終戦・・・(1)
この時、大友皇子は数えで25歳、十市皇女が24歳、耳面刀自が21歳でした。
三人は歴史の荒波に翻弄された人生を過ごしました。
※第三者視点によるお話です。
ここは船上。
武装解除させられる大津宮を横に見ながら、船は北へと進路を変えた。
そして船上では、ひと際高い櫓の上でかぐやが鎮魂の舞を舞っていた。
大友皇子のお願いによるものだった。
かぐやにしても大友皇子にしても、望まない戦を主導した責が消える訳ではない。
少なかったとはいえ、戦死者はゼロではないのだ。
そこで大友皇子はかぐやに伝説の『神降しの舞』を奉って欲しいと頼んだ。
とは言え、船上の櫓の上はかなり高く、ゆらゆら揺れるのだ。
流石に怖い。
怖いもの知らずに思われがちだが、それはキレた後に怖いもの知らずになるのであって、キレる前のかぐやは基本、臆病なのである。
そこでかぐやは最初から神降しの技を使った。
予告付きで。
「それでは暫しの間、櫓をお借りします。
そこに御霊を降ろします」
櫓の下でかぐやが舞う。
すると光の粒子が集まるかのように人の形を成し、同じ動きをトレースしはじめる。
薄っすらと光を放つかぐやの複製である。
船には後宮にあった楽器を乗せてあったが、すぐに取り出せるのは笛しかない。
笛だけの寂しい演奏ではあるが、かぐやの舞はそれすら演出に見えてしまう。
櫓の上のかぐやの姿は朝日に溶けそうな幻想さが相まって、美しい以外に言葉が見つからない。
船上にいる全員が上を向いて見とれていた。
それを操るかぐや以外は……。
そして曲が終わり、舞い終わったかぐやの幻想は、やぐらから足が離れ、空へ空へと舞い上がって行った。
そしてすうっと空に溶けて消えてしまったと思った瞬間、無数の光の粒子となって琵琶湖一面に降り注いだ。
光の粒子には精神鎮静と怪我の治癒の効果を乗せてある。
戦で傷ついた兵士達の身体と精神を一様に癒した。
まさに『神降しの巫女』の再来に相応しい演出であった。
そして、その様子を見た額田王は、思わず歌を囁いた。
『近江の海は人知る 沖つ波君を置きては知る人もなし』
(訳:近江の海の岸辺はだれでも知っているが、沖の波は貴女をおいて知る人はありません)
※万葉集の詠み人知らずの歌です
◇◇◇◇◇
かぐやらを乗せた船の航路であるが、まずは額田王と後宮の采女達を安全な場所で降ろすため、野洲川河口に立ち寄る。
そこには安全を確保するため兵士達が待ち受けているはずである。
そこで兵士と乗り替わり、最初の出港地となった長浜の湊まで北上して下船する予定であった。
つまり、ここが大友皇子と十市皇女との最後の別れの場となるのだ。
好き好んで離れ離れになる訳ではない。
しかし大友皇子の存在を殺すためには、幼い葛野皇子を連れて行く事は出来ない。
十市は母親として残るのだ。
后として残れない十市は、思いの丈を妃の耳面刀自に託す以外になかった。
「東国はとても厳しい場所だと伺っております。
伊賀様、お身体をお大切に。
ミミちゃん、皇子様の事を何卒宜しくお願いします。
伊賀様もミミちゃんを大切になさって」
「十市も無理をするのではないぞ。
一人で辛い事も多かろう。
一緒に居てやれず、申し訳ない。
葛野の成長を願っている。
くれぐれも達者でな」
「十市様、皇子様に決して寂しい思いはさせません。
叔父様の話では、これから向かう地はとても良い所だと伺いました。
私達を快く受け入れてくれると思う。
だから安心して」
お互いがお互いの心配をしあう。
この十五年もの間、幼い時より時代の流れに翻弄されてきた三人は強い絆で結ばれている。
親の世代の不始末が三人を苛むことに、傍らに居たかぐやはやるせない気持ちになる。
野洲に到着すると、予想以上の兵士が待っていた。
全員が舟を降り、凝り固まった身体を解していたところに、馬に乗ったひと際立派な鎧兜に身を包んだ男がかぐやらの前にやってきて、馬を降り傅いた。
軍師の村国男依である。
「かぐや殿、お待ちしておりました。
本当に大変なお仕事を終えられて、さぞお疲れのことと思います。
