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近江の混乱

(※第三者視点によるお話、近江側の様子です)


 天智帝の命に従い、近江朝は東国の他に、吉備と筑紫へ援軍の要請をすることにした。

 畿内の国々は既に近衛として兵を常時徴兵しているのだ。

 従って、畿内五国、即ち山城(京都府)、大和(奈良県)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)、摂津(北摂と兵庫)以外から援軍を呼ばなければならない。


 吉備は天智帝にとって所縁ゆかりの地でもある。

 母、斉明帝が寶皇女たからのひめみこだった時に育った場所が吉備だったのだ。

 しかし、十年前の白村江で多くの吉備の兵が命を散らし、朝廷に対する感情は宜しくない。

 筑紫に至っては、国が傾きかねない程の兵を出した挙句の敗戦だった。

 その後の水城みずき(※土塁)や城の建設にかかる負担に加え、東国から送られてくる防人によって被支配地のような扱いを受けている。

 筑紫を統べる太宰の栗隅王 (くるくまのおうきみ)は如何に筑紫の民の暴発を防ぐかに神経をすり減らしており、防人の槍の先は海の向こうではなく筑紫の民へと向いていた。


 使者として、この様な場所へ向かわせられる者らは堪ったものではない。

 そもそも吉備はもちろん、筑紫から派兵するのにどれだけ時間が掛かるのか?

