開戦・不破(関ヶ原)の戦い・・・(2)
第三者視点で書くと作風が全く変わってしまいますね。
ほのぼの&コミカルな小説を目指していたはずなのですが……。
(※混乱する近江大津宮にて、第三者視点による話)
巨勢人の便りが届いた翌日。
大津京は騒然となった。
近江大津宮を護る三千の兵のうちの千人を前線に送るのだ。
当然のことながら誰も行こうとはしない。
そもそも掻き集めた兵は生粋の兵ではない。
故郷に戻れば土を耕し、稲を育てる事が本業の庶民だ。
忠誠も規律もない。
あるのは労役を早く終えたいという、後ろ向きな動機だけだ。
剣一本を貸し与えられて前線へ出ろと言われ、素直に頷く者はいない。
それでも、前線での飯の供給を約束することで千名を選抜した。
ただそれだけで一刻を要したが、普段ならば食事すらも自分持ちなのだ。
それくらいに兵士達の待遇は悪い。
千人の兵士を束ねる将は山部王、名の通り皇子であるがもうじき臣籍降下の予定の四世である。
血筋以外に特筆すべきところを見つける事が難しい男であるが、この男の血筋のおかげで官軍の体を為すのだ。
軍を編成し、兵站、武具、野営道具などを千人数分揃えるのに三日を要し、大津宮を発ったのは反乱が起きてから五日後であった。
◇◇◇◇◇
中臣金は文を認め、飛鳥京の蘇我赤兄と難波京の紀大人、三尾城の蘇我果安へと早馬を飛ばした。
しかし金は決定的な間違いを犯してしまった。
それは至急、大津京へ兵を送れとしてしまった事だ。
戦略眼のある紀大人はともかく、左大臣・蘇我赤兄は高坂王に留守を預け、二千の兵を率いて大津宮へと出てしまったのだった。
飛鳥京から大津宮へ向かう道中に潜む、草がどれだけの兵が飛鳥を後にしたのかをつぶさに調べていた。
そして大津に到着するよりも早く讃岐へと伝書鳩が飛ばされた。
蘇我果安は、中臣金からの便りの通り、自らが指揮を執り千人の兵を巨勢の待つ犬上川の河原へと派兵した。
もし琵琶湖を北側から回れば敵を挟み撃ちに出来たであろう。
しかし便りには『大津宮へ』と書かれていたのだ。
元々が気の小さい男である果安は、木簡に従い、部下の将の言うがまま、南回りの道順を通って、大津宮の兵と合流した後に前線へと向かった。
そしてこの事に一部の例外を除いて、誰も失策である事に気付かなかったのだった。
◇◇◇◇◇
ここは内裏の最奥にある帝の寝所。
天智帝の容体は極めて悪い。
激しい頭痛に常時見舞われ、立つこともままならない。
もし天智帝の自尊心が人並であったのなら、寝たきりであっただろう。
この二十年間、心の支えとなっていた火乾布を掛布代わりに被り、椅子にぐったりとして座っていた。
「帝に申し上げます。
帝の予言の通り『見た事のない格好をした敵』が現れ、和蹔(※関ヶ原周辺の呼び名)一帯を占拠しました」
「敵は……誰だ」
「高市皇子に御座います」
「高市……、誰だ?」
「東宮の長子です」
「大海人皇子がか?!」
「いえ、高市皇子が単独で造反しました。
我々を病に倒れる帝を蔑ろにする奸臣と呼び、我々を討つと申しております」
それは帝にとって全くの予想外であった。
高市の存在は知っていたが、庶子であるため眼中になかったのだ。
会った事もなく、自身の未来視でも覗けぬ相手だった。
しかも自分には敵対せず、大友皇子を敵とみなしているのだ。
どうゆう事だ?
もし帝が健全な時であったら、その意図を読み取ったであろう。
しかし激しい頭痛からくる意識の混濁が考える事を阻害する。
そして元々持っていた癇癪の虫が騒ぎ立てた。
「造反者を一人残らず殲滅せよ。
高市とやらの首をここに持って来い。
その首を旗頭にして、大海人の居る吉野へ軍勢を送るのだ!」
「御意に御座います。
しかし敵の兵力が未だに見えておりません。
未知の敵を相手にするには兵士の数が心許なく」
「諸国からかき集めよ!
