【幕間】大友皇子の本心・・・(1)
作者が考えました大友皇子像です。
今回は『大友皇子』『大友皇子との交流』『大友皇子の憂鬱』の大友皇子サイドストーリーです。
次話より、大友皇子の心の変遷や、行動の裏にあった思いなどを描いていきたいと思います。
※大友皇子視点によるお話です。
「初にお目に掛り、恐悦至極に御座います。
物部連麻呂に御座います」
妙な男が私の付き人としてやって来た。
名を物部麻呂。
近江令編纂では中臣殿に認められるほどの実力を示し、大乙上の冠位を賜わったのだそうだ。
“優秀”な男には違いない。
しかしここで言う“優秀”とは、帝である父上に従順である事を意味する。
要はお目付け役という事か?
面倒な事この上無い。
この時はそう思っていた。
「そんな堅苦しい挨拶はいい。
畏まられたところで、余はその器に無い男だ」
つい、棘のある言葉が口の端に登ってしまう。
「畏まるのはほどほどにしておきますが、私は礼儀作法に疎いためとんでもない失礼をしてしまうやも知れません。
あまり馴れ馴れしくしますのはご勘弁願います」
“優秀”という触れ込みのわりに礼儀作法が疎いとは、どうゆう事か?
あまり官人らしからぬ対応に、こちらもつい口が軽くなってしまいそうになる。
「そうか……余は礼儀作法くらいしか習っておらん。
もっと実のある事を学びたかったのだがな」
皮肉も若干混じって入るが、本心でもある。
私としては帝であれ臣下であれ、役に立つ者でありたいと常々思っている。
今の我が身は足らない事ばかりで、嫌になるのだ。
「帝が私をここに送った事には何か理由が御座いましょう。
きっと皇子様には多々期待することもあろうかと思います。
もしそのご期待がご負担であるのなら、帝には中臣様という盟友が居られる様に、私が皇子様の盟友となりましょう」
言葉通りに受け取るのならば嬉しい言葉なのであろう。
しかし私は物部麻呂の言う、“盟友”という言葉に引っ掛かりを覚えた。
“盟友”とは私の敵と敵対し、私の味方に味方をする者を指すのだ。
しかし好むと好まざるに関わらず私は敵が多い。
今の私にとって味方となる者は養父である大友村主殿と后の十市、そして妃の耳面刀自しか居ない。
ただ、意外だったのは物部麻呂が耳面刀自の昔馴染みだという。
そして耳面刀自の兄である定恵上人とは親友なのだそうだ。
偶然にしては出来過ぎだと思うが、後で耳面刀自に確認すればいいだろう。
定恵上人は唐から帰国して早々、その才を妬んだ弟子に殺されたと聞き及んでいる。
物部麻呂も彼の死を悼んでいる事が察せられた。
その様子を見て思わず、心のどこかで思っていた言葉がポロリと漏れ出てしまった。
「友か……、不謹慎だが私は定恵殿が羨ましいと思うよ。
もし余が死んだとして、其方ほど悲しんでくれる友はいまい。
それが悲しく、羨ましいのだ」
「オレ……私はどうしようもない悪い童子でした。
そんな私にも友は出来たのです。
そんな私を正しく導いてくれた方が居たのです。
どうか諦めないで下さい」
麻呂は私よりも年上なのだから、大人なのは違いない。
だが年齢の差を全く感じさせない不思議なところがあり、しばらく様子を見る事にした。
その手始めという訳ではないが、耳面刀自は麻呂を知っているという事だったで、翌朝、会わせてみた。
耳面刀自の声を聞いた麻呂の第一声がこれだった。
「もしかして……ミミちゃんか?」
私ですらその様な呼び方をしていなかった事に思わず嫉妬してしまったが、間違いなさそうだった。
「薄っすらとですが覚えています。
それに綺麗なお姉さまもいらしたのですが、それは間違いでしょうか?」
そしてさらに興味深い事にもう一人、出家前の定恵上人が思いを寄せていた昔馴染みの女子が居るという話だった。
その”かぐや”と言う名の女子が、私の運命に大きく関わるという事を知ったのは随分と後の事だった。
◇◇◇◇◇
麻呂との交流はとても自分にとって利となる事が多かった。
