開戦の刻(高市皇子視点)・・・(2)
飛鳥時代に武士が参上。
(※大伴吹負に連れられたその先で見た異様な光景。しかし高市皇子は吹負の言葉を信じられずにいた。)
今のこの状況を鑑みると、大伴吹負殿が独断で反旗を翻そうとしており、旗頭として皇子である私を担ぎ出そうとしている……というのが一番ありえそうであり、妥当であろう。
しかし狂気というのは危険極まりない。
これまで私に対して何かと便宜を図ってくれたあの吹負殿が何時私に凶刃を向けてくるのかも知れぬ。
だとすれば、じっくりと説得して思い留まらせるか、最悪私だけでも逃げおおせればそれでいい。
思わず腰にぶら下げた剣に手が伸びてしまう。
今はこれだけが頼りなのだ。
ここへ来たことの後悔は遠の昔に終わっていた。
今は何を為すべきか……だ。
「皇子殿、何れにせよ今日は遅い。
この地に建てた私の屋敷で話の続きをしましょう。
これまで話してこなかった事や、話せなかったことが山ほどあります。
如何でしょう」
「……望むところだ」
こうして吹負殿と父様の舎人達、そして私の付き人らがぞろぞろと吹負の屋敷へと歩いて行った。
建物は質素だが、庭が広く住み心地の良さそうな屋敷へと案内された。
そしてまだ夜は冷える季節だというのに庭に戸をあけ放って食事となった。
屋敷に閉じ込められることを想定していただけに、意外でもあった。
「皇子殿、この地の者達による武具のお披露目です。
確とご覧ください」
すると先ほどの珍妙な恰好をした者が馬に乗って、庭へと入ってきた。
弓らしき物をたすき掛けの様にして持っているが、驚くべきなのはその長さだ。
人の背丈かそれ以上ある。
それをするりと外し、手に持った。
「この者はこの地で一番の手練れに御座います。
名は辰巳。この地の里長を任ぜられております」
辰巳というその男は、ペコリと頭を下げ、軽やかに馬を操り庭の隅へと馬を移動させた。
するといきなり反対側へと駆けだし、向こう側にある的らしき物へ矢を放った。
見事に命中、しかも二発連続だ。
見事な腕だ。
私も弓を嗜んでいるからよく分かる。
見たところ五十尺(15m)以上離れている。
その精度もさることながら、弓の威力がまるで違っていた。
しかも馬に乗ってだと??
「吹負殿よ。これはこの者の腕前が突出しているという事か?」
「いえ、辰巳は手練れでありますが、辰巳に比肩する兵が百名程おります」
「一体いつの間に……」
「この十年間、地道に準備した成果です。
では、間近でご覧になりますか?」
「あ、ああ」
自分の身が危ないことに変わりは無いが、それ以上に好奇心が抑えられず、私は庭へと降り辰巳という男に近づいて行った。
辰巳は馬を降り、傅いていた。
「弓を見せてくれ」
すると辰巳は無言で弓を差し出した。
軽いはずの弓にずしりとした重みを感じた。
この弓に費やされた手間暇の重みだ。
長弓そのものは珍しく無い。
しかし間近で見てみれば、竹かと思ったこの弓は層に張り合わせれており、蔓で固く締められている。
そして手に持つと、持ち手がしっくりする。
この弓は強く、そして……美しい。
「試してみてよいか?」
自分の立場を忘れ、辰巳に聞いた。
すると辰巳は弓と共に矢を一本差し出した。
そして、庭の向こう側にある的に向けて構えた。
……ぐっ! 強い!
弓が引けぬ。
かと言ってここで諦めるのは恥だ。
ギリギリギリ……。
震えながらも弓を引いた。
そして矢を的に向いた瞬間に手を離した。
ヒュン!
自分が想像していたよりも倍の速さで飛び出し、的を大きく外し塀に突き刺さった。
「流石でございます。
私は五年掛けてようやくこの弓を引けるようになりました。
最初から引けた御方は初めてに御座います」
辰巳はそう静かに言った。
様子からして世辞ではなさそうだ。
しかしこの弓の凄さは今の一射で良く分かった。
「忝い。
ついでだが、その剣を見せてくれぬか?」
「はっ!」
辰巳は帯から鞘ごと剣を抜き、私へ差し出した。
先程から気になっていたが、やはりこの剣は曲剣だ。
「我々はこの剣を『刀』と呼んでおります。
どうぞお受け取り下さい」
私は『刀』を受けとり、すらりと抜いた。
重さは剣とさして変わらない……いや軽いか?
鞘を付きの者に預け、構えた。
やはり違う。
まるで生き物の様な……御霊を感じる。
この『刀』に比べると、今まで使っていた剣は棒切れの様な武骨な代物にすら思えてしまう。
「この『刀』は優れモノなのか?」
「はっ! こちらに用意して御座います」
見ると藁を縛り付けた太い竹があった。
これを剪断するつもりか?
「では失礼いたします」
辰巳はそう言って、別の刀を手に持ち、構えた。
そしてスイっと踏み込み、斜め下に刀を振り下ろした。
パシッ! パシッ! パシッ!
