讃岐の地の決戦・・・(2)
(※讃岐にて、第三者視点による近江軍サイドのお話)
讃岐の地で決戦の火ぶたが降ろされた。
大野の軍は、昨日の攻防で三千近くまで回復した兵は二千にまで減らした。
死者は百程度だが、怪我で動けぬ負傷兵が多数出たのだ。
乃楽での初戦でも同様だった事から、怪我人の存在が味方の足を引っ張る事を狙っての敵の戦略なのだろうと、果安は考えていた。
翌日。
連絡を受けた難波からの兵士が讃岐へと到着した。
北西の龍田道からは壱伎韓国を将とする千人の兵士からなる軍勢。
そして南西の竹内道からは紀大人率いる軍勢二千が到着した。
この中には河内国司の兵も含まれていた。
ただし進んでの出兵ではなく、国司・来目塩籠が、近江からの遣いによって討たれた後の出兵だった。
吉備の国司・当麻広嶋と同様、『従わぬ色を見せれば処す』の対象とされたのだ。
大津宮と行軍の途中で現地調達した軍勢が二千。
そこへ難波と河内から併せて三千の兵が合流し、総勢五千の大軍がこの片田舎に集結したのだ。
和国の歴史を紐解いても、ここまで大きな戦は滅多に聞かない。
ただし白村江の敗戦を除いてだが……。
◇◇◇◇◇
讃岐の地に陣を敷いた紀大人は大野果安を呼び寄せ、これまでの経緯を詳細に聞いた。
「大野殿、詳細を教えてくれ。
敵はどのような軍勢なのか」
御史大夫であり、難波方面の責任者である紀大人がこれまでの大野果安を慰労しながら質問をした。
紀は蘇我赤兄が怪我で戦列を離れた事を心の底で安堵していた一人である。
つまりは、蘇我赤兄のお守りを慰労したかったのだ。
「はっ、有り難きお言葉を賜り恐悦至極に御座います。
敵軍勢は帝の仰られました見慣れぬ軍、そのものの出達にございました。
しかし決して侮ることは出来ません。
むしろこの者らの装いは優れモノと言えましょう。
敵兵の損失の少なさは、敵兵全員が甲冑を身に付けている事にあり、防具を付けておらぬ兵を嗾けても相手にすらなりません」
「そこまでに違うのか?」
「乃楽にて初めての肉弾戦となった際、敵軍の実力が分らぬまま攻め込んだ結果、敵軍勢はおそらく死者は無く、翻って我々は五百の兵が使い物にならなくなりました。
敵兵が三百くらいだったのにも関わらずです」
「もし敵兵の数が同じだったら全滅も有り得たのではないか?」
「はい、その時は二百ないし三百の兵が遊撃として、残り半分が飛鳥古京を占拠しているものと予想しておりました。
彼我の戦力差を鑑みまして、敵軍勢が五百を超えたのなら我が軍勢だけで対処は難しくなるだろうと考えて、一旦は兵を引きました。
しかしまさか千を超える兵を隠していたとは思いも依りませんでした」
「何故隠していたと思われるか?」
横で黙っていた韓国が果安に尋ねた。
ちなみ韓国は名前からも判る通り、渡来の氏族である壱岐氏の者である。
「そればかりは敵に聞かなければ分からぬが、もし最初から敵の全軍が乃楽に集結していたのなら、我々は一溜りも無かったであろう」
「もし乃楽で敵軍が全兵力を投入し、大野殿が率いる軍が破れていたのなら……」
紀大人が思慮深く考える。
「敵軍勢は近江へと進軍していたであろう。
そうなれば不破に展開している全軍を大津宮に集め、これを迎撃せねばならなかったであろう。
そして我々難波の軍は峠を越えずに、山背(京都)を抜けて大津へと向かっていたであろう。
彼奴等はそれをさせぬため、我々をこの地におびき寄せたとも考えられるな」
紀は自らを納得させるかの様に呟く。
「つまりはここの軍勢と不破の軍勢はお互いに連携し動いているという事でしょうか?」
「そう示し合わせていたと考えるべきだろう。
だが、その片割れを潰せば、その計画は瓦解するはずだ。
今は目の前の敵に注力しよう。
で、敵軍の甲冑が優れている事は分かった。
それだけで果安殿が苦戦したとは思えぬのだが?」
「恐縮に御座います。
特筆すべき点は幾多ありますが、最も脅威でしたのは弓でした。
我々の矢が届かぬところから、敵の矢が飛んできました。
おそらくは我々の弓の倍以上、矢が飛んだと思われます」
「俄かには信じられぬが、それは敵軍に弓の名手がいるという事か?」
「いえ、全ての兵が、で御座います」
「そんなはずは無かろう!?」
信じられない話に、思わず紀は声を荒げた。
「では戦場をご覧いただきたく。
そこでならば分かり易いかと思われます」
そう言って、その場に居た者達は敵の屋敷が臨める場所へと足を運んだ。
目の前に広がる田畑の向こうにひと際大きな屋敷があり、櫓にはこちらを見張っている兵士が目を光らせ、屋根の上にはこれ以上近づけば今すぐにでも矢を射られる体勢の兵士がいた。