どうぞゆっくりとお休みになって、これまでの疲れを癒してください」
村国としては頭髪が可愛いあまりどうしても丁寧な口調になるが、同行した大友皇子にすれば、その丁寧な口調すら謀に思え、もしかしたら……と緊張が走る。
そしてそれはかぐやも同様だった。
今回の戦いで露見したことの一つに、村国男依はかなり腹黒いという事がある。
天智帝の一件で、かぐやには天智帝の説得を指示しておきながら、同行した羽田には暗殺を指示していたのだ。
もしかしたら大友皇子の暗殺を企てている可能性も否定できない。
「村上様、どうして大津宮に参られなかったのですか?」
「大津宮には総大将である高市皇子様が参られれば宜しいのです。
それに東宮様が飛鳥京の岡本宮へと戻られました。
後始末は東宮様がお引き受け下さいます。
ですが、この件につきましては極秘裏に物事を進めるため、私が単独で動いております。
なのでかぐや殿がお救いした後宮の方々に何方が紛れているのかは把握しておりません。
だけどご安心ください。
ここに居りますのはすべて讃岐の兵です。
決してかぐや殿の言葉を裏切らぬ者だけで編成しております」
よく見ると、兜の下には見覚えのある顔がちらほらと並んでいた。
すると兵士の最前列に居た武士らしい男が兜を脱ぎながら、かぐやの前に傅いた。
「姫様、これまでのご労苦と困難を拝察するに、それを乗り越えられたご姿を思えば、ただ感服するばかりでございます。
長年にわたり、並々ならぬ苦労を重ねられてきたそのご姿勢に深く敬意を表します。
ご無事のご帰還、皆を代表してお喜び申し上げます」
里長の辰巳が皆を代表してかぐやの帰還を喜んだ。
長年の鍛錬を通して精悍さを増した辰巳は当代一の武士なのであろう。
その辰巳に傅かれているかぐやを見て、周りの者は誰がこの場の支配者である事を知り、此度の造反がかぐやの手腕による事を改めて知った。
その場に居たのは村国だけではなく、大伴御行も同行していた。
この十二年間、かぐやと共に軍の編成や武器の開発の調達、各地での渉外など一手に引き受け、村国の手となり足となり動いてきた。
かぐやに並ぶ功労者と言って良い。
「かぐや様、この先の手配はお任せ下さい。
ご一行は尾張まで行かれるとの事ですが、私が調整します。
なので、かぐや様はご両親の待つ讃岐へとお戻りください」
それまでかぐやは尾張まで同行するつもりでいた。
みすみす天智帝を死なせてしまった後悔が、大友皇子を無事に送り届けなければならないと気持ちにさせていたのだ。
しかし村国と御行はかぐやが安心して一行を見送れる体制を整えてくれていたのだった。
とはいえ、すぐさま『はい、帰ります』とはいかない。
「姫様、評造様は今か今かとお帰りを待ちわびております。
奥方様も気丈には振舞っておりますが、お年もお年です。
是非お帰りし、ご安心させて下さい」
だが、辰巳の言葉がかぐやの迷いに止めを刺した。
そう、もう帰れるのだ。
永く長くとても長い間、帰れなかった故郷。
敢えて思い出さないようにしていた心の封印が溶け、望郷の念があふれ出てきた。
溢れんばかりの涙が頬を伝い、かぐやは泣き崩れた。
ひとしきり泣いたところで、泣きはらした目と止まらない横隔膜のけいれんのまま、その場に居た人達に言った。
「(ひっくひっく)皆さん、ありがとう。
これまで大変でしたが皆さんが私を信じて動いてくれたおかげで(ひっくひっく)天命を果たすことが出来ました。
これまでの親不孝を少しでもお返しするため(ひっくひっく)、私の我儘なお願いに応えてくれた皆さんへお礼をするため(ひっくひっく)、私は讃岐へと戻ります」
「「「「「うぉーーーー!!」」」」」
天女の帰還に兵士達の喜びが爆発した。
こうして、かぐやの長い旅は終わりを迎えるのだった。
(つづきます)
前にもご紹介しました近江付近の簡易地図です。
│ │長浜
│ 琵 │
│ ├──不破→美濃、尾張
│ │
│ 琶 │犬上川
│ │
三尾│ │
│ 湖 │
│ /
│ /野洲川
│南 │
│湖 │
大津宮│ │
/ \/
山科─宇治 瀬田
│ 唐橋
│
乃楽
│
│
│
飛鳥京




