開戦の刻(高市皇子視点)・・・(1)
突然の初登場人物です。
※高市皇子視点による開戦の様子です。
高市皇子は初登場です。誰?……と思いますが、壬申の乱において重要人物です。
詳細は後書きにて。
……妙な事になった。
父様が出家して吉野にお隠れになって以来、様子が変なのだ。
元々私は父様とは離れて育ったから、父様と距離があるのは仕方がない。
后である鵜野皇女様からあまりお声を頂かないのも、仕方がない事だ。
伯父上にあたる帝とは只の一度もお目通りしたことがない。
何故かと言えば、母上が筑紫の豪族の出だからだ。
弟にあたる大津皇子や草壁皇子の様な、皇女様を母とする純粋な皇子様とは扱いが違う。
つまり私は皇子とは名ばかりで、大王一族として扱われていないなのだと……、ずっと思っていた。
だからなのだろうか?
この十年、剣、軍学、儒教、……父様は私に家臣としての学びを求めてきたのだ。
無論、私に拒否できるはずもないし、十に満たない私が反抗できるはずもなかった。
気付いたら自分でも皇子らしくない皇子となっていた。
私の周りに居る者達は、高市(※現在の奈良県高市郡と橿原市のあたり)の地の有力者らばかりで、大王の一族とは殆ど顔を合せなかった。
だが今となっては、宮の中で窮屈な思いをせずに過ごせてきたことを父様に感謝する程だ。
しかし……それは突然の事だった。
昨年、大津宮からお帰りになられた父様が家臣一同と身内を吉野に呼ばれた。
そして、こう宣言したのだ。
『私ははこれから仏道に入り修行をする。
私と共に仏道に入る者はここに留まるがよい。
もし今後、官子として身を立てようとする者は便宜を図ろう。
早々に心を決めよ!」』
父様が東宮の地位を捨て、出家してしまったのだ
この言葉に私は迷った。
皇子であるので私は父の従うべきなのだろう。
しかし私は、私は皇子の身でありながら父様とは違う道を選んだ。
僧侶になるつもりは無いし、経など習った事すらなかった。
臣下功績して、私の育った高市の地で過ごすのも悪くないと思えたのだ。
それを後押ししてくれたのが大伴吹負殿だった。
吹負殿は私の事を目に掛けてくれて、私にとっては兄の様な存在でもある。
兄と言えば……幼き時によく一緒に遊んでくれた吹負殿の甥っ子が居たはずなのだが、いつの間にか居なくなってしまった。
今頃は大津宮か難波宮で官人として身を立てているであろう。
◇◇◇◇◇
突然の自分の身を取り巻く環境が変わってしまい、戸惑いながらも高市の屋敷で何もせず過ごしていた。
そんなある日、不意に吹負殿がやって来た。
「皇子殿、お加減は如何かな?」
「吹負殿は随分と生き生きしておりますね。
良い事でもあったのですか?」
「良い事なぞあるはずがない。
だがこうでもしておらんと、やってられぬという事だ」
「気持ちは分からぬではないが、私は吹負殿の様にはなれぬぞ」
「はっはっはっは、違いない。
だがそうも言ってられぬ。
皇子殿にはやらねばならぬ事があるでな」
やらねば……? 何だそれは?
「済まない。私に何かしなければならない事があったのか知らぬのだが?」
「それはそうだろう。
我々も半信半疑だったのだ。
しかし憂いが現実となってしまった。
それ故、立ち上がらねばならなくなったのだ」
憂い? 現実? 立ち上がる???
ますます混乱が深まってしまったぞ。
「済まない。
吹負殿が何を言いたいのかが分からなくなったのだが?」
「それはそうだろう。
我々が立ち上がらずに済むのであれば、何もなかったし、しなかった。
故に何も話してこなかったのだ。
おそらくこの場で説明しても分かるまい。
一緒に来てくれぬか?
