大津宮陥落・・・(6)
わややがな……。
※第三者視点によるお話が続きます。
大津宮の最奥にある後宮へと潜入したかぐやは、懐かしの額田王や靑夷をの再会を果たし、安全に逃げるための算段に取り掛かるのであった。
暫くすると、幼い子供を抱えた若い女性が付き人に付き添われ入って来た。
額田王の娘、十市皇女である。
「母様、宮が大変な事になると伺い、取り急ぎ参りました。
皇子様には出来るだけ早くお目通し願いたいと伝言いたしましたが、それで宜しかったでしょうか?」
「ええ、それでいいわ。
こちらが以前話しましたかぐやさんよ。
貴女にとっては命の恩人と言って良い方です」
「初めてお目に掛ります。
かぐやと申します。
額田様からは多大な御恩を授かり、額田様にはこの上ない敬愛を捧げる者に御座います」
淑やかな采女の猫を被り、十二年ぶりの後宮式の挨拶をするかぐや。
「……綺麗。
貴女がかぐや様?
母様や麻呂様よりお話をお聞きしました。
とてもお綺麗な方だと伺っておりましたが、想像以上のお綺麗さに驚いてしまいました」
「いえ、それは誇張に御座います。
田舎暮らしで大雑把な郎女です」
「そんな事は無いわ。
母様とそれほどお年が変わらないのに、私や耳面刀自様と同じ年に見えますもの。
私もかぐや様の様になりたいわ。
そうでしょ? 母様!」
何気にかぐやの逆鱗をガンガンと殴りつけてくる皇女様です。
「ええ、『神降しの巫女様』ですもの。
私がお婆ちゃんになっても、かぐやさんはずっと綺麗なままだと思うわ」
「母様はもうお祖母様でしょ?」
「あらやだ、そうでした」
親子の会話で痛い所を突いてくる仕打ちに居たたまれないかぐや。
かくなる上はこれしかない。
「それでは今後についてお話させて下さいまし」
秘儀・話題逸らし!✧キラーン!! ……である。
「そうね。あまり悠長な事は言ってられません
明日にでもこの大津宮は戦場となるかも知れません。
かぐやさんにお考えがあるみたいですので、話を聞きましょう」
「はい、分かりました。
でも何故かぐや様が?」
「それにつきましては私からご説明いたします」
後宮では滅多に聞く事のない男性の声が部屋に響き渡った。
物部麻呂である。
麻呂はかぐやの方へ歩み寄り、片膝を付いて口上に近い挨拶をした。
「かぐや様、再びお目に掛かることが叶い、感慨も一入に存じます。
これまでのかぐや様のご労苦を思いますと、言葉もございません。
変わらぬ御威光と麗しいお姿に接し、この上ない喜びに御座います。
この一命、これよりもなお、かぐや様のために尽力する所存にございます」
最後に会った時は、唐から帰ったばかりで和式の礼儀作法に疎く、子供じみた言動が目立った。
しかし、皇子の付き人としての生活が長く、帝を前にしても恥ずかしくない礼儀作法を身に付けていた。
ただしそれを一般人に向けるとなると、些か誤解を生みそうなシチュエーションになる。
「ま……麻呂クン、じゃなくて麻呂様。
堅苦しい挨拶はいいから、説明をお願いできる?」
「はっ!」
「麻呂、其方はその様な挨拶が出来るのであるのだな。
私に対して一度たりともその様に傅いて口上を述べた事があるか?」
すると麻呂が来た方から、もう一人男性が入って来た。
「皇子様~、この方がかぐや様よ。
麻呂様の憧れの方よ~。
すっごく綺麗な方なの」
十市皇女が『皇子様』と呼ぶこの御方は、おそらくは……。
「挨拶が遅れました。
私は大友。天智帝の皇子であり、今は内裏の主です。
かぐや殿のお噂につきましては麻呂より散々聞かされております。
大袈裟かと思っておりましたが、それが偽りでない事をたった今知りました」
「伊賀様!
