潜入・飛鳥京・・・(1)
坂上国麻呂は、『開戦の刻(高市皇子視点)・・・(3)』でちろっとだけ話に出ています。
近江大津宮へ遷都したため、飛鳥京は倭京とか、古京、飛鳥古京などと呼ばれるようになりました。
ここでは倭京とは呼ばず、飛鳥古京と呼ぶことにしました。
(※飛鳥京周辺にて、第三者視点がつづきます。)
不破道を封鎖し、坂田評で建築中の城を破壊、巨勢人が率いる近江軍を追い返した。
程なくして飛鳥古京(飛鳥京)から、近衛二千を率いて蘇我赤兄は大津宮へと出て行った。
つまり飛鳥京は最低限の護衛を残してもぬけの殻同然だったのだ。
その知らせは伝書鳩を伝って、讃岐に居る大伴吹負と美濃の村国男依の元に知らされた。
不破での決起が誘導である事は、讃岐と美濃とで共有している情報だった。
が、まさかここまで敵が愚かだったという事までは共有できなかった。
もっとも愚かなのは赤兄個人の資質であることは否定できないが……。
大津までの道中に展開している草により、逐一現在地を把握している。
そこで吹負は決戦の場所を乃楽(※奈良市)に定めた。
足の遅い赤兄の行軍は、出発して三日後にようやく乃楽を超えようとしていた。
このタイミングを待ち、いよいよ吹負らは行動を開始した。
◇◇◇◇◇
坂上氏は後漢末期の暗君として知られる霊帝を祖先に持つ渡来の氏族である。和国へ渡った霊帝のひ孫・阿知使主を祖とする氏族集団・東漢氏は蘇我の隆盛と共に一大勢力を誇った。東漢氏は七姓漢人へと枝分かれし、坂上、高向、書、などに派生した。
かの国博士・高向玄理も七姓漢人の後裔の一人で、また漢皇子の父親である高向王もその系列に名がある。そう、天智帝の実父である。
一方で崇峻天皇を暗殺した東漢駒もまた東漢氏の一人であり、罪深き氏族としても知られる。
高市皇子の付き人、坂上国麻呂は坂上氏の傍流であるが、東漢氏の横の繋がりは強く、自らもその血筋を強く意識している。東漢駒は国麻呂の五世前の祖先であり、帝に害為す業の深さ故、その罪の意識は未だに消えない。
自分が高市皇子に仕えるのは忠誠だけではなく、贖罪という気持ちがある。
これは大王の一族に仕える東漢氏の者が共通して心に持つ重石だ。
国麻呂は飛鳥古京へと入った。
遠戚の坂上熊毛を訪ねるためである。
熊毛は飛鳥古京で留守を預かる副官である。
留守司の長官は高坂王であるが、根っからの役人気質の男でありいわゆる文官である。
実質の留守司の実務担当は熊毛であるのだ。
「熊毛殿、夜分済まない。
緊急の用の為、押しかけてしまいました」
「いや構わんよ。
今の飛鳥古京は非常時で、寝ている暇など無い。
出来れば其方にも手助けをお願いしたいくらいだ」
従弟の息子にあたる国麻呂は昔馴染みの親しい間柄だ。
「それは構いませんが、私もお願いしたい事があるのでお相子です」
「何だ? 高坂王殿に何か取り成せとでも言うのか?」
「いえ、私は既に高市皇子に仕える身故、それは遠慮させて頂く」
熊毛はその事を知っていた。
そして古京を騒然とさせている不破道での造反を企てたのが高市皇子である事も。
突然の訪問を受け入れたのは、高市皇子の親友たる国麻呂にその真意を知りたかったのだ。
「其方は高市皇子とは行動を共にしなかったのか?」
「いや、私にはやらねばならない事があるため、ここに残ったのだよ」
「何だ? 飛鳥古京を攻めようとでも考えているのか?」
半分冗談で、半分は牽制だ。
「いや、それはあってはならない。
ここは国の中心として守らなければならない場所だ。
決して戦火に晒してはならない」
意外にもまともな返答だった。
次に続く言葉が無ければ……
「燃えるべきは大津宮なのだ」
「おい、それは帝に弓を引こうって事になるぞ!
我々がその様な事を考えてはならん!」
「そうだ、帝に弓を引くことはあってはならない。
しかし熊毛殿も見たであろう。
蘇我赤兄は不破道で騒乱があったと聞いた途端、早々にここを引き払って、ほとんどの兵を率いて大津へ向かったのだぞ。
古京を守るつもりなぞ欠片もない証左だ。
そもそも……赤兄は親王様を平気で貶めすような奴だ」
「有間皇子か……」
誰もが知る有間皇子の悲劇。
十四年前に起こった忌まわしい事件は、今でも悲劇の皇子として人の口々に上がる。
そしてその実行犯と黒幕が誰であるのかも。
あまりにも強引で陰湿なやり口に、実行犯の赤兄は人民の中で不人気ナンバーワンとして語られている。
その噂の宣伝活動をしている勢力があるからでもあるのだが……。
「それだけではない。
帝はご病気でこの一年、人前には出ていない。
にも拘らず彼方此方で城を築いているのは何故だ?
