天智帝誘拐……(2)
※山背国山科の山奥にある隠れ家にて
天智帝の誘拐に成功した私達は、棺の様な箱の中に閉じ込められた天智帝と対面しました。
箱には真綿らしいクッションが敷き詰められ、身体を動かせない天智帝への身体の負担を小さくする構造になっていました。
噂には聞いておりましたが、天智帝の衰弱は著しくてほぼ寝たきりに近い状態みたいです。
憎悪しているであろう私を目の前にしても、ただ睨むだけで全く動きません。
それにしましても……本当に気味が悪い形相です。
化粧で真っ白な顔に、ぎらついた眼。
長年の闘病生活でやせ細って、天智帝は鎌足様より十歳若いはずですが、全然そうは見えません。
「くっ……こ……殺せ……辱め…を受け……まで…生きる…つもり……無い」
いきなりのクッコロ発言です。
女騎士ではなく魔王が初見でクッコロするのは珍しいパターンかも知れませんね。
途切れ途切れの言葉が体調の悪さを物語っております。
それにしても箱の中で粗相 みたいで、少し臭います。
寝たきりですから尿瓶みたいなもので回収していたのでしょうけど、今は世話係もおりません。
仕方がないので、羽田様の護衛の方に天智帝の身体を清潔にして頂くようにお願いしました。
本当は私がやってもいいのですけど、おそらく拒絶するでしょう。
その間に私は箱の中の汚れていない真綿を敷き詰め、野宿で使う寝具を上に敷いて簡易マットレスを準備しました。
そこまでしてあげる義理はありませんが、あそこまで惨めですと放っておく気にはなれません。
何だかんだと私はお人好しな現代の日本人なのです。
人を助くるは菩薩の行、ですね。
身綺麗になって清潔な寝具に横たわった天智帝ですが、化粧はそのままです。
なんでも顔を背けて顔を洗うのを強烈に拒否したのだそうです。
たしか化粧の理由は、宇麻乃様が仕掛けたガス爆発の炎を浴びて、火傷したのを隠すためだったはずです。
それを見られるのが余程見られるのが嫌なのでしょうけど、今はむしろ顔だけが青白くベッタベタに白塗りしたオバケみたいで、まるでコント芸です。
アイーン♪
仕方がなく、護衛さんに天智帝の顔を押さえさせて私が水に濡らした布で拭き上げました。
「く……止めろ。余に……触る……な」
天智帝が抵抗しようが容赦なく拭き上げていきます。
嫌がる事ならば尚の事やってあげたくなります。
何だかんだと私はお人好しな現代の日本人なのです。
人の嫌がる事を進んでやりましょう♪
顔を全部を拭き上げてみるとそこには……、その白塗りの下からまるで老人の様な肌が出てきました。
シミだらけの皮膚としわだらけの顔が発掘されたのでした。
顔だけでしたら、まるで70過ぎの老人です。
……一体なぜ?
私は拭き上げた布をよく見てみました。
それは私がかぐやコスメティック研究所(KCL)で使っていた白粉とは明らかに違います。
「天智帝……今は上皇さまでしたね。
上皇様はこの白粉をどこで手に入れたのですか?」
「ふ……お前な…ぞに手……に入らぬ……ものだ。
新羅……より贈ら…れて…きた…貴重…な白……粉だ」
あぁ……やはり。
世に言う毒入り白粉の代表、鉛白ですね。
実のところ、鉛の毒性は比較的低いのです。
重篤な健康被害を及ぼしますが、接収して直ぐに効果が出る毒とは種類が違います。
例えてみるなら……
『悪いお婆さんは白雪姫に、毎日美味しい(微量の)鉛入り林檎を差し入れました。
すると10年後、白雪姫は寝たきりになってしまいました。
だけど、なぜこうなったのかは誰にも分かりませんでした』
という程、毒性が低いのです。
何故事務員だった私がその様な事を知っているかというと、製造業ではRoHS指令で鉛の含有に関して厳しい規制が敷かれていて、その勉強会で習ったのです。そしてそれがお化粧品にも無関係ではないとなればそれなりに耳を傾けました。
それがまさかこんなところで実例を見る事になるとは……。
「上皇様は激しい頭痛や、目眩、血の気が引くような症状がありますでしょうか?