例えば剣の稽古にしても、これまで習った剣は太刀筋とか構えを徹底して教えられてきたが、麻呂のそれは疲れた体でも剣を振るえる心の臓の強さとか、何事にも動じない精神の強さに重きを置いていた。
確かに戦場において何よりも大切な事だと分かるが、それを指摘した者は居なかった。
懐かしそうに師匠の話をする麻呂は何故か嬉しそうであり、照れている様にも見えた。
書を読むのが苦手という麻呂は、その実、唐の言葉を読めて話せるから、和の言葉に直さずに読めるのだという。
宮の中でもその様なことが出来るのは、唐から渡来した氏の者か、唐へ留学した者だけだ。
優秀という触れ込みは決して誇張ではない事を知った。
だが麻呂はそれを鼻に掛けることをせず、耳面刀自の兄はもっと優秀だったと言い、そしてその優秀な定恵上人を凌ぐ優秀なのが“かぐや”という女子なのだという。
後で聞いたら“かぐや”殿は、十市にとっても耳面刀自にとってもの命の恩人であり、義母となる歌人・額田王すらも一目置くお方だったというから驚きだ。
お祖母様の崩御の際、信任の厚いかぐや殿がお祖母様に殉じたのはあまりにも惜しいと思う。
大津宮の人材の不足は私の目から見ても深刻なのだ。
「師の教えは破茶滅茶でしたが、後になって自分のためになっている事を知りました」
麻呂と話をしていると、“師匠”と呼ぶ人物が会話の所々で出てくる。
剣の師匠というのだから”かぐや”殿ではないと思うが、麻呂の周りには教えを乞うのに足りる人物が多く居たのであろう。
せめてその師匠を招く出来たらいいかも知れないと思うのだが、麻呂自身があまり師匠の事を表に出したがらない様子が伺えた。
それが何故なのか、この時は分からなかったが……。
◇◇◇◇◇
麻呂との話は私にとって感銘を受けることが多い。
同じものを見ても、こうも見え方、捉え方が違うのかと感心する。
もし麻呂だったら……、私の持つ悩みを言い当ててくれるような気がした。
そこで意を決して、麻呂に相談してみた。
父上が私に何かしらの職に就くように考えている様子であり、私が権力を持てば皇弟たる叔父上との争いの元になるのではないだろうかが心配だったのだ。
もし辞退できるのであれば辞退しかったが、父上に逆らう事など出来るはずもない。
そう一人悶々と考えていた。
だが、麻呂は私の気苦労を知ってか知らずか、私の意見に反対した。
麻呂が言うには私の行動には悩みや不満を抱えている事が、一目見ただけで分かるのだという。
そして、その事が心に疚しい物をもつ者に対して不満として映るのが宜しくないというのだ。
自分では完全に隠し遂せていると思っていただけに驚きだった。
麻呂自身、悩みが無い様に見えて、実は深い悩みを抱えているというのだ。
それくらいに自分を偽るのが上手いのだと自慢されるのは癪だ。
だからと言って麻呂みたいになるのは勘弁だがな。
悩みの相談ついでに私が帝になるやも知れぬ話をした。
他の者であるのなら、何も意見せず、父上の仰る通りにせよと相手にもしない。
だが麻呂は違った。
私の血筋が帝に相応しくない事。
父上の若き頃に比べて、さして論功を残していない事。
帝となるのにその際に恵まれていない事。
自分であれば帝位を譲られた後、考えればいいと一蹴した。
むろんそれは短慮であり、そうしない私をむしろ良い事だというのだ。
麻呂の言っている事は回りくどいが、決して私の考えそのものを否定しなかった。
その事が新鮮に思えた。
そして私が悩んでいる事を否定しなかった。
その事がとても有難かったのだ。
麻呂の言いたかったことは、要は自分で考え、自分で決意する事なのだろう。
そのための切っ掛けを私に提案してくれるのだ。
まるで麻呂の言う”師匠”の様に。
私の考えを尊重してくれる者の存在を、私は頼もしく思えたのだった。
(つづきます)
大変申し訳ありませんが、明日は葬儀のため更新をお休みします。
明後日からは通常に戻ります。
宜しくお願いします。




