天智帝の最期・・・(3)
作者本人が中大兄皇子に思い入れがあったのだと、思い直しながら書いております。
※かぐやによって山科にある隠れ家に誘拐された天智帝視点によるお話です。
多分、私は今日殺されるだろう。
私が生き永らえたまま、大海人が即位する事はあり得ない。
だが今更、死にたくないという程、生に終着はしていない。
ただ、私の死後、これまで積み上げられてきたものが否定される事が嫌なのだ。
そのためにも大友への譲位を正当化し、私を手に掛けた大海人が即位できない状況を作り出す事。
ただそれだけが私にできる抵抗なのだろう。
もし可能性があるとしたらかぐや自身のお人好しにつけ込むことか?
この娘は情に流され易い。
唖であった建への献身が何よりもその表れだ。
千四百年隔てた者の思想の根本が、我々と違うとも言える。
「大方、この後其方が私を殴り殺すのであろう」
「面倒臭い事を仰らないで下さい。
だれが好き好んで人を殺そうって思うのですか?
この場に居ますのは上皇様の知らぬ者ばかりですので視えていなかったでしょう。
お供の者達の記憶は消しました。
故に助けは来ません。
お諦め下さい。
大津宮は風前の灯火、
『驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ』に御座います」
やはり生温い奴だ。
好き好んで人を殺す者なぞは稀だ。
だがやむを得ないと思えば躊躇わないのが、施政者というものなのだ。
諦めろなんて言う前に処すのだ。
ただ一つ、気になったのが……見覚えがある言葉が混じっていた。
『驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし』
妙に心に引っ掛かる言葉だった故、記憶に残っていた。
鎌子の持っていた扇子に書かれていた言葉だ。
ちらりと見えただけであったが、私の一度見たものを忘れぬ異能はしっかりと覚えていた。
鎌子はあの言葉を、施政者としての自分を戒めるつもりで持っていたのであろう。
「……同じ言葉を鎌子にも言っていたな」
「ええ、初めて中臣様にお会いした時、その言葉を甚いたく気に入られて扇子に認めて差し上げました」
「つまりは私への当てつけか?」
奢れる者とは私の事を言いたいのか?
「そう思われて構いません。
しかし、千四百年後に知られる天智帝……中大兄皇子様は藤原鎌足様と共に新しい政『大化の改新』を成し遂げた方としてその名を知らぬ者はおりません。
東宮様が指示なさいました国史の編纂におきまして、中大兄皇子の名は燦然と輝きを放っております。
現実はこんなにも違うのに……」
酷い言われようだ。
だが『大化の改新』という言葉の響きは気になった。
正にあの時が苦難の始まりであり、同時に私の人生の絶頂だったようにも思う。
「国史か……、鎌子も編纂したいと言ってたな。
藤原鎌足の名も有名なのか?」
国史については鎌子が常々その必要を説いていた。
私にはそれよりも先に片づけなければならない事が多かった故、最後までその意見を聞き入れてやる事は出来なかった。
私の中に残る後悔の一つだ。
「ええ、初めてお目見えした時には心の臓が止まるくらい驚きました。
神代にも近い著名な方が、自分のすぐそばに座っておられるのですから」
「そうか……ならば帝を中心とする政は成ったという事か?」
「いいえ、残念ですが一時だけのことです。
今後、帝は苦難の道を歩まれます」
鎌子の名が残りながら、『大化の改新』は失敗したというのか?
それとも……
「どうゆうう事だ?
一時だけとは、結局失敗したというのか?」
「三十年後、律令は為ります。
ですが完全な物には至らず、遠からず制度が行き詰まります。
その混乱の乗じて勢力を増し、帝を傀儡として別の者が力を振るいます。
例えて言いましたら、難波京に一人残された孝徳帝に代わって中大兄皇子様が実権を握っていたみたいにです」
叔父上の孝徳帝の姿が目に浮かぶ。
鎌子は叔父上を傀儡として生き残させるつもりでいた。
だが私は後々の禍根となる事を恐れ、宇麻乃に命じて孝徳を始末したのだ。
自分があのような立場になると考えただけで、恥辱が体中の血管を駆け回るような感覚になった。
「誰だ? その者達を廃してやる。名を教えろ!」
今の私にその様なことが出来るとは思えない。
しかしそう言わずにはいられなかった。
大伴か?
阿部か?
それとも蘇我が復活するのか?
「……藤原氏です」
「!!!」
完全に虚を突かれた。
鎌子が生涯を掛けて積み上げてきた『大化の改新』をその子孫がぶち壊すというのか?
藤原氏を名乗る者は、今一人しかいない。
鎌子の遺児、藤原史だけだ。
脅威に足るとは到底思えない。
一体どうして?