藁が巻かれた竹を小枝の様に小気味よく切り落としていった。
剣であったら一つ目は切れたとしても、二つ目は噛んでしまうであろう。
少なくとも切れ味は優れている。
「この竹は人と同じ強度がありますので、この刀で斬られれば同じようになるでしょう」
辰巳は事も無げに、猟奇ともいえる言葉を口にした。
……そう、これは戦のためのものだ。
吹負はずっとこれをやってきたというのか?
「吹負よ。
十年準備したというのはこれなのか?」
「その通りです。近江を取り囲み攻め落とすために準備してまいりました」
……?!
「吹負よ……やはり其方は嘘つきなのだな」
「どうしてですか?」
「大津宮は出来たのは二年前だ。
何故準備を十年掛けられるというのか?
其方は私を謀かっているのか?」
「それは無理もありません。
ですが、十年前から近江が敵の本拠地であることを見越して準備してきたのです。
そのためにここと同じことを美濃でも準備しております。
正しくは美濃で剣と鎧、ここで弓と矢を準備してまいりました。」
「今更負け惜しみか?」
「いえいえ、ここからが本題です。
高市皇子殿には今から美濃に渡って頂きたいのです。
そこで兵を率いて頂くのです。
美濃では三千の兵士達の準備が出来ております」
????
「吹負よ、今日の其方は突飛過ぎて言っている事がさっぱり分らぬ。
もう私を開放してくれぬか?」
「私が申している事が突飛に思える事は否定しません。
説明をきちんとします。
その上でご判断願いたい。
これは皇子殿の父君、東宮様の強い意向なのです」
「そんな事はないだろう。
私と父様とはもう何年も話すらしていない。
意向なぞ在ってたまるか」
「それは誤解です。
高市様に強く期待を寄せているからこそ、東宮様は高市様とお話が出来なかったのです」
「吹負よ、其方の言っている事はめちゃくちゃだぞ」
「仕方がありません。
人知の及ぶ範囲を超えた出来事でもあるのです。
しかしこれだけの武具を一万組も用意したのです。
それだけでも我々の本気は分かって頂けるものと思います」
「確かに其方は本気なのだろう。
しかし人知が及ばぬとは、神でも相手にしようと申すのか?」
「話が早い、その通りです。
帝は神の加護を受けているのです」
……は?
その夜、私は夜通し吹負の話を聞いたが、全てを理解するのには至らなかった。
話の所々に理解の及ばぬ内容が散りばめられていたのもあるが、おそらく吹負は説明が下手なせいなのだろう。
◇◇◇◇◇
翌朝、来客がやってきた。
どうやら待ち合わせをしていたらしい。
「お待たせいたしました。
刀を百振り、鎧を五十領、兜を五十刎持って参りました」
……? 見覚えがある顔だったが思い出せない。
誰だ?
「もしかして高市皇子様でしょうか?」
向こうは私を知っているようなのだが?
「そうだが、申し訳ない。其方は?」
「いえ、覚えておられなくて当然です。
私は吹負様の甥、大伴御行に御座います。
高市様が幼い時、よくご一緒しておりました」
「ああ! あのお方か!!」
いつの間にか居なくなってしまったあの人と久しぶりに会えた。
しかしここに来るという事は……刀と言っていたから間違いなく反乱に加担する者達の一人という事か?
「御行殿はこれまで何をなされていたのですか?」
「私は東宮様の命でかぐや様に付き従っておりました。
以来、美濃の地で武具の開発と兵の練兵、そしてかぐや様の遣いをやっておりました」
かぐや?
……昨夜、吹負殿が言っていた天女という神の遣いとやらか?
「すまないが、かぐや? ……とやらは本当に神の遣いなのか?」
「はい、紛れもなく。
私はかぐや様が受けたご神託に従い、この地を離れた後ずっとかぐや様に仕えてきました」
「其方が怒る事を承知で聞くが、騙されてはおらぬな?」
「かぐや様が神の遣いであることは間違い御座いません。
斉明帝の時代、京中に『神卸しの巫女』として名を馳せた方です。
そしてかぐや様は帝の神の加護に対抗できる唯一の御方です。
この十年間、帝の目に触れぬ方法で、東宮様や鵜野様と連絡を取り合ってまいりました。
その上で、帝の目に触れぬ様、武器を調達し、兵士を育て、戦の準備をしてまいりました」
「それが信じられぬのだが……」
「それはご心配ありません。
高市皇子様には、これから美濃にいらして頂きます。
直接会いますればその疑問も氷解するでしょう。
私もお供しますのでご安心下さい」
ここに至って、いよいよ私は美濃へと向かわねばならなくなった様だ。
(つづきます)
和弓の歴史は分からない事があり、飛鳥時代の弓(原始和弓)と、鎌倉時代以降の和弓との違いについて(特に形状について)明確に出来ませんでした。
古墳時代にも長弓は存在し、魏志倭人伝にも『倭人の弓が下が短く上が長い形をしていた』と記されており、和弓の形に近かったみたいです。
おそらく平安時代以降に竹と木の複合素材を開発することで、後世のチート級の和弓が開発されたのだろうと思いますが、弓道は疎いのでボロが出る目に退散します。




