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鎌足の死(藤原鎌足視点)・・・(5)

 ***** 中臣、改め藤原鎌足視点 *****


 ……有難い、とても安らかだ。

 痛みから解放され、私はようやく自分自身を取り戻した気分になった。

 そして深く眠ることが出来た。

 もうこのまま果てても構わぬ。

 その様な気持であった。


 だが折角の安眠も物々しい騒音に邪魔をされた。

 おそらくは葛城皇子が言っていたあれであろう。

 その知らせが鵜野皇女を通してかぐやに伝わったのであろう。

 そして私の先が短いという事も。


 足音が聞こえる。……五人か?

 気配だけでわかるのは、大海人皇子と……あの怪しげな僧侶か?

 小角とか言っていたな。


 ……なるほど、考えたものだ。

 私が黙っていようとも、心の内を読み取る算段か?

 話すこともままならない今の私には有難い配慮だ。

 普段であったら追い出してやるところだがな。


 そして……くがねだな。

 何だかんだ言って、祭祀だののりだの、面倒事を一切引き受けてくれたのは金だった。

 一度は礼を言いたかったが、もはや叶わぬであろう。


「安心して下さい」


 小角の小声が聞こえた。

 安心? 私が死んでおらぬのを読んだのか?

 だとすれば楽でいい。


「では始めよう。

 中臣鎌足殿、返事はせずとも好い。

 帝は鎌足殿の快癒を願っておられる。

 この催しが鎌足殿の快癒の邪魔となることを帝も皇弟たる私も望んでは居らぬ。

 蟋蟀こほろぎが鳴いていると思ってくれても構わぬ。

 皆もそのつもりで臨むよう」


 分かった。

 秋らしい鳴き声であればいいがな。


「是」


 小角が私の心の内を伝えた。

 なるほど、小角の力とは大層なものらしい。

 かぐやへの伝言も伝わったのであろう。


 金の声がする。


「それでは始めさせて頂きます。

 先ずは、新しき氏の創生と授与を行いまする。

 本日、内臣、中臣鎌足に天智帝より姓を給わる。

 ここに帝からの勅旨を以て新しき氏を『藤原』とし、今後は『藤原鎌足』の名を名乗ることを許すもの也」


 分かった。

 ふひとを思えば、中臣から離れる事を

 私が亡き後、山科の田辺にふひとの教育を頼んだ。

 奴なら正しく導いてくれるであろう。

 氏の力ではなく、己が力でのし上がって欲しい。

 出なければ没落した方が良い。

 実力もないのに政に口を出す輩は嫌という程見てきた。

 そんな連中と同格になって欲しくない。


「是」


 小角は私の考えを読んで答えたようだ。


「それでは天智帝の下命を以て藤原鎌足に申し伝える。

 内大臣の職に命ず。以後、一層励むことを望む」


 頼むから止めて欲しい。

 私は引き際というものをわきまえているつもりだ。

 今更、大臣の位など欲しくは無い。

 今までの内臣うちつおみ内大臣うちつおおおみになったところで、一体誰が喜ぶというのかさっぱり分らん。



 まだ続きそうだ。

 冠位を授けるとか言っていたあれか?

 布の擦れる音がする。

 多分そうだと思う。


「それでは冠位の授与を執り行う。

 天智帝の代理として、皇太弟・大海人皇子様により給う」


 金よ、もう少し静かに話してくれぬか?

 正直、痛みは無いが、体中が疲れ切っているのだ。

 おそらくこの疲れが心の臓に届く時が私の最期なのだと思う。

 耳を使うだけでもそれが擦り減っていく気がするのだ。


「天智帝より藤原鎌足の功労に感謝し、これまでの功績を鑑み、大織たいしょくの冠を与える」


 ……よりによって『大織』か。

 引っ込める訳にはいかないな。

 だが私が受け取ることで、冠位は崩壊するだろう。

 右大臣、左大臣より下の臣が最高位を授与してしまえば、今後の位の均衡が崩れてしまうであろう。

 もはや諦めるしかあるまい。

 冠位なぞ、この二十年で二回改変しているのだ。

 また変えればよい。


「是」


 なんとも情けない肯定だな。

 心の中で苦笑いをした。

 実際の私も苦笑しているのかも知れぬな。


「それではこれにて、辞令および冠位の授与を終わる」


 金の声で、授与の式典が終わった事を悟った。

 これが私の公人としての役目は全て終わったということか。

 では、終わりのときが来るまで、休ませて貰おうか。


「金よ。先に引き返してくれ。

 私は少しだけ残って藤原殿を見ていたい」


 ……大海人皇子がまだ残っていたのか?

