天智帝の最期・・・(1)
※天智帝視点による第10章『開戦前夜』の続きのお話。一部過去話と重複しています。
『不破評で造反』
その報を耳にした時、やっと動いたのかという待ちわびた気持ちと、何故不破なのかという疑問が同時に沸き起こった。
しかも、その軍勢は大海人の庶子、高市の兵だという。
美濃国の国司が後ろ盾となったか?
しかし大海人は動かない。
奴が後ろで糸を引いている事は間違いないはずだ。
分かっているのは高市という大海人の小倅が、大友、赤兄、金の三人に対して造反を企てたという事だけだ。
もし私が表に出られるのであれば、その様なふざけた物言いは頭から否定してやりたいのだが、もはや私は人前に出られる状態には無かった。
それを見越しての造反なのか?
何故、それを知っているのか?
裏切り者がいるのか?
しかし誰一人として、そのような者は見当たらぬ。
私に対して従順な者達を選りすぐったのだ。
激しい頭痛は睡眠を削り、正常な判断が付き難くなる。
考えても考えても正しいと思える結論に至らない。
もしこんな時に鎌子が居てくれたのなら……。
もし鎌子ならば、その様な造反をいち早く察知し、芽のうちに握り潰していたであろう。
だがそれは仕方がない。
鎌子が特別過ぎるのだ。
愚鈍が多い事は否定できぬが……。
だが、敵のその姿が”視えぬ”まま、未来視で視えたのは、巨勢比等と蘇我果安の同士討ちという情けない姿だった。
或いは戦場から逃げたいがばかりに、自ら腕を矢で傷付けて逃げ帰ろうとする蘇我赤兄の姿だ。
未来視が上手く機能しなかった理由。
それは敵が相手の軍勢を殺さない事だった。
好き好んで我が軍勢の兵士を殺して欲しいわけではないが、私の能力の発動条件が人の死なのだ。
人の死が多ければ多い程、より早い時点での未来の画が視える。
しかし敵軍勢は、剣を振るえども人を殺めず、お互いの被害が少ない。
本来であれば喜ばしい事なのだが、未来を視るのには都合が悪いのだ。
殆ど、”今”に近い未来しか見えないのだ。
私の未来視は、死者が多く出る戦では無類の強さを示すはずだった。
戦死者の多い個所に予め兵士を補充させればいいのだ。
しかし、戦死者の異様な少なさが私の目を曇らせるのだ。
まるで土蜘蛛(※)を敵に回しているかのような薄気味悪さだけが心に重く圧し掛かってくる。
(※日本書記にも出てくる異形の物の怪。大王に恭順しない土着の豪傑・豪族・賊魁などの蝦夷への蔑称というのが通説。西洋の伝説ではバルバロイがそれにあたり、野蛮人の語源)
そうしているうちに、飛鳥古京で異常事態が起こっている事に気付いた。
飛鳥古京が敵の軍勢によって占拠されており、長坂王が岡本宮に軟禁されているのだ。
あり得ない事だった。
奴らは一人も殺さずに飛鳥古京を占拠したのか?
蘇我赤兄が殆どすべての兵士を大津宮へ引き上げさせたのも痛かった。
よもやここまで愚鈍とは……。
結局、私の目に視えた戦いは、不破で不意打ちを喰らった巨勢の姿と、飛鳥へ引き返した赤兄が返り討ちにあった戦いだけであった。
そして戦死者が異様に少ないまま、戦場が乃楽から橿原へと場所を移していった。
これでは戦況が有利か不利なのかも判断が付かなかった。
◇◇◇◇◇
造反が起きて十日、戦局が膠着したが依然として敵の姿が見えてこなかった。
その原因は飛鳥方面の将・大野果安の慎重な性格と、不破方面の巨勢比等の臆病な性格によるものだった。
だが不破の向こうには造反の首謀者、高市が居る。
奴を捕まえてしまえば全てが解決するはずだ。
息子、大友に指示を出した。
「不破へ増援を二千五百出せ。内、千を三尾城に回せ」
飛鳥から来る五百人を治療して送り出せ」
守りが空っぽになる大津宮には援軍を頼んだ
そして飛鳥にも決着を付けるべく、最後の札を切った。
「飛鳥方面は難波の紀大人と連携せよ」
出し惜しみしている場合ではない。
何故なのか、援軍の集まりが悪い。
筑紫の大宰・栗隅王に至っては出兵を拒否する始末だ。
裏で大海人が暗躍しているのかも知れぬが、確証がない。
しかし、結果は散々だった。
三尾城は敵の手に落ち、讃岐では敵軍勢に万を超す援軍が集結し取り囲まれた。
そしてその経緯で分かった事が、かぐやが生きているという事実だった。