そこで話をしよう」
「分かった。では出掛けようか」
どうせ暇なのだ。
何となくではあるが、昔から感じていた違和感に関係している様な気がしたのだ。
吹負殿と共に来た父上様の舎人の方々と共に、案内されるがままに歩いて行った。
…………
謀られた気分だった。
目的地はすぐそこかと思っていたら、随分と歩かされた。
長々と歩き、日も傾きかける頃になってようやく目的地らしき場所に着いた。
今日中に屋敷へ戻るのは無理そうだ。
しかし案内されたのは変哲もない田舎だった。
寺も社見当たらない。
強いて言えば、畑が色取り取りで、農地としては潤っていそうなくらいだ。
まさか私に農作業でも見せるつもりなのだろうか?
「皇子殿、こちらです」
未だ稲の無い広大な田畑を抜けていくと、広場で領民らが武器を手に訓練をしていた。
それだけでも驚きなのだが、連中が使っている武具が随分と変わった形をしているのだ。
そもそも甲冑姿が変なのだ。
ピラピラした板の様な物を、腰の周りや肩にぶら下げていて、傍から見ると随分と邪魔っ気に見える格好なのだ。
「吹負殿、これは?」
「この讃岐の地の領民と我々大伴の領民の訓練所です。
十年より前から、こうして訓練を続けております」
「つまりは大伴氏の兵士という事か?」
「いいえ、東宮様の兵です」
!!!!
「どうゆう事だ?
父様は四カ月前に出家して、今後は政には関わらぬと申しているのだぞ。
それなのに兵士が訓練しているなぞ聞いたことがない」
「聞いていなくて当然です。
ずっと隠して参りましたから。
この十年間、この日のために訓練してきたのです」
十年間? この日のため?
「この日とは何だ?!」
自分でも、何故声を荒げて聞いているのか、何故自分が怒っているのか、何故憤っているのかが分からない。
ただこれほどの大きな秘密を、全く知らなかった事、そして全く知らされなかった事に、面白くないという気持ちが湧き上がってきたのだ。
「帝に反旗を翻す日です」
!!!!
事も無げに大それた事を口にする吹負殿が、気が狂ってしまったのだと、私は直感した。
そうでなければ説明が付かない。
それくらいに目の前の情景は常軌を逸しているのだ。
「一体、何を考えているのだ!
国家へ反逆は、八虐の内の最も重い罪の”謀反”として斬首の刑に値する。
吹負殿はそのような大それたことを考えていたのか?」
「いいえ、これは東宮様の指示によるものです。
もし帝が東宮様のお命を狙わなかったら、この者らの訓練は不要のものとなっていたでしょう。
しかし帝は東宮様を吉野に閉じ込め、攻め込む算段をしているのですよ」
父様が?!
ますます私は混乱してきた。
「帝の娘に当たる鵜野様を、父様は后として迎えているのだぞ。
それだけではない。
亡き大田皇女様もそうだ。
その帝が父様を攻め込むなんてあり得るのか?」
「残念ですが、鵜野様と大田様の母方の祖父に当たります蘇我倉山田様は、帝の妃として遠智娘様を迎えながら、謂れも無き罪を着せられ帝の命により処せられました。
その様な事は理由になりません」
それは聞いた覚えがある。
だからと言って……。
「それでは吹負殿はこの兵を率いて近江に居る帝を攻め込むつもりなのですか?」
「そうでもありますし、そうではありません」
何となく私は馬鹿にされている気分になってきた。
ひょっとして揶揄われているのか?
「ならば私は屋敷へと戻ろう。
この事は見なかった事とにする!」
「それはなりませんね。
何故なら、これらの兵を率いるのは高市皇子殿なのですよ」
?????
私がこの兵を率いる?
悪い冗談にしか思えない言葉を平気で言う吹負殿。
頭の混乱は収まることが無かった。
(つづきます)
本話の冒頭部分の説明語りで、大まかには分かったと思いますが、高市皇子のプロフィールは以下の通りです。
生誕:西暦654年、孝徳帝ご崩御の年に生まれた。
父親:大海人皇子
母親:筑紫の有力者、宗形徳善の娘の尼子娘
母親が地方の出なので継承順位が低いですが、大海人皇子の息子の中で一番の年長。(※ただし十市皇女より3つ年下)
大海人皇子の息子の中で唯一、壬申の乱で戦場に出た皇子様です。