「昨日、我々はあの屋敷に突撃せんとしましたが、敵の矢はここまで届いたのです。
真上から降り注ぐ矢に多くの兵が射貫かれ、倒れていきました。
そして動転する我々をあざ笑うかのように、馬に乗った騎兵が現れ、逃げ惑う兵士達を蹂躙しました」
果安の説明は信じられないものがあったが、足元に空いた数々の穴が敵の弓の強さを証明していた。
「だが馬に乗った兵ならば、格好の矢の餌食であろう」
「いえ、敵の騎馬は凡そ百騎、それが縦横無尽に駆け回るのです。
こちらの弓は全く当たらず、敵の馬上から放たれる矢は逃れようもありませんでした。
それでも矢を潜り抜け敵兵に近づいた者が剣を振るおうにも、馬上の兵は甲冑を身に付けており刃が通りません。
それどころか敵に、剣を叩き折られた者もおります」
俄かには信じられない話だった。
そのような戦いをする兵など見た事もない。
しかし実直な果安が言うのであれば嘘ではないだろう。
「それではまるで武甕槌神様ではないか」
神学に詳しい紀大人らしい言だった。
「はい……ろくに武具を持たぬ弱兵にはそのように見えていたと思います。
強大な敵を目の当たりにして、勝つ術がないのですから」
「そうなると、これまで敵が兵を温存してきた理由がますます分からなくなる。
まさかとは思うが、不破を占拠している軍勢も同じ戦力を有しているというのではないよな?」
「もしそれならば、飛鳥側、美濃側の双方が全滅させられ、大津宮は抵抗することすら叶わないでしょう。
願わくば不破の敵軍勢が単なる誘導であると願うばかりです」
近江朝の要職にある紀大人にとって震えが止まらぬ予想である。
無論、不破の造反の切っ掛けとなった立札の件は知っている。
大臣達を奸臣として断罪しているのだ。
自分が例外として扱われると思えるほど、紀は楽観主義者ではない。
「個々の力は抜きんでている事は良く分かった。
だが在野にそれほど優れた将がいるだろうか?
私には大野殿や韓国に比する将が野にいるとは思えぬのだが」
「残念ですが、敵への練度はとてつもなく高い、と言わざるを得ません。
一糸乱れぬ行動、それが出来る軍勢である事は疑いようが御座いません。
これまで苦戦してきた私はその事を嫌という程思い知らされました」
大野果安にとって、まさに書でしか見たことが無い軍隊の理想形がそこにはあったのだ。
敵で無かったら、教えを請いたい程完成された軍隊だったのだ。
「大野よ、良く分かった。
その上で聞こう。
敵軍勢を全滅させるのに我々はどうすべきだと考えている」
果安は暫く考えて、言葉を選ばず、こう答えた。
出来るだけ正確に、正直に。
「敵軍勢は千以上、おそらく千五百から二千の兵を擁しており、我々五千の軍勢で全面対決となれば全滅するのはこちらである可能性は高いでしょう。
兵の練度があまりに違い過ぎます。
かと申しまして、今からこちらの兵の練度を上げるのは不可能です。
なれば数で圧すしかございません。
近江からは各国から援軍を要請したと連絡が入っております。
少し待てば、東方からは尾張(愛知)と伊賀(三重)、南からは紀国(和歌山)からの援軍が期待できます。
残念ながら東国からの援軍は不破で堰き止められているますが、これらの援軍が来れば総勢二万の軍勢で敵地を取り囲むことができるでしょう」
「そうか、実際に敵軍勢と相対した其方が言うのであれば、その意見に従おう。
敵軍勢の十倍の兵を以て火矢を放てば、逃げ場のない連中は火に焙られた鼠の如く穴から這い出てくる事だろう。
その時こそが決戦の時だ。
逆に言えば、それまでに我々が敵に全滅されられることはあってはならぬ。
敵を逃しても成らぬ。
何としてでも持ち堪えるぞ」
「はっ、仰せのままに」
こうして近江軍の方針は決まった。
かくして讃岐の存亡を賭けた全面衝突の時は目前に迫りつつあった。
(つづきます)
本話に出てくる各国の位置関係はだいたいこんな感じです。
大和から伊賀→尾張→美濃へと向かう道は、『開戦の刻(高市皇子視点)・・・(3)』にて高市皇子が通ったルートで、日本書紀では近江軍の挙兵を察した大海人皇子がこのルートを進み、吉野から美濃へと東進したとされております。
越国
↑
├────不破道―美濃→(東山道)
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|琵琶湖/ |
| / |
| / |
大津宮 |
摂津─┤ |
│ | 尾張
難波 | /
│ \| /
河内─┼────伊賀
| /
飛鳥京 /
/ \ /
/ 吉野
|
|
\
紀国