かぐやは私が”視えて”いる事を承知で、神から授かった御技を”覗き見”と抜かしやがった。
「夜な夜な知り合いがまぐわっている姿も覗き見ているでしょう」
帝たる私を下卑た下郎呼ばわりをして挑発する姿がハッキリと見えた。
『絶対に許さねぇ! 今度こそ必ず殺してやる!』
心の中でそう叫び、激高した。
だが、心のどこかで私は恐れていた。
そう……恐ろしいのだ。
剣で斬り刻んでも死なず、腕を切り落としても元通りになる。
物の怪みたいに迫ってきたかぐやが私を殴った。
人に殴られたのは後にも先にもあの時だけだった。
後で見た私の顔はグチャグチャだった。
歯が何本も折られ、もし部下の助けが無かったら、私は女の拳で殺されていただろう。
しかし、恐ろしいのはそれだけではない。
あの娘が只者ではない事を、鎌子ですら認めていたのだ。
つまりは鎌子を敵に回すのと同義なのだ。
あの娘の非凡な点は、他人を使い、物事を段取りよく運用するのが異様に上手い事だ。
難波京から高官達を飛鳥へ引き揚げさせる際、裏で手を回していたのがかぐやだったと鎌子は言っていた。
間人の説得もかぐやの存在抜きには無しえなかったそうだ。
母上は生前言っていた。
かぐやを重用する理由は、建の世話役であるからだけではない、と。
『神降しの巫女』としての箔だけでもない。
官人として優れているのだと言っていたのだ。
かぐやは引き受けた仕事を事も無げにやってしまう。
他の女儒ならば数日掛かりそうな仕事も一刻も掛からず終わらせる。
しかもその仕事ぶりは正確で確実、そして丁寧なのだと。
その姿が後宮全体にいい影響を与えているのだと、誇らしげに言っていた。
そのかぐやが十年も掛けて戦の準備をやって来たというのか?
恐ろしい。
認めたくはないが恐ろしい。
私が神から授かった力の及ばぬ敵が、国をも亡ぼす力を蓄えて全力で私を殺しに来たのだ。
大海人が吉野で悠然と経を読んでいられるわけだ。
全てをかぐやに丸投げし、高市を首謀者に仕立てあげて、私を追い詰めている。
どうする?
このまま私は大津宮と共に燃やされるのか?
……嫌だ!
あのような出来事は、二度と……いや三度と味わいたくない。
叔父・孝徳によって皇子宮を焼け出された。
そして宇麻乃の不可思議な技で顔半分を火に焙られた。
……已むを得まい。
私は最後の手段に出た。
太政大臣である息子の大友、右大臣の中臣金、物部麻呂を前に命じたのだ。
「私は退位する。大友に帝位を譲位する」と。
反論は聞かぬ。
今すぐにでも譲位するのだ。
政や戦において素人だった中臣金を私の傍に仕えさせていた理由はそれにあった。
私の身が危なくなったのであれば、大海人を飛び越して大友への帝位の譲渡を行わせるためだ。
金はしぶしぶであったが譲位の儀を受け入れた。
物部麻呂がこの場に居たのは僥倖だった。
石上まで神器を一日余りで持ち帰ってきた。
忌部が欠けているのは痛いが、後で辻褄を合わせればよい。
場所は私の寝室ではあったが、神器の継承が執り行われ大友への譲位が為った。
これで高市の言う、『大臣らへの造反』という建前が成り立たなくなる。
弘文帝となった大友に対して造反を企てるのであれば、かぐやも高市も帝に仇名す反乱軍だ。
もし大友を殺せば、武力による帝位の簒奪となる。
だれも従わぬであろう。
この隙に私は大津宮を離れ、身体を癒し、再び重祚するのだ。
例え私が討たれたとしても、母上がそうだったように皇后の倭皇女が帝位に就けばいい。
皇子は大友だけではないのだ。
この時になって建が居なくなったことに安堵することになるとは……。
◇◇◇◇◇
準備が整い、山崎宮へ移る段となった。
幸先よく、私の行く手にかぐやと裏切り者の阿部比羅夫が立ちはだかる姿が”視えた”。
そしてかぐやを撃退する場面もだ。
護衛にはかぐやの怪しげな技の破り方を伝えた。
そしてもし同行する護衛らに何があろうと亡骸を回収せず、そのまま進むよう指示した。
その隙に敵が反撃することもあり得るのだ。
これで全てが上手くいく。
……そう思っていたのだが、私は輿ごと敵の手に落ちてしまったのだった。
(つづきます)
やっと、これまでのあらすじ部分。
次話こそ、天智帝の本音が……聞けるか?