わ、私はそこまでは言っておりません。
かぐや様の事をありのままに言っていただけです」
こちらでも止め処もない雑談へと突入しそうな勢いである。
まるで現代の職場でワイワイとやっているみたいな様相だ。
こんな時、年長者は心の中でそっと思ったものだった。
『若いっていいね』
だが、何時までも雑談に興じているわけにはいかない。
「麻呂様、おそらくこの場を収める役目は麻呂様が適任だと思います。
可能な限り迅速にご説明して下さい」
「はっ! 命に代えて」
命と等価交換する程の説明とは何ぞや? ……とかぐやはツッコミを入れたかったが、やっとの事で場が治まりそうな時にチャチを入れる事はしない。
麻呂はすうっと息を吸い、怒涛の説明を始めた。
「かぐや様は神より使命を帯びて、下界へと降臨された天女様に御座います。
その使命とは、天智帝の背後におります天津甕星様の野望を阻止する事。
そしてあるべき歴史を守る事にあります。
そのためにかぐや様は神の御技を持つ天智帝の力の及ばぬ場所で力を蓄え、此度の行動へと及んだのです。
結果は御覧の通り、隆盛を誇った近江朝は今や風前の灯火。
大願成就は目の前と言って良いでしょう。
しかし慈悲深いかぐや様は、徒に無辜の者が命を散らすことを良しとせず、身の危険を顧みずに、敵地の真っ只中へと単身参られた、という事に御座います」
やはりチャチを入れるべきだったと後悔してももう遅い。
特にかぐやを知らない内侍司の橙子は引いている。
大友皇子と十市皇女が苦笑しているところを見ると、これがいつも通りらしい。
無論、麻呂とてかぐやの事をここまで持ち上げないと、今後の行動に支障が出ると計算の上でやっているのだが……、かぐやには物部麻呂が大伴御行と重なって見えた。
…………
麻呂の熱弁に場が静まり返った。
「皇子様、御挨拶が遅れましたが讃岐評造の娘、かぐやと申します。
斉明帝にお仕えした采女の一人に御座います。
どうぞ良しなに」
大伴御行の奇行で慣れているかぐやはいち早く立ち直り、居たたまれない空気を払拭すべく声を上げた。
優雅な挨拶で年上の貫録を見せる。
挨拶が遅れたどころか、実際のところは内裏に不法侵入した上での対面なのだが。
「こちらこそ。
大友皇子と呼ばれているが、親しい者には”伊賀”と呼ばれている。
そう呼んでくれた方がいい」
「では伊賀様。
大津宮は敵軍勢に攻め落とされるのが目前となりました。
天智帝はすでに亡く、これを収めるのは伊賀様のご決断に掛かっております」
「かぐや殿、父上は本当に亡くなったのか?」
大津宮の兵士は天智衛を見失って、未だ捜索中である。
いきなり死んだと言われても易々とは信じられない。
「残念ですが……、私もご遺体を確認した一人です。
せめてもの労りをと思い、お顔の皮膚を少しだけお直ししました」
聞き様によっては死に化粧を施したかのように聞こえるが、実際は鉱毒で爛れた皮膚の治癒である。
「なるほど、父上の化粧の下がどの様になっているのかを知っているという事は、そうなのだね。
誰も知らない筈の秘密を知られている以上、信じるしかない。
つまりはこの宮に大王に連なる者は私一人だという事か」
「はい。伊賀様がどの様な結末をお望みなのか、それをお聞きしませんと今後の行動が決められません。
ただし、望まない結末というものもあり得ますので、熟慮の上ご決断頂きたいと進言致します」
「いや……、熟慮は散々した。
決心もついている。
私は生き永らえるべきではない。
私以外の者を助けて頂けるのならそれで十分だ」
「皇子様!!」
「伊賀様!!」
先程の遠慮のない会話から、仲の良さげな様子が伺える物部麻呂、十市皇女の声が重なる。
「他にも道は御座いますよ。
少なくとも東宮様に伊賀様を亡き者にしようとするお考えは御座いません」
かぐやも大友皇子に害が及ぶ事はしたくない。
つい昨日の事、天智帝の事で後悔したばかりなのだ。
「そうかも知れない。
だが、曲がりなりにも私は弘文帝として一度即位してしまっている。
帝を追い落として、叔父上が即位したとすれば、黙っておらぬ者がおろう。
私が生き残れば、私を担ぎ出す者も出るだろう。
逆に私の命を突け狙う者も居よう。
ともすれば幼い息子、葛野に手が伸びるかも知れぬ。
そうなる前に私は政の世界から去るべきだ」
大友皇子は父親とは真逆ともいえるほど、国政の正常化を願う好青年だった。
だからこそ、ここで命を落とすことはあまりにも惜しい。
「そうはさせぬよ」
突然、男性の声が響いた。
年を取った壮年男性の声だ。
声のする方向を見るとそこには右大臣・中臣金と、大友皇子の妃であり、金と同じ中臣氏の一員でもある耳面刀自がいた。
(つづきます)