誰が命じているのだ?
近江に都を移したのは唐と戦うためか?
それとも恨みを募らせた内部の者なのか?」
国麻呂が畳みかける。
「確かにこの一年、戦の直前の様な雰囲気が漂っていた。
まるで十年前の白村江の悪夢の様な……。
大津宮と飛鳥古京だけではない。
難波京にも数千の兵を配備していた。
まさか高市皇子様の決起を予期していたのかは分からぬが、何かと戦うつもりで備えていたであろうな」
この一年、近江の三尾だけではなく、難波近辺にも城を築いている。
まるで筑紫の護りを畿内でも再現しているかのようだった。
「本来ならば、ご病気の帝が崩御されれば次の帝は東宮様に他ならない。
しかし東宮様は国が乱れる事を憂いて、吉野の離宮に引っ込んで京をお読みになっている。
だが熊毛殿、本当は分かっておろう。
何故、赤兄がここに二千もの兵を常駐させていたのかを……」
これは熊毛にとって痛い所である。
赤兄が人目を憚らず口にしていていた言葉。
『敵は吉野にあり』
自分が東宮殺しに加担するなぞありえない。
赤兄が飛鳥古京を出て行ったことを心の底からホッとしていたのだった。
「もし東宮様が有間皇子と同じ運命を辿るのであれば、私は赤兄らを許さない」
それは同感だ。
飛鳥を離れることの多い帝に代わり、東宮様は飛鳥古京にいらっしゃることが多かった。
驕らない東宮様の性格に、飛鳥古京の中で好感を持つ者が多かった。
もっともそれは大海人皇子の(腹黒い)イメージ戦略の一環だからなのだが……。
「で、其方は私に何を頼みたいのだ?」
痛いところを突かれて、出てくる言葉はこれしかなかった。
要は早く切り上げたかったのだ。
「我々に飛鳥古京を任せて欲しい。
そうすれば古京を燃やさずに済むし、決して燃やさせない」
留守司の副官に言う言葉ではない。
正常であるかを疑うレベルの発言である。
「誰が……何を任せろと言っておるのだ?」
「我々に飛鳥古京の護りをだ」
「国麻呂よ。
申し出は有難いが、どれだけの兵で守るつもりだ?
百や二百の兵でどうにななるものではない。
国を憂えるのも良いが、虚言もほどほどにせよ」
「ならば見てみるか?
もし断られるのであれば、その兵が飛鳥古京を襲撃せねばならなくなる。
その目で見て判断すればよい」
「……分かった」
こうして熊毛は単独一人で国麻呂に馬で付いて行き、讃岐に居る吹負率いる軍隊を目の当たりにした。
そして、飛鳥古京を護るため、全て自分一人が泥を被る覚悟を決めた。
◇◇◇◇◇
『飛鳥京の北、橿原の方向から兵が多数!』
坂上熊毛の元に第一報がもたらされ、熊毛を除く留守司の者らは一様に混乱した。
造反は不破で起こったのだ。
連中は大津宮を超えてやってきたという事か?
途中、大津宮へ向かう蘇我赤兄率いる軍隊と衝突しなかったのか?
分からない事ばかりだった。
ただ一つ分かっているのは、正体不明の軍隊が近江の方向から飛鳥古京へ向かっているという事実だけだ。
「全兵士を京の北に配備せよ!
今すぐにだ!!」
熊毛はすぐさま指示を出した。
そして部下に迫りくる軍隊にその目的を聞き出すことを命じた。
上司の高坂王と大津京からの使者二人を岡本宮の中に避難させた。
そして岡本宮の門は固く閉じられた。
北に位置する軍は報告の通り、見た事のない格好をしていた。
目に見える限りでは、敵の数は数百くらいだった。
しかしその後方にどれだけ居るのかは分からなかった。
軍の先頭にいた将が大声を張り上げた。
「我々は不破から進軍してきた高市皇子の軍である。
大津は落ちた。
古京を空けよ。
さすれば無益な戦いはせぬ!!」
ここに至って、大津宮が落ちたと思うしかなかった。
兵士達は自分たちが最後の近江側の兵という心細さに、こそこそと逃げ出す者も出始めた。
更に飛鳥京の南側には近隣の高市皇子のシンパと、役小角が橋渡し役となって吹負側に付いた橿原一帯の氏族が兵を潜ませており、挟撃された古京の兵士らは降参する以外、選択肢はなかった。
結果として死者を一人も出さず、飛鳥古京は大伴吹負の手に落ちたのだった。
次の決戦の場は乃楽だ。
(つづきます)
妙に解説クサイ内容ですが、壬申の乱に出てくる登場人物の中に、大海人皇子側も近江側も東漢氏の関係者が多く登場しており、当時の東漢氏一門の隆盛が偲ばれます。
しかし壬申の乱の後、東漢氏は七つの罪を咎められ、天武天皇に許されたとあります。
七つの罪と聞きますと、厨二心が刺激されますが、罪の内容は不明です。
その一つが帝のご暗殺である事は間違いありません。
ちなみに後の征夷大将軍、坂上田村麻呂は東漢氏の子孫です。




