終戦・・・(3)
麻呂の口調が畏まったり、くだけたり、忙しいです。
※第三者視点によるお話です。
船は野洲を出て、母港となる長浜の湊へと向かっている。
船上には物部麻呂がぼーっと南の岸辺の方角を見ていた。
流石に見ていられなくなった大友皇子が声を掛ける。
「麻呂、そんなに呆けているのなら残れば良かったのではないのか?」
「な、何を言うのですか!
私でなければ伊賀様の存在を消せませんし、私以外にはさせません!」
「だけどな、未練タラタラな様子の麻呂を見ているとな。
残ってかぐや殿に思いの丈を伝えるのは今しか無かったのではないのか?」
「未練……というか、どうしても親友だった真人の事が頭にあって、踏み込めなかったのです」
「真人殿とは、耳面刀自の兄上か?」
「ああ、だけど違うんです」
「どうゆう事だ?」
「これまで帝の目があったから本当の事を言えませんでしたが、真人の実の父親は孝徳帝なんです。
耳面刀自ちゃんの母上の与志古様は、孝徳帝が軽皇子だった時の夫人で、その時に真人を生んだんですよ。
真人が中臣になったのは、即位する前に与志古様が鎌足様に下賜されたからです。
つまり真人は鎌足様の養子なんです。
ずっと昔、孝徳帝の息子である有間皇子が蘇我赤兄に騙されて殺されたという事件がありましたが、有間皇子の実の弟である真人も同じように殺されました。
天智帝の企てによって……」
「……そうだったのか。
父上は多くの者を不幸にしたとは思っていたがそんな事まで……。
ならば麻呂はその息子である私も憎いのか?」
「そんな事、聞くまでも無いでしょう。
その恨みを伊賀様に向けるのは筋違いってものです。
私こそ伊賀様を騙し続けていたのですから恨まれて当然です。
父上が天智帝の手によって殺されたって聞いた時は、許せない気持ちでいっぱいでしたけどね」
「麻呂……そうだったのか」
初めて聞く父親の罪深さに大友皇子は声も出ない。
「父上はかぐや様を守ろうとして命を落としました。
その父上が出来なかった事を私は果たしたのです。
もはや恨みとか悲しみはありません。
ただかぐや様に役に立ちたかったという一心でしたから」
「なのに何故、かぐや殿に告白しなかったのだ?」
「本当は真人こそがかぐや様に求婚したかったはずなんです。
あのかぐや様に追いつきたい一心で唐に渡って、一生懸命学んで帰って来ました。
だけど、偉いお坊様としてこれからって時に、殺されてしまって……。
オレ一人だけがかぐや様を独り占めして良いのかって思うと、どうしても言葉が出なかった」
「難儀な奴だな」
麻呂が初めて見せる恋の悩みに、何と言って良いのか分からない大友皇子。
「何て言うのか……かぐや様って別の世界の御方って感じなんです。
幼い時から一緒に過ごしたので不思議に思ってませんでしたが、離れ離れになって思い返してみると凄い方なんだと改めてそう思いました。
神の御使いなのだから当然と言えば当然なんですが、遠く離れていても存在を感じられて、近くに居ても手が届かない……まるで月の様な御方なんです。
月は綺麗で、月を嫌いな人は居ないと思うのですよ。
だからといって自分だけの想い人には出来ないような気がするんです」
「言わんとする事は分かる。
もしあの船の上での舞を観ていなかったら大袈裟だと思っていたかも知れぬが、アレを観た後では……。
本当に不思議な方だったな」
「普段は少し活発なだけで、ごく普通の方なんだけど……。
イザとなったらものすごく頼りになるし、思いやりがあって、賢くて、優しくて、綺麗で……」
「やはり未練なのか?」
「分かんないですよ!