反論するようであれば、斬ってしまえ!」
「御意に御座います」
こうして父と子でありながら、帝と家臣というよりも独裁者と一つの駒に様な関係の二人は、面会を終えた。
もはや司令塔は不在であった。
◇◇◇◇◇
大友皇子が去った後、天智帝は自分の持つ未来視の能力に身を預けた。
……しかし、弟の東宮が経を読んでいる姿以外、何も見えない。
その周りに居る者は、すべても覚えのある者ばかりだ。
つまり東宮の傍に侍る者は一人残らず、吉野で経を読んでいるのだ。
この十年、ずっと見張っていた。
東宮も、后の鸕野皇女も、家臣の大伴馬来田も、多治比嶋も、幼い大津皇子ですら、覚えのある者達は全て視ていた。
いつか”異父兄弟”が自分に対して弓を引くことは予期してた。
しかし、此度の造反につながるような行動が一切見られなかったのだ。
それでは、高市の造反と東宮は無関係という事か?
……否、そんな事はどうでもいい。
大海人皇子を亡き者にすれば、自分の憂いが無くなるのだ。
これまで多くの者達の命を亡き者にしてきた帝にとって、他人の命など蠟燭の炎よりも価値の無いものに映っていたのだった。
◇◇◇◇◇
高市皇子の決起から七日後。
ようやく犬上川の川辺に、近江側の兵、二千五百が終結した。
では出陣……とはならず、この場に集まった首脳がお互いの主張をし始めたのだった。
出席者は不破方面の責任者・巨勢人、三尾方面の責任者・蘇我果安、大津京から将として派遣された山部王、そして彼らに付き従う将が数名。
「巨勢殿、敵について分かっている事がありましたらお教え願いたい」
「大津へ出した文が全てだ。
数は百程度ではあったがかなり手練れている様子だった。
当初は負けるはずがないと思っていたが、預けれた兵が使い物にならず撤退を余儀なくされた」
「ならばきちんと体制を整えれば負ける事は無いという事か?」
「おそらくはな。
ただし敵の本体は和蹔に潜んでいる事だろう。
半端な数で進軍すれば被害は甚大だろう。
故に兵が揃うまでここで待機していたのだ」
「なるほど、確かにその通りでしょう。
しかしながら、少しばかり弱腰ではないのですかな?」
山部王の下に付く者が、巨勢を挑発した。
「どこが弱腰というのか?!!」
誇りの高い巨勢は即座に反論した。
しかし、周りの者達はどちらかと言えばその将と同じ思いだった。
「恐れながら、不破が封鎖されて七日になります。
だというのに敵の概要がまるで判らないというのは、その間、何もしていないという誹りを受けても仕方が御座いません。
戦わないまでも敵の実情を調べる事はされておらぬのですか?」
「いや、それはだな。
被害が思いのほか甚大だったのだ。
増しては二千もの兵がこの地に駐屯するのだ。
その受け入れも我々がせねばならぬのだ。
むしろ何故直ぐに来られなかったのかを聞きたいくらいなのだ」
すると今後は果安の下に付く将が山部王を挑発する。
「確かにその通りですな。
我々が三尾から千の兵を率いて大津宮に到着した時に、大津の兵はまだ準備の途中だった。
おかげで大津で一日を無駄にしてしまった」
「何を言うか!
三尾は戦のために築かれた城だから、いつでも戦に臨めよう。
しかし大津宮の兵は帝を守るための兵であり、其方らを援護するための兵ではないのだ。
そこを曲げて出兵した挙句に、遅いだの何だのとは心外にも程がある!」
山部王は顔を真っ赤にして抗議した。
それを聞いた巨勢の下に付く将が果安を挑発した。
「私からも言いたい事がある。
三尾の軍が機動を誇るのであれば、どうして近淡海の大津を経由したのでしょうか?
もし北を回っていれば、不破に屯する敵を蹴散らすか、少なくとも我々とで挟み撃ちが出来たはずです。
不破の様子が分からぬ理由は、三尾の軍にもその責があるのではないのか?」
自分達の事を棚に上げた上に、果安にすれば中臣金からの要望に従っただけなのだ。
謂れの無い挑発に、さしもの果安も黙ってはいられない。
…………
もはや烏合の衆の方がまだマシな軍勢が、河原でキャンキャン吠える犬の如き会議を延々と繰り広げていた。
そして兵士らはというと、用意された千人分の食料に二千五百人の兵士らが殺到し、こちらはこちらで仲間同士の醜い争いが繰り広げられていた。
そして出た結論は……
東国への援軍要請の使者である三人に不破道を占拠している敵軍への斥候を押し付ける、というお粗末な作戦だけだった。
(つづきます)
各地に位置関係は以下の通りです。
越国
↑
├───────不破道―野上→美濃
| /
| 坂田
三尾 /
|(琵琶湖) 犬上川
| /
| /
| /
大津宮
摂津─┤
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乃楽
|
難波─┤
|
飛鳥京
不破の辺り一帯を和蹔とも呼んでおります。