もしそうであるのなら、原因はこの白粉にあるかも知れません」
上皇の目が大きく見開いて、私の言葉が間違いない事を暗に肯定しました。
私が施術所を営んでいる頃、健康を害する化粧品を用いない様、気を使っておりました。
額田様の妊活のための施設ですから尚の事です。
当時、鉛白はありませんでしたが、頬紅に丹を用いなかったのも同様の理由でした。
「残念ながら鉛中毒の治し方を私は存じ上げません。
私の御業を使えば良くなるかも知れませんが、残念ながら上皇様は私の御業を跳ね除けてしまうのでそれも叶いません」
その言葉に対して憎々し気な目で私の方へ眼だけを向けてきました。
もしこの方がもっと元気であったのならばお互いの全力を掛けてサイキックウォーズを繰り広げたでしょうけど、今の衰弱した様子を目の前にしては小突く気すら起こりません。
最期に対決した時は、刀で腕を切り落とされるわ、馬乗りになって殴りつけたりするわの修羅場だったというのに……。
いずれにせよ病気を治す治癒は使えないでしょう。
歴史に関与するような能力の使い方は出来ないと、神の御使い様から厳命されております。
第一級の歴史上の重要人物の寿命に関与するようなことを、神様が許すはずがありません。
もし私に出来る事があるとしたら、斉明帝や中臣様の最期の時の様に苦痛を取り除く事だけです。
とりあえずダメ元でやってみましょう。
喰らえ! 全身痛み止めの光の玉!
チューン! (ばちっ!)
……やはり弾かれました。
「苦痛だけでも取り払おうとしましたが、上皇様が私の御業を弾いてしまわれるみたいです。
苦しい事は重々承知しておりますが、我慢下さいまし」
「……なに…を、今……さら。ずっと……だった」
相当に苦しいはずですが、強情な方です。
「せめて受け入れるお心掛けでもして下されば何とかしようとするのですが、これではまともに話すら出来ません。
私達としましてはあまり手荒な真似はしたく御座いません」
「ふ……好き…に…すれ…ば……いい」
本当に強情な方です。
これまで何度かやった事にある方法ですが超至近距離からやってみます。
天智帝の手を取りました。
……嫌々ですが。
抵抗はしているつもりでも全然力が入らないらしく、抵抗になっていません。
もしかしたら、既に抵抗するつもりが失せているのかも知れません。
チューン! (パチ)
イマイチですね。
でも少しだけ手ごたえらしいものを感じました。
何やかやで光の玉を発射するようになって28年の熟練者です。
初心者とは違うのだよ、初心者とは。
ならばと連射です。
弾かれる前に弾き返します。
チュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュン……
……ふう。
どうでしょう?
少しだけですが、天智帝の身体がほんのりと光った気がします。
「少しは楽になりましたか?
この光の玉は、中臣鎌足様がお亡くなりになる前に施術したものと同じものです」
「なぜ? 鎌子と……通じていたの……か?」
少しだけ言葉が流暢になりました。
やはり効果があったみたいです。
「物陰に隠れて、離れた場所から施術を施したのです。
私の仕業だという事は察せられたみたいですが、中臣様とは一切ご連絡は取っておりません」
「十年……こそこそと……好き勝手やって……いたのだな」
「はい、こそこそと貴方様の野望を打ち砕くため手を尽くしました」
「ふ……気分が、良かろう」
「残念ですが、何一つ気分はよくありません。
本当はこのような事をしなくて済むのが一番なのです。
上皇様だって、斉明帝を朝倉宮に軟禁してさぞ気分が良かったのではないのですか?」
「馬鹿を……言うな。
あれは……苦渋の決断…だった」
「何故、あのような蛮行が苦渋なのですか?」
「お前は……誤解して…いる」
……誤解?
アレの何処に誤解のしようがあるというの?
やはりこの方とは生涯分かり合える事は”絶対に”無いだろう、と思うのでした。
(つづきます)
鉛入り白粉による健康被害についてはエリザベス1世の事例が有名です。
30歳前に天然痘にり患し、その痘痕を隠すために鉛白を使った白粉を塗り壁のように塗りたくりました。エリザベス1世は鉛中毒がもたらす典型的な症状に苛まれながら69歳に亡くなりましたが、原因は不明とされております。(※肺炎、老衰など諸説あり)
というのは、エリザベス1世の施したメイクには、鉛だけでなく水銀や錫なども含まれていました。また、エリザベス1世は晩年の健康不調にも拘らず診断を拒否したとも言われております。
身体の小さな子供や体質によって症状が出易かったりする人もおり、場合によっては死に至ります。出所の怪しい金属部品を使ったバッタ物のミニカーなどはその危険性を踏まえて慎重になった方が良いと思います。意外とそうゆう事故が多いみたいです。