「……鎌子の息子がそうなるのか?」
「いいえ、史様は今はまだ十四歳。
養父の元で学びに励んでらしていると聞き及んでおります。
その卓越した能力が鸕野皇女様の目に留まり、重用されるはずです。
つまり史様が後の藤原氏の祖となるのです。
藤原氏が専横を極めますのは、三百年も先のことです」
三百年もの時の流れをさらっと語り、言葉の端々にまるで見てきたかのような言葉が並んでいる。
嘘と断じてしまえば楽だろう。
だがもっと知りたいという気持に贖えなかった。
「もし……史を亡き者にすれば帝による政が守られるのか?」
「歴史は大きく変わるでしょう。
しかし、歴史の流れには逆らえないと思います。
藤原氏もまた次の勢力によって歴史の片隅へと追いやられます」
この言葉を聞いて、一瞬にして怒りが解けた。
藤原が衰退するという事はつまり、蘇我氏の二の前ということか?
大王の政が復活するのであろう。
そのつもりで、質問を重ねた。
だがしかし、その答えは想像を絶していた。
「ふ……ザマは無いな。
誰だ? 次の勢力とやらは?」
「武士です。侍とも申します」
「さむらい? そんなものは知らんぞ」
「宮の外で剣を持って、帝を警護する者達です。
侍者達です」
「連中に政など出来るはずが無かろう。
国が亡ぶぞ」
「残念ですが、滅びません。
力のあるものが国を支配するという形態は、今とさほど変わりがありません。
上皇様が”未来視”でご覧になられました、私達の軍勢。
あれこそが国を支配する者達の姿なのです。
現に、数で勝る近江の兵士達は為す統べなく敗北しました」
蘇我赤兄を通して”視えた”敵の軍勢。
あれが将来、国を支配する侍の姿だと?
確かに手も足も出ずに近江の軍勢は追い払われたが、あれは赤兄が無能だからではなかったのか?
しかし、現実として我々は追い詰められている。
つまりは武力か?
「つまりこの国は戦の絶えない獣の国へと化していったということか?」
「そうとも言い切れません。
支配者が変わっただけです。
これまで蘇我氏や上皇様が争っていたように、強力な支配者が現れるまで権力を巡る騒乱は終わらないのです」
「私こそが強力な支配者を目指していたのだ」
「はい、一時はその試みは成功しました。
三十年後、律令は一つの完成へと至ります。
しかし、完全ではありませんでした。
民の負担を考慮しないその制度に民草はついて行けず、土地を放り出して逃げてしまいます。
その結果、田畑は荒れ土地が不足します。
それを補うため、場当たりな政策をした結果、朝廷に寄与しない土地(荘園)が多く存在することになるのです。
それが藤原氏の権力の源となったと聞いております」
「ならば、それから取り上げてしまえば良かろう」
「当然、様々な試みがなされたみたいです。
しかしその過程において、土地を守る侍が台頭したのです」
「ならば……打つ手はないというのか?」
あまりにもあり得そうな筋書きに、言葉が続かない。
千四百年未来から見た我々はそこまで盲目だというのか?
「歪みが歪みを産み、次の歪みを生み出す。
その連鎖は人の予想を超えます。
遠い未来の国の在り方がどうなのか想像のつく者はおりません。
施政者とは解答なき課題を投げかけられている方々なのだと思います」
この言葉は……。
阿部内麻呂が居て、鎌子が居て、私と大海人が肩を並べて幼い娘の話を聞いていたあの時。
当の本人が発した言葉だ。
……そうか。
つまり新たな政が始まったあの日。
かぐやはその行き着く先を知っていたという事なのか。
「お前はあの時、既にこの結末を知っていたというのか。
何も知らぬ我々を嘲あざ笑って、さぞや気分が良かったであろうな」
敵うはずがない。
私が視える未来とは精々数年先であり、殆どが数日前の未来なのだ。
千四百年も未来から見た我々の足搔きなど、取るに足りぬものでったのであろう。
蚯蚓が地を這い回るような滑稽さであったのであろう。
これまで心を支えていたつっかえ棒のようなものがコトリと音を立てて外れたような気がした。
そんな私を見て、勝ち誇ったかのようにかぐやが件の光の玉を出してきた。
大きく、青い球だった。
所々模様の様なものがある。
「何だこれは?
お前の持っている能力の自慢か?」
「私達が大地と呼んでおります足の下はこのような形をしております。
未来ではこれを『地球』と呼んでおります。
この島が和国です」
これが……私達が大地と呼んでいる物の正体だと?
ゆっくりと回る『地球』とらやを見ながら、私は一人考えた。
(つづきます)
(予告)次話より長い天智帝(中大兄皇子)の回想&懺悔タイムに入ります。




