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開戦の刻(高市皇子視点)・・・(3)

(※東宮こと大海人皇子の息子、高市たかち皇子視点によるお話です)



 美濃への出発は明日となった。

 一番の理由は、吹負殿ではなく御行殿から詳しく話を聞くためだ。

 そして今後の行動を擦り合せたいという御行殿の意向を受けたものだ。

 吹負殿は大丈夫だと言っていたが、この二日間で私の吹負殿に対する信頼は激減していた。

 十年ぶりに再会した御行殿よりも下なくらいに。


「高市様、叔父上の突然の申し出で混乱させてしまって申し訳ない。

 叔父上は少々短慮な部分ところがあるので、ろくに説明をしないまま皇子様を連れまわしたと思います」


 この言葉で私の心の中で御行殿に対する信頼がますます上がり、吹負殿に対する信頼が下降した。


「助かる。正直逃げ出したい気分だったよ。

 正直に申せば、今も逃げ出せるものなら逃げ出したいのだが……」


 幼い頃、共に遊んだ気安さからつい軽口が出てしまった。

 半分以上は本音ではあるが……。


「本当に申し訳ございません。

 これから行う事は命掛けとなりましょう。

 だと言うのに、碌に説明も無いまま皇子様を引き込もうなどと、言語道断です。

 後でキツく叱って頂く様、かぐや様に申し上げておきます」


「直接は言わんのか?」


「最も怖い方から叱って貰うのが一番です。

 私が言って聞く様であれば、叔父上はもっと行儀のよい官人となっているでしょう」


 かぐやという神の御遣いは怖い女子なのか?


「まあ、そうだな。

 それが吹負殿の良い所でもあるが、今回ばかりはな」


 吹負殿は御行殿の叔父だ。

 悪口ばかりではこちらの心証も悪い。

 少しばかり言い訳しておく。


「はい、叔父上は少々急いてしまいましたが、事態は深刻です。

 何もしなければ、東宮様は帝により殺されるでしょう。

 これまでの事例を考えますれば、高市皇子様、大津皇子様、草薙皇子様も危のうございます。

 ……いえ、十中八九、連座させられると思った方が宜しいかと思われます。

 故に我々は立ち上がらねばならないのです」


 昨夜から説明を受けているが、確かにその通りだと思う部分はある。

 しかし……。


「本当にそのような事があり得るのか?」


「我々の仕入れました情報では、帝の病状は日に日に悪化している模様です。

 大友皇子を帝に即位させるのに障害となる者をことごとく討つつもりであるとみて間違い御座いません」


「それでも父様が動かないのは、帝の持っているとかいう『神の御技』という訳か?」


「はい、東宮様は帝の眼をご自身に集め、我々の行動を後押しして下さいました。

 そして高市様は皇子様の中で唯一、帝に未来を除くことの出来ぬ御方です。

 東宮様は高市様に並々ならぬご期待をお寄せしており、帝の眼から逃れられるようずっとご配慮されていらしたのです」


「御行殿は美濃に居たはずなのに、何故その様な事を知っているのだ?」


 すると御行殿は懐から、小さな紙きれを取り出した。

 手紙かとも思ったが違っていた。

 これは……?


「これは何なのだ? 絵か?」


 細かい模様で出来た絵だった。


「これはかぐや様と鵜野皇女様との間でやり取りされていた文です。

 細かい文字を並べて絵に擬態させております。

 ”平仮名”という暗号で書かれた文なのです。

『だんなさまはたかちみこがげんぷくされたことをことのほかおよこびにされておる

 もうすぐそなたらのもとへまいるであろうたのしみにしておくれ』

 と書かれております」


 一文字一文字指さしながら読み上げていく。

 字数が合っているので、出鱈目では無さそうだ。

『お』の箇所に気を配って聞いたが、確かに『お』と読んでいた。


「すると私は十年前から、この日のために育てられたという事か?」


「少し語弊があります。

 東宮様にとりまして高市様以外に頼れる皇子様が居られないのです。

 如何せん、大津皇子様も草薙皇子様も幼過ぎます」


「つまりは私以外には役に立たないという事なのか?」


「戦という意味においては高市皇子様も素人です。

 ですがどんな事があろうと、皇子様をお護り致します」


 御行殿の言葉は一つ一つは真摯な態度を貫いており、偽りを申している様子は伺えない。

 しかし所々、神の遣いとか、神託とか、神の御技などと、信じがたい言葉が並ぶのだ。

 神が居らぬという程、私は罰当たりではないが、その神の遣いが地上に居るとは信じ難い。

 という事は、美濃に居るという”かぐや”に会うしか無いのか?


「とりあえず、美濃行きは了解した。

 私は何も準備をしなくてもよいのだな?」


「ええ、十年前から準備しておりましたから」


「では、今から出てもいいという事か?」


「いえ、一つお願いが御座います。

 坂上国麻呂さかのうえのくにまろをお貸しください」


 国麻呂?