真人もかぐや様の事を想いながら、偉い御坊様の下で十年以上修行して、それでも追いつけなかったって言ってました。
オレが逆立ちしたって、敵う訳ないじゃないですか」
「本当に拗らせていたのだな」
「伊賀様には分からない悩みですよ。
お互い好き合っているのですから。
オレには全然自信がありません」
「まさか親に決められた婚姻を羨ましがられるとは思わなかったな。
だが麻呂にミミははやらぬぞ」
「そんな事をしましたら、オレがミミちゃんに嫌われるじゃないですか。
それに英勝に斬られますよ」
「かも知れぬな。
英勝は耳面刀自を守るために育ったような男だからな」
「昔馴染みの好で、手加減してくれたって良さそうなんですけど」
「私にとっては、英勝は頼りになるから有難い存在なのだがな」
「それは私も同意です。
でも済みませんね。
私の下らない悩みにつき合せてしまって」
「ははは、気にするな。
麻呂とこんな風に話せるのも今だけだ。
これまでは父上の影に怯えて何も話せなかったであろう。
そして美濃についたら、そこでお別れだ」
当然のことながら、大友皇子も父親の異能の事は知っている。
だからこそ、本心を隠したまま、ずっと実の父親に対して服従の姿勢を見せていたのだ。
「そうですね。
寂しいですが、ようやく重荷から解放されるのですから精一杯見送らさせて貰いますよ」
「お前もな。
麻呂が居なかったら、今の私は違う私になっていたであろうな。
改めて礼を言う。
ありがとう」
「私こそ、伊賀様で無かったら私は耐えられなかったかも知れません。
感謝します。
耳面刀自ちゃんのためにも絶対に死なないで下さい。
絶対に生きて下さい!」
「おう!」
◇◇◇◇◇
一行は長浜で船を降り、不破道へと進んだ。
山道を進むと、野上の屋敷からの使者が待っていた。
戦の序盤での書薬、忍坂大麻侶、韋那磐鍬の三人が強行突破しようとしたあの場所である。
「お待ちしておりました。
身代わりの遺体をご用意いたしております」
それは書らの護衛の亡骸だった。
死後ひと月が経過しており、遺体の痛みは激しいが、これならば誰の遺体かは簡単には分からない筈である。
その腐乱死体に大友皇子の衣服を着せ、縄で首を縛って木にぶら下げた。
その様子を見て、大友皇子は本来の自分の姿がこうだったのかも知れないと考えると、自分の選択が決して間違っていなかったのだと思うのであった。
「麻呂、それでは後は頼むぞ!」
「はい、忠臣・物部麻呂は伊賀様をこの地まで見送り、最後の時を見守りました。
ここに居る貴方様はもう皇子様ではありません。
だけど今までもこれからもずっと私の無二の親友です。
どうか無事で」
「麻呂様、ありがとう。
かぐや様と仲良くね」
「ミミちゃんも伊賀様と仲良くな」
お互い涙を流しながら笑い合っての別れだった。
大友皇子だったその男を護る軍勢と共に尾張へと出発したのだった。
◇◇◇◇◇
本当の目的地は常陸国、鹿嶋だった。
鹿嶋は国摩大鹿島命を祖とする中臣氏にとって故郷ともいえる場所である。
しかし航海の途中で船が航行不能となり、その手前で無念の離脱となった。
辿り着いた先は九十九里浜、安房国だった。
だが房総の民は、温暖な気候と自然豊かな環境に育まれ、穏やかで助け合いの精神に満ちており、遠くからやって来た皇子様を受け入れ、大切に匿ってくれたのだった。
(第十一章おわり)
※作者注:『弘文天皇』の名は日本書紀にその名は記されておらず、『大友皇子』としか記されておりません。永らく天皇として認められませんでしたが、明治時代になってから39代天皇『弘文天皇』として追従されました。
以下に大友皇子(弘文天皇)所縁の史跡を列挙します。
・弘文天皇陵(長等山前陵):大津市にある弘文天皇の陵墓とされる。
・自害峰の三本杉(滋賀県不破郡関ケ原町):大友皇子の御首を葬った場所に三本杉を植え「自害峯」と名付けられました。
→ 最後の別れの場面はここです。
・大友天神社(愛知県岡崎市):大友皇子を御祭神とする神社
・内裏神社(千葉県 匝瑳市、旭市):耳面刀自妃を祀る神社
→ 大友皇子一行が辿り着いた場所はこの辺りとしました。
→ 中臣英勝の名の墓石(石棺の蓋)が見つかっている。
・白山神社(旧・田原神社)(千葉県君津市):大友皇子を祀る神社
・福王神社(千葉県袖ケ浦市):大友皇子の子の福王皇子を祀る神社
・大友皇子の墓(神奈川県伊勢原市)
千四百年経った今でも各地に大友皇子の伝説が残っており、特に畿内から遠く離れた房総で顕著です。
今なお語られる大友皇子の伝説を鑑みて、長く語り継がれる大友皇子を悪役にしたくないと考えた結果、この様なストーリーになりました。
追伸:いよいよ父が危篤状態となりました。更新が途絶え気味となりますことをご了承ください。




