。
ではもし、麻呂に相談したとしたらどうなるであろう?
その場面を想像してみると、麻呂の言葉は決して父上の意に反した言葉を発していないが、父上の仰る通りだと妄信する他の者とも違う答えをしてきた事に気付いた。
言葉を選んでいるが、決して結論を焦らず、全て自分で考え、自分で判断する事を勧めた。
もし私が麻呂に相談したとしても、私の考えを尊重しながら、その場面を視ているであろう父上の意に反する言葉を口にしない。
その事に思い至った時に、ようやくこれまで奇妙に見えていた麻呂の行動に合点がいった。
麻呂は父上の『神から授かった力』を知っているという事だ。
つまり麻呂は父上の力を知った上で、官人として、私の付き人として仕えているという事か?
(つづきます)