 私のお付きの一人であるが、お付きというより幼い頃からの親友といっていい間柄だ。


「何故、国麻呂なのだ?」


「讃岐の兵は美濃と連動し、古京(飛鳥京)を落とします。

 その際に東漢氏やまとのあやうじの協力を仰ぐつもりです。

 『坂上は東漢氏に連なる者だから、橋渡し役を頼みたい』というのが吹負殿の意見です」


「分かった」


「代わりという訳ではありませんが、ここまで一緒に来た東宮様の舎人は皆、高市様について行き御身を護ります。

 ご安心して美濃へと向かって下さい」


「分かった」


 完全に納得した訳ではないが、父様と弟達が命の危機に晒されていると聞いて黙っているわけにはいかない。

 翌朝、腰に『刀』をぶら下げて、私は美濃へと向かった。


 ◇◇◇◇◇


 美濃までの道のりは予想以上に順当であった。


 菟田評(うだこおり)(※奈良県宇陀市)、隠評(なばりのこおり)(※三重県名張市)を抜け、三日後には桑名郡くわなこおり(三重県桑名市)へと辿り着いた。

 行く先々にある父様の屯田みた(※皇室の直轄領)で兵が百人二百人と加わって行き、伊賀郡(いがのこおり)(※三重県伊賀市)に着くころには五百人を超す軍隊となっていた。

 行く先々で兵糧が準備されており、十年間の準備が嘘ではない事が察せられた。


 更に鈴鹿評すずかこおり(※三重県鈴鹿市)では五百名の兵士が街道を守備することを約束された。

 『必ず退路を確保すべき』というのが、御行殿が師事する軍師殿の教えなのだそうだ。

 私も書を読み、それなりに軍学を修めたつもりではあるが、それが目の前で実践されている事に驚きを禁じ得ない。

 そこまで軍学を重視する者を殆ど見た事がない。

 大体の者は、兵の数が多ければ戦に勝てる、と言って憚らないのだ。


 五日後、桑名評くわなこおり(三重県桑名市)まで到達し、美濃が近づいてくると、兵士は千近くなり、一国を攻める軍団にまで達していた。

 だが全員が武具を担持しておらず、せいぜい剣を一本携えているだけであった。

 兵が多い事は良い事であるが、頭数だけでは帝に弓引くことなど無理だ。

 不安になって御行殿に質問した。


「御行殿、彼らは兵士として働らけるのですか?

 単なる農民の集まりなのでは?」


屯田司(みたのつかさ)には、度々金須きんすを渡し、これまで何度も兵を用立てて貰いました。

 稲作に影響が出ない様、農閑期に行う労役の一環として、これまで幾度ともなくこのように集まり、訓練して、そして帰る。

 それをずっと繰り返してきました。

 訓練に参加する間は食べる物に不自由させませんでしたので、参加を希望する者は多く、それなりに競争を勝ち抜いた者達です。

 見込みのない者は、次の訓練に来れないので皆真剣です。

 あまり目立ちたくありませんため移動の間は殆ど手ぶらですが、美濃には彼ら専用の鎧と刀が準備されております」


 御行殿は自信満々に答えた。


「本当に周到な準備をしていたのだな……」


 感心するかのように呟くと、御行殿はこう答えた。


「準備はそれほど難しくないのですが、露見しない様にするために周辺との折衝するのは少々骨が折れましたね。

 今では鈴鹿も桑名も志を同じくする同志と言って差し支えありません」


 つまりは御行殿が自ら動いて、周辺の者達とも友誼を結んだという事なのだろう。

 この十年間の御行殿の努力を目の当たりにして、私は御行殿の言葉を受け入れるようになってきた。


 ◇◇◇◇◇


 千人を超える兵を引き連れて尾張国を抜け、美濃の東端にある各務評かがみこおりへと着いたのは出発して八日後だった。


「ではこちらです」


 案内された先にある屋敷は予想していたよりも遥かに粗末な屋敷だった。


「村国様、かぐや様、高市皇子様をお連れ致しました」


 門番すら居らず、御行殿は門で大きな声を張り上げて私達の到着を知らせた。


「お待ちしておりました」


 すると庭にいた雑仕女らしき女子おなごが駆け寄ってきた。

 粗末な衣を纏っているが、不思議と見窄みすぼらしさは感じない。

 年齢は……見た目は私とさして変わらぬ様にも見えるが、年上にも見える。

 何かしら高貴な感じすらするのは何故だろう?


「かぐや様、この方が高市皇子様です」


「かぐやと申します。

 遠い所をお越し下さり、ありがとうございます。

 お疲れでしょうから、ごゆるりとお休み下さい」


 かぐや?

 目の前にいるこの女子が神の御使いか?


 すっかり私は神殿の奥に鎮座している巫女の姿を想像していたので、予想との差異ギャップに頭が付いていかなかったのだった。



(つづきます)


本話の位置関係はこんな感じです。距離にして180kmくらい歩いたはずです。


              各務原

               ↑

              (尾張)

               ↑

              桑名評くわなこおり

               |

              鈴鹿評すずかこおり

            _/

         伊賀郡(いがのこおり)

       _/

    隠評(なばりのこおり) 

   _/

菟田評(うだこおり)

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