大津宮陥落・・・(2)
※第三者視点によるお話です。
***** 山科の隠れ家にて *****
讃岐からの別動隊が天智帝のご遺体のある山科の隠れ家に到着する前日。
かぐやと羽田矢国が、天智帝の亡骸を前に座っていた。
護衛は周りを警戒するため寝ずの番であり、部屋には二人きりであった。
「羽田様、此度の事で自分の浅慮につくづく嫌気が差しました」
静かに気落ちした言葉を溢すかぐや。
天智帝が誰にも気付かれずに自決できたとは流石に思っていなかった。
「……騙すような真似をして申し訳御座いません」
自分が軍師・村国男依から天智帝暗殺の密命を帯び、同行していたことは明らかだ。
惚けることも出来たが、如何せんバレバレである。
何より羽田自身、自分が悪い事をしたとは思っていなかった。
「羽田様が謝罪する事ではありませんし、まして羽田様に感情をぶつける事が筋違いである事も重々承知しております。
ですが、それに気付けなかった自分がとても情けなく思います」
「いえ、かぐや様を謀ったのは私です。
責はすべて私に御座います。
元より私は敵軍に寝返りし者。
如何なる処罰も覚悟の上です」
「そう仰ることで私が何も言えなくなるとお分かりの上でのことなら、それは卑怯ではありませんか?」
「面目も御座いません」
「むしろ羽田様は難しい立場にありながら、ご自分の役目を全う為さろうとしたのです。
私が自分の思い通りにならない事を羽田様のせいにする事こそ、筋違いです。
ただ……自分が情けないだけです」
「かぐや様はこの男に生き永らえて頂きたかったのですか?」
二人の前に横たわる天智帝の亡骸は、かぐやの御技のおかげで鉛入りの白粉によってボロボロになった皮膚が薄皮一枚分だけ再生されていた。
血流のない亡骸では死滅していない細胞の再生が限界なのだろう。
だが、それはまるで在りし日の中大兄皇子を思い起こさせるものだった。
「分かりません。
ただ何人たりとも死んで欲しくなかったという、私の我儘なのかも知れません。
どの様な理由があれ、天智帝が非道の限りを尽くしたのは間違いありませんから。
でも、死ぬ必要があったか、私には分かりかねます」
「私如きにかぐや様の御心を推し測ることは出来ません。
もしかしましたら、軍師殿はかぐや様が気に病むことを承知した上で、私めに命じられたのかも知れません。
軍師殿からはきつく口止めされておりましたから」
「それは出発前、野上でということですか?」
「はい、その通りに御座います。
『もしかしたら天智帝が大津宮を脱出することがある。その時はかぐや殿と共に先回りをして天智帝の逃亡を阻止して欲しい。もし誘拐することが叶ったならば、かぐや殿の目の届かぬ所で始末せよ」と。
そう申し付けられました。
何故私がその役に適しているのかもご説明されました」
「それで羽田様はご納得されましたか?」
「納得も何も、それが当然だと思っておりました」
「そうですか……」
21世紀と7世紀の価値観はあまりにも遠くかけ離れているのだ。
現代の価値基準を以てしても天智帝の行った事は易々と許されるものではない。
時代も規模も違うが、ルワンダ、ボスニア、カンボジアで行われた集団殺害罪と大差はない。
しかもかぐや自身もまた被害者の一人だ。
それでもその死を悼むかぐやの姿は奇異に映るだろう。
そこでかぐやは対話を諦めた。
残るは質問だけだ。
「天智帝の最期が如何だったのか……それだけお教えください」
「は、掻い摘んでご説明しますと……
現在の近江朝の凋落を帝の人望と人を見る目の無さの故と嘆いておられました。
政とは清濁併せ呑む度量が無ければならず、帝が自ら濁りを身に受けたその結果だと」
かぐやの期待した言葉で無い事に失望の色が見える。
「またこうも申しておりました。
『帝には目指すべき政の姿がありましたが、本来であれば何百年と駆けて変わるべき事を急ぐために邪魔となる者の始末に血道をあげてしまった。
しかし東宮様ならば、帝が果たし得なかった政を引き継げるであるだろう』とも申されておりました」
「では、天智帝は東宮様への帝位の禅譲をお認めになっていらしたのですか?」
「然り。しかし戦は始まってしまった以上、どちらかが死ぬまで収束はせぬと申されておりました。
心優しい東宮様が帝を亡き者とすれば気に病むことをご心配され、殺されるのではなく自ら命を絶つのだと、東宮様へ伝えることを厳命されました」
「つまり羽田様は全く手に掛けてないと?」
