潜入・飛鳥京・・・(3)
ここぞとばかりに蘇我赤兄を貶しております。
もし読者の皆さんの身近にこの様な方がおりましたら、その人を思い浮かべながらお読みください。
もし読者の皆さんの中に蘇我赤兄の関係者が居られましたら、このお話はフィクションにつきご容赦の程、お願い致します。
(※飛鳥京周辺にて、近江軍の将・大野果安視点によるお話です。)
いよいよ両軍の衝突が起こり、高市皇子が起こしたという反乱軍の実力が垣間見えてきた。
同時に自軍の貧弱さを垣間見る事になったのが幸か不幸かなのかは分からないが……。
しかし、蘇我赤兄の心が折れ、飛鳥古京へ行く気を無くしてしまった事は間違いなく幸運な事であった。
……近江側にとって。
◇◇◇◇◇
糞っ!
想定してした中の最悪の事態だ!
今更くどくどくどくどと文句は言いたくはないが、心の中でだけは言わせてくれ!
『蘇我赤兄の無能めっ!!』
そもそも飛鳥を出る時、私は言ったのだ。
「古京の護りが薄くなります。
大津へ行くのは千までとして下さい」と。
だが、自分の事しか頭にない赤兄はほぼ全ての兵を率いて古京を出てしまった。
そもそも赤兄が大津宮へ行ったところでどうなるというのだ?
不破で造反があったとして、やみくもに動いたところで、何一つ益は無い。
先ず真っ先に行うべきは情報収集のはずだ。
ところが赤兄は大津から招集があった事をまるで神からのご神託が来たかのように扱い、我々の進言なぞ全く聞き入れようとしなかった。
赤兄を一言で言い表すとしたら『無能と独善』
そもそもが赤兄こそ、上に媚びへつらう典型なのだ。
質の悪い事に、本人は自分が有能で、世を憂いている忠臣だと思い込んでいる。
その結果が左大臣なのだから、ある意味大したものだ。
つまりは、赤兄を引き上げた帝の底が知れようというものだ。
それでも赤兄が臣下に対してそれなりの度量を示すなり、配慮をするでもあれば味方も居よう。
だが、言う事為す事がすべて自分を中心にしか考えていない。
それ故、その場その場で言う事がコロコロと変わるし、それを覚えていない。
……いや、覚えているのかも知れないが、忘れているのか、惚けるのか、それとも全く気にも留めていないのか、おそらくはその全部であろう。
当然のことながら彼奴に付いていく者はいない。
ここまで人望の無い左大臣は前代未聞であろうが、そもそもが左大臣は赤兄で三代目だ。
比較が初代の阿部倉梯麻呂様と二代目の巨勢徳太様しかなく、比べるまでもない。
で、その赤兄が生まれて初めてであろう自分の命の危機に相対したのだ。
自分の乗る輿の屋根に矢が刺さったらしい。
梁の部分に当たって突き抜けなかったということだった。
ちっ! ……運のいい奴め。
そして、恐怖に震えながら我々将と話し合いの席を設けている。
人を貶めすだけで出世してきた男の精神とはかくも脆いものなのか。
矢が一本、輿に刺さっただけで完全に怯えているのだ。
「蘇我様、この先如何しましょう」
我々が意見をしたところで、そもそも奴は他人の意見を聞き入れぬのだ。
先ずは話を聞こう。しかし……。
「こんな時こそ意見を出すのが部下の役目であろう。
いつまでも私を頼りにするではない!」
頼りにした覚えは未だかつて一度もないが、何も意見をしないのであれば幸いだ。
「此度の衝突で三百以上の兵が死傷しました。
敵兵はどんなの多く見積もっても百であるのにも関わらずです」
「だから何だ!」
もう無視するしかない。
「おそらくこの先、連中は幾度ともなく我々の行方を憚り、じわじわと兵の損傷を強いられるのだと思われます」
「つ……つまり、この様な事が何度もあるという事か?」
「おそらくは……」
「ならば大津宮へ引き返せ!」
「蘇我様がそうお決めになられるのなら従います。
しかし飛鳥古京へ戻れというのは帝の勅命では御座いませんか?」
「い……いや、それは拙い。
古京へ向かうぞ。
……い、いや待て」
選択肢は他にないというのに、自分の命が助かりたい一心で葛藤している。
愚かとしか言いようがない。
そもそも、最も重要なのは占領されたという古京の奪還なのだ。
だというのに、赤兄の頭には戦から逃げる事しかない。
明け透けな狡い人間性が垣間見れて、吐き気すら催すくらいだ。
一刻も早くこの場を立ち去らせたいという気分になった。
「この先、古京までの道のりは困難を極めるでしょう。
また飛鳥古京に辿り着いたとして、我々が無事かどうかは分かりません。
増援が必要ですので、蘇我様には要請に参られて頂きませんでしょうか?」
