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近江侵攻・・・(1)

※これまでの不破(※関ヶ原)の経緯あらすじ


 時は飛鳥京が占領される前へと遡る。

 表向きは高市皇子が率いる造反(反乱?)軍により不破道は閉鎖され、近江朝は混乱に陥った。

 意図せず最前線に配置されることになった巨勢比等こせのひとは、己が油断と、村上率いる強力な軍勢(のごく一部)により前線基地となる坂田評さかたこおりを追い払われた。

 事を重要視した近江朝は、近江に展開する戦力を投入すべく、琵琶湖の対岸にある三尾城みおきと、大津宮から総勢二千の兵士を送り込みこれに当たった。

 しかし敵に情報が筒抜けとなっている事が引き金となり、大津宮から兵を率いてきた将・山部王やまべのおおきみは、巨勢比等こせのひと蘇我果安そがのはたやすに諮られ暗殺された。

 もちろんその醜い争いの様子は、病床にある天智帝の未来視でも視えていた。


 ◇◇◇◇◇


 心に疚しいモノがある場合、人は妙に饒舌になる癖がある。

 特に蘇我果安はそれが顕著だった。


「巨勢殿、敵に内通する憂いが無くなったのだ。

 敵の居場所が分かったのだから今すぐにでも不破を取り戻さねばなるまい。

 帝からは東国からの援軍を呼ばなければならないと言われているのだ」


 気の小さい蘇我果安らしい言葉だ。

 一度も敵と合見あいまみえた事のない蘇我果安の無責任な発言に、巨勢はイライラが募る。


「それは重々承知している。

 しかし本当に内通者を排除できたかは私としては不安なのだ。

 帝より賜った兵士を裏切り者により擦り減らしたとあっては、顔向けができぬ」


「ではどうするつもりか?

 このままじっとしている事が帝への忠義とでも言われるのか?」


「もちろんその様な事は無い。

 臣下が一丸となり対処すべきなのは分かっておる。

 だが本当に忠義を持っているのかも分らぬ輩がいるのでは迂闊には動けぬ」


「……一体だれをお疑いなのかな?」


 流石に自分が疑われていると感じざるを得ない。

 何故なら自分もまた巨勢を疑っているからだ。


「いやなに。もし全ての兵士を私に預けて頂き、私が総大将として攻撃するのであればそうする。

 無論、総大将の命にはすべての者が従ってもらう。

 それをお認めになれば、蘇我殿の期待に添える事も出来よう」


 巨勢はここぞとばかりに口だけの蘇我を非難するかのように畳みかける。

 腹の底では、蘇我に前線へと向かわ設つもりだった。

 そうすれば大人しくなるだろうし、あわよくば消せるからだ。


 一方、蘇我果安は戦云々ではなく、仲間割れの露見が何よりも恐ろしかった。

 バレれば御史大夫だいなごんの降格もあり得る。

 バレるにしても、自分に累が及ぶのは何としてでも避けたい。


「分かった。

 そもそも、この地の守衛は巨勢殿の役目だ。

 私は三尾城へと戻り、北からの侵攻に備えよう」


『三十六計逃げるにしかず』とは兵法でも有名な言葉だが、兵法でなくとも小心者は逃げるのだ。

 蘇我果安はこの場から逃げ、全てを巨勢に責を負わせる事を選んだ。

 タヌキとキツネの騙し合いというが、それならばまだ可愛げがある。

 だが巨勢はタヌキでもキツネでもなく、ハイエナだった。

 せめてオオカミほどの猛々しさがあれば良かったのだが……。


「蘇我殿がそう仰るのであれば、不肖、この巨勢が不破攻めの指揮を執りましょう。

 蘇我殿には心おきなく北の守りにご専念願いたい」


 こうして蘇我果安は不破とは逆の方向へと僅かな護衛を連れて、琵琶湖をぐるりと回り来た道を戻る事になった。

 しかし出立の時が来ても蘇我果安は陣を出なかった。

 何事かと護衛が蘇我果安の寝泊まりする借りの屋敷へ出向いて迎えに行くと、変わり果てた姿がそこにあった。

 荒らされた室内は何事があった事を示唆していたが、総大将となった巨勢は「山部王を蔑ろにした自責の念で自害したのだ」と、蘇我果安に責任を一方的に押し付けたのだった。

 勿論、軍にいる全員が巨勢の言葉が嘘である事を知っていた。


兵法には『兵は詭道きどうなり』とあるが、さもしい者達にとっては詭道こそが常道なのである。


 ◇◇◇◇◇


 敵軍を目の前にして何もしないまま、醜い内紛劇を生中継リアルタイムで見せられる部下はどう思うだろうか?