「私が刀を差し出しましたら、私の剣以外で命を絶てば自決とは思われないと申され、水辺を案内させられました。
途中、水辺まで肩を貸すことすら止められました。
かぐや様に知られますと自決を止められるとお思いになったらしく、声を掛けましたら叱られました」
「そこまで……」
「そして最後に何か言い残す言葉を伺ったのですが、一言『無い』とだけでした」
「そうですか……。
では迎えが来ましたら、羽田様はその者らと共に飛鳥の方へと参られて下さい。
東宮様も程なく吉野より上京なさるはずです。
偽りの無き報告をお願いします」
「承りました」
◇◇◇◇◇
翌日、讃岐からの兵士五百が隠れ家に到着した。
既に見慣れた鎧兜の軍勢は見紛うはずもない。
その殆どが讃岐で訓練を受けた領民達で、競争率6倍の難関を潜り抜けた精鋭揃いだ。
軍勢の先頭にいるのは、里長のサイトウだ。
12年経った今も、兜の下は蒸れ知らずのピッカリだ。
見張りをしていた羽田の護衛らに引き入れられ、隠れ家の庭先へと案内された。
やって来た兵士達は気もそぞろだ。
会いたくて会いたくて溜まらなかった天女がいよいよ目の前に来るのだ。
さして広くない庭先に五百名の兵士がぎっしりと並ぶ。
規律の行き届いた軍勢ならではである。
これを見ただけで羽田は圧倒されてしまった。
個々の強さと集団の強さ、そのどちらにも近江軍は勝てない事を改めて思い知らされた。
そこに開け放たれた戸からかぐやが姿を現した。
兵士らの声にならない声、必死に抑え込んだ絶叫が一斉に上がった。
本当は大声を上げて叫びたいのだろうが、これまでの厳しい訓練で勝手な行動を慎むことを叩きこまれてきたのであろう。
「皆さん、これまでずっと私のお願いした事に応えてくれてありがとう。
まだ戦は終わっておりませんが、一人でも欠けることなく讃岐へと戻れることを私は願っております」
「「「「はっ!」」」」
五百人が一斉に返事をすると、音圧が物凄くなることを、たった今羽田は知った。
「かぐや様、お久しゅう御座います。
代表して里長たるサイトウが申します」
先頭に立つ光る汗と頭が眩しいサイトウが発言した。
「もし叶いますのであれば、馬見の元・国造殺害の罪で罪に問われた者達の戒めをここで解いて頂けませぬでしょうか?」
よくみると五百名の兵士の中で1/10がサイトウと同じ髪型(?)である。
「サイトウの目から見て、領民は如何でしたか?」
「皆真面目に領地の改革に取り組んで参りました。
おかげで今では讃岐にも劣らぬ繁栄ぶりで、何名かは既に黄泉の国へと旅立っておりますが、逃亡した領民も戻り、人も増え頭数は四倍に増えております」
「そうですか。
よく頑張りました。
これまで皆さんの前に現れることが出来なくてごめんなさい」
そう言ってかぐやは眩しい頭に光の玉を一斉に当てた。
チューン!×50
すると彼らの頭からはスプラウトの様にニョキニョキと毛が生えてきて、目に入る光の量が10%ほど下がった。
如何に訓練された兵士らであっても、一斉に歓声が上がるのは無理も無かった。
お互いに涙を流しながら、硬い鎧を身に付けたまま抱き合ったり、刀の鞘がガチャガチャと音を立ててぶつかり合った。
かぐやにしても、逃亡生活中気になっていた事だったので、少しだけ心の荷が下りたのだった。
しかしかぐやには天智帝の遺体を引き渡した後、行かなければならない所があるのだ。
懐かしい讃岐の領民たちとの再会を喜びたかったが、今はまだ戦の最中。
心を鬼にして、かぐやを慕う領民たちにあえて厳しい言葉を投げつけた。
「皆さん、再会を喜びたいのは私も同じです。
しかし今はまだやらねばならない事があります。
決して気を抜かない様に!」
「「「「はっ!」」」」
浮かれた空気は一気に四散し、音圧のある返事が返って来た。
「では羽田様、皆の先導をお願いいします」
「承りました。
それにしましても讃岐の領民は、永く不在だったかぐや様の事をずっとお慕いし続けていたのですな。
17……いや18年前。私もまだ若かりし頃、近江の地で『神降しの巫女』様のお噂を耳にしました。
かぐや様が幾つになられましてもその忠義が変わらないというのは、さすがはかぐや様の人徳なのでしょ……」
チューン!
「う?」
「では宜しくお願いします。
皆さんもごきげんよう」
そう言ってかぐやは大津宮へと駆け出した。
余談ではあるが、後日、羽田の眩しくなった頭をみた高市皇子と軍師・村国は肩を叩きながらこう言った。
「羽田殿は我々の真の仲間入りをされたのですね」