 だが、そんな彼らに贈られた有難い言葉はこれだった。


「従わないのであれば殺せ」


 真っ黒(ブラック)にも程があるが、これが追い詰められた者達の思考なのだろう。

 寝たきりの帝に代わって、太政大臣・大友皇子が代筆した勅命を持って、佐伯男さえきのおとこを筑紫へ、樟使磐手くすのいわてを吉備へと遣わされた。


 ◇◇◇◇◇


【吉備にて】


 樟使磐手くすのいわては吉備国の国衙へと赴き、国司・当麻広島たいまのひろしまへと謁見した。

 当麻広島は葛城(※現在の奈良県葛城市)の有力者である当麻豊浜の兄弟であり、豊浜は鸕野皇女の師にあたる親しい間柄である。つまり大海人皇子と繋がりの強い者なのだ。

 それを知ってか知らずか、大海人皇子の長子である高市たかち皇子を討つために兵を出せという命に素直に従えるはずがない。


「当麻殿よ、ここに帝からの勅命を下す。しかと聞き入れよ」


『此度、不破にて相談を起こせし高市は人心を惑わし、太平の世に混乱と恐慌を引き起こす煽動者也。

 これを討つため吉備より兵一万を遣わしてこれを討つべし』


 いきなり一万である。

 二年前に吉備国国司に赴任した広嶋はこの勅命の信憑性に嫌疑を覚えた。

 しかし自らは帝の命によりこの地の国司に遣わされた役人なのだ。

 ノーとは言えない。


「承りました。

 一万となりますと少なくともひと月の準備が必要になろう。

 準備が出来次第、向かわせるとお答えくだされ」


 広嶋としてはこの猶予期間の間に、葛城に居る兄弟に確認するつもりであった。

 無論、無視するつもりは無いが一カ月後も戦乱が続いている様であれば、心して派兵せばならないだろう。逆に小競り合い程度であれば、その間に解決しているはずだ。


 しかし、磐手いわては違った。

 広嶋の返答を『従う意思なし』と判断するやいなや、懐に忍ばせた剣を抜き胸を一突きした。


「な……何を……」


「『従わぬ色を見せれば処せ』。これが私の受けた命令だ」


 こうして吉備の徴兵は、当然の結果として失敗した。

 更に悪い事に、広嶋の訃報の知らせが葛城に居る当麻氏に伝えられたことで、近江軍にとって不利な状況を招くという事に誰も気づいていなかった。


 ◇◇◇◇◇


【筑紫にて】


 筑紫の国の大宰おおみこともち栗隅王くるくまのおうきみは、半年前に左大臣に取り立てられた蘇我赤兄の後釜として、就任したばかりの新任大宰である。

 その名の通り、大王おおきみ一族に連なる者であった。

 特使・佐伯男さえきのおとこが大宰府に到着する前日、栗隅王はある便りを受け取っていた。


 …………


 都府楼とふろうは質実剛健な建物であり、西の都に相応しい景観を持つ大宰府の象徴である。

 そして唐・新羅に面した最前線であるが為、危機管理意識が行き届いた行政機関である。


「ここに帝からの勅命を下す。しかと聞き入れよ」


『此度、不破にて相談を起こせし高市は人心を惑わし、太平の世に混乱と恐慌を引き起こす煽動者也。

 これを討つため吉備より兵一万を遣わしてこれを討つべし』


 樟使磐手くすのいわてと同様、佐伯は勅命を読み上げた。

 しかし栗隅王には”あること”が気掛かりであった。


「佐伯よ、その勅命を確かめたい」


 そう言って、横に侍る息子に書状を受け取らせた。

 それを受け取り書状を改めると、栗隅王は意を決してこう言った。


「筑紫は元々外敵に備えるための場所であり、城を高くし堀を深くし、海に向けて防御を固めているのは、内側からの敵のためではありません。

 今、命令に従って軍を動かせば、国の防備が手薄になります。

 万が一、予期せぬ事態が起これば、一気に国が崩れてしまいます。

 その後で私が処罰されても何の意味もありません。

 帝のご意志に背くつもりはありませんが、兵を動かすことができないのが実情です」


 命じられた通り、佐伯が栗隅王に斬り掛かろうにも守りが固い。

 隙が無いのを察して、このまま引き下がったのだった。


 実は栗隅王には匿名による書状が届いていた。

 反乱を唆す内容でなければ、朝廷を蔑ろにする内容でもない。

 ただ、不破での出来事についての連絡だった。

 そしてそれには封鎖された不破道に掲げられた立札の内容について書かれていた。

『帝が病に倒れて幾久しい。

 その間、奸臣共が朝廷を我が物顔にて政を独占している。

 <中略>

 帝を救い出し正しき政を取り戻すため、大王おおきみの一族として、ここにその責務を果たすもの也』


 栗隅王もまた大王おおきみの一族であり、政の重さを知る者である。

 それ故、勅命の書状を見て、考えを改めたのだ。


 代筆による勅命、即ち奸臣による政の独占の可能性だ。

 それでなくとも大友皇子の太政大臣就任は物議を醸しだしていた。

 例えミミズが這った様な字であっても、帝の直筆であればそれは勅命だ。

 しかし大臣が発するのは官符かんぷなのだ。

 勅命を偽る行為はあってはならない。

 政治経験の浅い大友皇子の痛恨の失策ミスだった。


 しかし、匿名の書の主は失策それを見越していたのは何故なのか?


 ◇◇◇◇◇


【大津宮にて】


 内裏の最奥にある帝の寝所。

 大友皇子は一日一度、天智帝の元に意見を承る事を指示されている。

 本当は休ませた方が良いが、天智帝本人が面会を強要するのだ。


 それは戦局の確認と、未来視による自軍への指示を行うが為。

 自分の未来視が無ければ、敗れるだろうと信じており、裏返せば自分の部下を欠片も信じていないという事だった。

 もし中臣鎌足が存命であれば……。


 …………


「不破の戦局は膠着しております。

 不破道の封鎖は継続しており、美濃、尾張、上野こうずけへの連絡は途絶えております。

 吉備、筑紫へはご指示通り援軍要請の使者を遣わしました」


 簡素に現状を伝える大友皇子。

 簡素なのはそれ以上の情報が入っていないからでもある。


「吉備……筑紫への……援軍は来ない。

 それより……赤兄に伝えよ……。

 古京(飛鳥京)へ戻れと……。

 古京を取り戻せと」


 天智帝には信じ難い未来が視えていた。

 飛鳥京がいつの間にか占拠されているのだ。

 何が起こっているのかが全く分からなかった。

 戦闘があれば、何か見えているはずなのだ。


 しかも、事もあろうか飛鳥京を守るはずの蘇我赤兄は自分の居る大津京へと軍隊を率いて移動しているのだ。

 もし自分が健康な時であったら、馬を走らせ叱り飛ばしていただろう。

 無論、左大臣からは降格だ。


 それだけではない、不破方面の前線基地の体たらくも”視えて”いた。

 蘇我果安と巨勢人が共謀して、山部王を謀殺する場面シーンも視えてしまった。

 だが時既に遅かった。

 本来であれば特使を派遣して二人を罷免しているであろう。


 しかし今の自分は満足に勅すら発することが出来ないのだ。

 ここに至って、大友皇子への譲位を考えねばならないと考え始めていた。

 しかしそのためには、本来継承権を持つ弟の東宮・大海人皇子を何とかしなければならない。

 そもそも東宮とは皇太子(次の帝)という意味で使われる称号なのだ。


 いや……、もはやその様な悠長はことを言っていられないのかも知れない。

 姿の視えぬ敵に対して、天智帝の焦りは頂点に達しようとしていた。


次話からは飛鳥京に舞台を移します。

不破の膠着状態はしばらく続きます。

どうしてなのかは、話の進捗にて。

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