開戦前夜
***** 天智帝サイドのお話です *****
目論見は失敗に終わった。
しかし大海人を吉野に封じたのだ。
決して悪い結果ではない。
動けば、必ず判る。
その時が奴の最期だ。
私は心を静め、瞼の裏に浮かぶ未来の像を待った。
…………
あれは……頭を剃り落した大海人か?
「皆の者に告げる。
我が兄、天智帝は病床にあり、先行きが危ぶまれている。
痛ましい事だ。
私としては天手帝の快癒を願って止まない。
しかし兄上は今後の事を憂うあまり、私に帝位を譲位すると申した」
口では殊勲な事を申していたが、やはり帝の位を狙っているのだな。
だが、それでいい。
「私が考えるに兄上は病を憂うあまり、一時の気の迷いを生じられたのだと思う。
後顧の憂いを無くすべく、私は決意した。
私は出家して、仏道の道に進み、この先ずっと国の安寧を祈り続けよう。
帝の位はいずれ兄上の長子、大友皇子が継ぐであろう。
さすれば国は安泰となり、その優れた才は国を更なる高みへと導くであろう」
なん……だと?
「私ははこれから仏道に入り修行をする。
私と共に仏道に入る者はここに留まるがよい。
しかし強制はしない。
もし今後、官子として身を立てようとする者は便宜を図ろう。
国許に帰るのも吝かではない」
……どうゆう事だ?
この先、戦が起こることは間違いない。
それは大海人が首謀者に違いない、はずだ。
あれが大海人の本音ではない、はずだ。
あってはならない。
私のこの力は制限が多い。
自分が視たいものを必ずしも視れるのではない。
好きなだけ見られるわけではなく、一日に数回が限度だ。
それに……。
ともあれ、今後もずっと見張るしかない。
それでも駄目ならば、吉野を奴の墓場とすればいいだけだ。
しかし今はまだ準備が足りぬ。
十年前の百済の役で、武器も人の命も全て放り出したのだ。
数年もすれば、戦の傷跡は回復しているであろうと考えていたが、それは甘い考えであった。
その後の防衛に掛かる負担が大きかったのが最大の要因だ。
あれ以来、筑紫は大人しくなったが、負担の大きさに目眩がするほどだ。
大宰府に水城を張り巡らせ、各地に百済の技術者を召し抱えて城を築いた。
筑紫(大野城)、対馬(金田城)、肥国(鞠池城、基肄城)、長門(長門城)、阿波(屋島城)、安芸(常城、茨城)、そして難波(高安城)。
これらは、海から攻め入るであろう唐の侵攻を防ぐだけではなく、大和による支配を徹底するために役立っている。
しかし、一万近い防人を維持するのは容易いことではない。
もっとも防人は東国から送り込んでいるから、人の負担は無い。
かと言って、連中が筑紫に根を張ってしまえば、それは筑紫の兵となる。
故に三年で東国へ帰さねばならず、その間、連中を養わねばならない負担は想像を超えていた。
鎌子が居なくなってからは、特に顕著になってきた。
財源の確保のためにも一刻も早く近江令を施行しなければならなかった理由もそこにあったのだ。
しかし、まだ成果は上がっておらぬ。
ようやく戸籍が出来たでのこれからだと赤兄は言っていたが、何をモタモタしているのか。
だがこれだけの備えだ。
唐が攻めてきたとしても、大津宮まで攻め込むのは容易ではない。
故に西からの進軍は考え難い。
すると北か東だ。
鎌子の在命中、東国との関係は悪くは無かった。
叔父上(孝徳帝)を出し抜くため、東国出身の官人を重用することで、宮中の実権を乗っ取るのに大いに役立ってもらった。
今尚、中級の官人には東国の出の者は少なくない。
その連中が大津宮に攻め込むことは考え難い。
となると北からの侵攻を警戒すべきであろう。
三尾評に建設している城の完成を待たねばならない。
各地に配備した近衛に武器を行き渡らせるためにも半年は必要だ。
大海人はそれまで放っておいても構わぬであろう。
***** 大海人皇子サイドのお話です *****
「皆の者に告げる。
私ははこれから仏道に入り修行をする。
私と共に仏道に入る者はここに留まるがよい。
もし今後、官子として身を立てようとする者は便宜を図ろう。
国許に帰るのも吝かではない。
早々に心を決めよ!」
私は近江大津宮から来た道を引き返し、飛鳥へと向かった。
ご丁寧な事に蘇我赤兄らは、初日の宿泊地となる宇治(※現在の京都府宇治市)まで見送ってきた。
後ろから斬り掛かれるのではないかと警戒していたが、今は見逃すつもりであるらしい。
もし兄上の譲位の話に乗っていたら、今頃はどうなっていた事やら。
飛鳥岡本宮に立ち寄った後に、そのまま吉野へと向かった。
吉野は后の鵜野が留守を預かる私の本拠地だ。
吉野の宮に着くと同時に、宮に居る家臣、舎人らに一斉に宣言した。
しかし狼狽える者は一人としていない。
兄上に顔が知られているものはここに留まり、兄上の未来を視る神の御技から逃れられるものは各地へと散らばる算段なのだ。
これから開戦の日まで、兄上には茶番に付き合ってもらおう。
いつ何時、私の姿を覗き見ても経を読む姿か、飯を食っているか、寝ている姿しか見られぬ。
私の家臣を覗き見ても、同じ姿しか見られぬのだ。
この十年、この日のために準備してきたのだ。
私の中で密かに戦争が始まった。
頼むぞ、皆の者。
頼むぞ……かぐやよ。
***** かぐや視点によるお話です *****
「かぐや様! 文が届きました」
御行クンが慌てて屋敷へと駆け込んできました。
私は文を受けとってじっと見ます。
『とうぐうはしゅっけしよしのにこもる
こころざしをおなじくするものはよしのにのこり、ほかはかくちへとちらばった』
(東宮(大海人皇子)は出家し、吉野に籠ります。
志を同じくする者は吉野に残り、他の者らは各地へと散らばりました)
……ついに来ました。
以前、鵜野皇女様を通じて、警告してあったのです。(もちろん暗号で)
『天智帝が宮に呼び寄せて、譲位を迫るかも知れません。
しかしそれは罠です。
もし同意したら言い掛かりをつけられ亡き者にされます。
決して同意なさらないで下さい』
日本書記でも歴史の授業でも有名な場面です。
後の創作が混じっているかも知れませんが、どうやらこの部分は後世の歴史の通りだったみたいでした。
もしこの後も日本書紀の通りであれば、天智帝は間もなく亡くなると記されておりますが、この辺は諸説あって本当のところは分かりません。
もしかしたら、帝を殺害して即位したという悪名を後世に残さないため、潤色したとも言われております。
つまりは、壬申の乱とは幻の皇位簒奪戦争であったという可能性です。
私としてはその様な血なまぐさい歴史をなぞりたくはありませんが、これまでの天智帝の悪行を知ってしまった以上、避けられないかも知れません。
そして神様からの命令もあります。
もしもここで大海人皇子様が残らなければ、未来の日本の神話と国の在り方が違うものになってしまうでしょう。
それくらいに大海人皇子様と鵜野皇女様が残す業績は計り知れないものがあるのです。
私は村国様をお呼びして、いよいよ戦が始まる事を伝えるのでした。
(つづきます)