 部下の中に羽田矢国やだのやくにという将がいた。

 近淡海ちかつおうみ(※琵琶湖)の北部に根付いた豪族のおさである。

 近江側の軍勢に加わった理由は、それが官軍であるからだ。

 他に理由はないし、それ以外の理由でなければ加わるはずがない。


 然るに内輪もめで国の政のトップにいる二人が、大王おおきみの一族である山部王を亡き者にし、御史大夫だいなごん同士で罵り合う姿をみて、思う所があった。

 矢国は不破に立て掛けられた立札の文言を思い返した。


『帝が病に倒れて幾久しい。

 その間、奸臣共が朝廷を我が物顔にて政を独占している。

 帝を救い出し正しき政を取り戻すため、大王おおきみの一族として、ここにその責務を果たすもの也』


 自分が命を懸けてまで戦う意味があるのか、そもそも自分の居るこの軍勢が本当に官軍なのかすら怪しく思えてきた。

 本当に帝の命により集められた軍勢なのだろうか?

 連中は何を守るためにここに来たのだろうか?

 自分達は誰のために戦わされるのであろうか?


 そして蘇我果安の死を知り、矢国の心は決まった。


「巨勢様、私めに是非不破道への強襲をお命じ下さい。

 兵を率い、和蹔わざみの奥深くまで入り込み、必ず敵将の首を取って参りましょう」


 羽田矢国は巨勢比等に直訴した。

 自ら軍を指揮して不破に行くつもりの無い巨勢はこれを喜んで受け入れ、兵五百を引き連れて不破への特殊(Special )作戦(Operation)を許可した。


 自分自身の五百の兵が百に満たない敵軍に追い払われたにも拘らず、矢国に貸し与えられた兵が五百だ。

 総勢二千五百いる内の二千を温存するという事は、つまり羽田矢国を捨て石にするつもりだったのであろう。

 この決定を以て、矢国は心の内で自分の決心に後悔が無いことをハッキリと自覚したのだった。


 ◇◇◇◇◇


 矢国らの軍は犬上川の陣を北西に進み、悠々と不破道に入った羽田矢国は自らが先頭に立ち、美濃の方面へと進んだ。

 そして、東国へ援軍を要請するために行った書薬ふみのくすり忍坂大麻侶おしさかのおおまろが投降した場所にまで進んだところで変化があった。


「止まれ! この先へは進ませぬ!」


 高市皇子の軍の者が行く手を遮った。

 目に見えるだけで百人ほどいるが、木の陰にはどれだけ潜んでいるかは分からない。


「私は羽田矢国、近江朝軍の将にして湖北を拠り所とする者也!

 高市皇子様にお目通り願いたい!

 我々に戦う意思はない。

 お話をされたい!」


「それは近江の軍の将としての言葉か?」


「いや、私の独断だ。

 今の近江朝軍は腐っておる!

 高市皇子様のお考えに賛同し、我も戦いに加わりたいのだ!」


 後ろで矢国の言葉を聞いた者は一部を除いて驚いた。

 今の今まで、決死の思いでやってきていたのだ。

 貧乏くじをひかされた我が身の運の無さを呪いながら……。

 ところが敵軍に投降するという事はつまりは助かるのか?

 生存の期待に声にならぬ声が湧き上がる。


 そして矢国の身内の者達は陣を出る時から承知していた。

 矢国にはそれなりの人望があり、投降することに異を唱える者は居なかった。

 正直、軍内部のゴタゴタには辟易としていたのだ。


 こうして、美濃の軍勢は兵五百と湖北の足掛かりを労せずに手に入れたのだった。


 ◇◇◇◇◇


 野上の屋敷へと連れられた羽田矢国と嫡子、羽田大人はたののうしは高市皇子の御前に謁見した。

 高市皇子と始めとして、家臣一同は皆、鎧に身を包み、まるで臨戦態勢の様だった。

 先程までいた自軍の体たらくと比べて、矢国は愕然とする気持ちになった。

 そして矢国には上座に女子おはごがいる事が少し気に掛かった。


「羽田矢国よ、我々の志に一味同心いちみどうしんし、我が軍勢に下るとの言は誠か?」


 中央に位置する若き皇子である高市が自ら尋ねた。


「はっ。近江の軍は今や私利私欲の渦巻く賊軍と化しております。

 自分の責を果たさず、自分の失態を擦り付け合い、その挙句、山部王と蘇我果安は巨勢比等により処せられました。

 ここに至って、朝廷より奸臣を廃し正しき政を取り戻すという皇子様のご意見に賛同し、私も皇子様の軍勢に参画致したく御座います」


「其方の申し事は分かった。

 だが其方が間諜スパイであることもあり得るため、全人の信服を寄せる事は易々と出来ぬ事を理解してくれ。

 それでも宜しいのなら、参戦を許そう」


「私めに二心無き事を示せる機会が御座いましたら、是非ご命じ下さい」


 もはや近江の軍は戦う以前からその内部がシロアリの巣喰う木の如くボロボロだった。

 もし目的が戦に勝つだけであるのなら容易くできたであろう。


 しかし、真の目的は東宮・大海人皇子の曇りなき帝への即位。

 簒奪とならない譲位が目的なのである。


 まだまだ解決すべき課題ハードルは多い。



(つづきます)

記録においても、大伴吹負率いる飛鳥古京での戦では苦戦し、一つ間違えていれば大敗していたかも知れませんでした。

しかし村国男依率いる不破→近江での戦いでは、苦戦することなく、連戦連勝を重ねていったみたいです。


ただ単に勝つだけでしたら執筆する側も楽チンなのですが……。

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