 他に気配は感じられぬが、小角とかいう僧侶は居るだろう。

 何か話でもあるのか?


「鎌足殿よ。これまでご苦労だった。

 ゆっくり休まれよ。

 そして礼を言いたい。

 兄上を……ありがとう。

 兄上にとって鎌足殿は特別であった。

 そして羨ましくもあった。

 だから……鎌足殿に人を紹介して頂いた時には嬉しかったよ」


 ふ……。

 大海人皇子らしい言だ。

 しかし皮肉なものだ。

 葛城皇子は弟の方こそを妬んでいたのだ。

 葛城皇子が羨む血統と、人から慕われる人柄、その両方を持っている大海人皇子にな。

 人とは自分に無いものを欲するのであろう。

 だからと言って額田殿の件はやり過ぎだった。


 人を紹介……そうだったな。

 あの槍の件の時だったか……。

 懐かしい思い出だ。

 今にして思えば大海人皇子にかぐやを紹介して良かった。

 だがその結果が現状に至っているのだと思うと、複雑な気分だ。

 少なくとも天智帝の下で使い潰されるよりは遥かにマシだ。


「鵜野も礼を言いたいと言っていた。

 其方は我々の中心にいるべき人物だった。

 もし心残りがあるのなら、兄上に託して欲しい。

 我々の子孫に任せて欲しい」


 あのお転婆皇女が……今では皇弟の妃だ。

 成り行きとはいえ、あの皇女もなかなかだったな。

 どうしてかぐやは面白い者達を惹きつけるのであろうか。

 そしてその一人が私なのだと思うと満更ではない。


 しかし天智帝は、もう昔の葛城ではないのだ。

 もし天智帝に託せば、大海人皇子は排除されるであろう。

 しかしこの場を天智帝が視ているのかも知れぬのであれば、已むを得まい。


 子孫……か。

 葛城皇子と大海人皇子、鵜野皇女……、吉野で皇子を生んでいたな。

 私の遣り残した例の編纂は物部麻呂が継いでくれるであろう。

 阿部御主人あべのみうしは、父親譲りの聡明さと堅物ぶりで次代の帝を支えるであろう。

 ふひとは……。

 真人よ……。


「百年、二百年、千年経とうと『藤原鎌足』という卓越した臣がいた事を語り継ごう。

 天智帝と其方の功績を称えよう。

 そうだな……国史を編纂したいという物好きが居たな。

 国史編纂が成った時には必ず伝え、未来永劫記録として残そう」


 ……居たな、そのような残念な娘が。

 だがな、その作業こそ私がしたかった事なのだ。

 その必要をいち早く説いていたのも私だ。

 もし出来るのであれば、残念な娘(かぐや)にその役目を与えて欲しい。

 どんな国史が出来るのか……心に思うだけで笑みがこぼれてくる。


 小角よ、もし私の心の声を拾えるのであれば伝えてくれ。

 あがりがとう、とな。


「それでは邪魔をしてしまった。

 次に来るときには、もっと良くなっている事を期待している」


 兄弟そろって無茶を言いなさるものだ。

 しかし今を生き永らえたとしても、例え不死を得たところで、私の思い残しが亡くなることは無いであろう。

 それが私が寝床で得た結論だった。

 もし不死の薬を得たとしても、私はそれを燃やすであろう。


 だが願わくば……、もう一度かぐやと話がしたかった。

 あの娘の知る知識の源を教えて欲しかった。

 そしてその知識を……話を……出来たのなら……。


 …………


 その翌日、藤原鎌足は薨御こうぎょした。

 齢五十四であった。



***** かぐや、美濃にて *****


『ふじわらのかまたりこうぎょ。

くるしまずやすらかにさいごをむかえられることにかんしゃしていた。

ありがとう、これがそなたへのでんごんだ』


小角様から送られた伝書鳩の脚に括られた電文を見て、私はあふれ出る涙が止まりませんでした。



さて、いよいよ終わりの始まりです。

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