私の意見に、赤兄の顔に喜色の色が浮かぶ。
「そうだ、そうしよう。
私ならば二千の兵士を招集出来よう。
それを持って古京の討伐に当たらせよう」
よし! これで邪魔者は居なくなった。
そう思ったところで、別の将が余計な一言を言いやがった。
「しかし、帝の命を覆して蘇我様が戻られる口実にはなりますまい」
その言葉に赤兄の顔が強張った。
事実その通りなのだが、奴が居なくなるのであればと黙っていたのだ。
何故、それを言うのだ。
奴を凹ませて気分が良いのは分かるが、それでも黙って欲しかった。
「ならば、負傷兵を大津宮へ引き上げましょう。
この先の戦いで、負傷した兵は足手纏いとなります。
彼らを引かせましょう」
「わ……私はどうすればいいのだ?」
「恐れながら……負傷されたことにして頂きます。
彼らを引き連れ、大津に戻られたく存じます」
「わ、分かった」
私は先ほど余計な事を言った将を睨みながら、これ以上余計な事を言わせぬ様けん制した。
本人も失敗したと思っているらしく、これ以上は口を挟まなかった。
翌日、先の戦闘で怪我をした者を中心として、赤兄の護衛団を結成し大津宮へと向かわせた。
そして負傷を口実に引き返す赤兄の腕には包帯が巻かれていた。
私が赤兄の腕に矢を刺したのだ。
自分の命が助かるためなら、何でもする男なのだとつくづく思った。
おそらくは自ら傷付けて負傷したことは、遠からず人の噂に上がるであろう。
だが、私の知った事ではない。
これで足手まといを一掃できたのだ。
赤兄もさることながら、赤兄の乗る輿を排除できたことが有難かった。
邪魔な事、この上無かったのだ。
そもそも、輿とは帝か親王に近いものが乗るものなのだ。
それを東宮様が吉野に籠った事を幸いに、勝手に乗っているのだ。
たぶん、少し手前で輿を降りて大津宮に入るのであろう。
しかし、ただ一つだけ自分は大きな失敗をした事に気が付いた。
そもそもの話なのだが、赤兄が居なくなればいいのだ。
流れ矢で心の臓を貫かれたことにしておけば良かった、という事に後になって気付いたのだった。
◇◇◇◇◇
しかし兵士の損傷は決して軽くはない。
元々が兵士達の脱落が多く、先の石上での戦闘で多くの者が傷つき、或いは逃げだした。
その結果、二千五百あった兵士は千五百まで数を減らしてしまっているのだ。
多分、敵兵は二百から三百くらいであろう。
先の肉弾戦で垣間見た敵兵の練度を考えれば、もし敵が五百居たのなら撤退するつもりだ。
そう考えるのに一応は根拠がある。
敵の戦術を考えると、出来るだけ兵の損失を出さない戦法を旨としている事が窺えた。
百の兵は総戦力の半分か1/3をつぎ込んだと考えられる。
残りの百か二百の兵は古京で守りを固めているはずだ。
もし全兵力が五百を超えていて、あれだけの武器と練度を持っているのならば、あのような回りくどい戦法は取らないはずだ。
実際に石上では百の兵で対戦したが、乱戦とはならなかった。
集団で固まってフグの針の様にチクチクと槍で相手を突きさし、自分達を守っていた。
それでも槍を避けて懐に入れたと思えば、敵の甲冑(鎧兜)の出来が良く、剣が通らない。
対する我々は、殆どが防具を持たない弱兵だ。
十対一でなければ勝ち筋は見えない。
現に石上では十倍以上の戦力でも勝てなかったのだ。
単にこちらが引いたのを機に、敵軍は次の戦地へと後退したかのように思えた。
相手を引かせたのを勝ちというのなら我々の勝ちだ。
しかし兵士の損傷という点において、比較にならぬほど我々の惨敗だった。
戦闘の後に残ったのは、死屍累々となったこちら側の兵士の惨状だった。
嫌らしいことに、とどめを刺していないため負傷兵の負担が大きい。
一人の負傷兵に最低一人の支えが必要となる。
つまり負傷兵を抱える事で倍以上の兵士が使い物にならなくなるということだ。
そうゆう意味では赤兄と共に厄介払い出来たのは僥倖だったと思う。
何より赤兄の顔を見ずに済む。
それに引き換え、敵兵は無傷ではないだろうが、自分の脚で引き返せる程度だったらしい。
敵はこの先同じことを繰り返して、こちらの兵が五百を切ったところで、総攻撃を仕掛けるか古京で迎え撃つつもりだと、私は予想している。
この先は盾を前面に押し出して、慎重に進軍するしか無かろう。
敵兵の戦力を予想しながら、自軍の貧弱さを嘆く自分の姿は、さながら十年前の白村江で敗れ去った将がこのような気持ちだったのだろうという気分になった。
そもそもの話なのだが、自分たちは一体何を守っているのであろうか?
(つづきます)
そもそも……。




