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鎌足の死(中臣鎌足視点)・・・(4)

鎌足の思い残しというよりも、作者の思い残しみたいな内容ですね。

 ***** 中臣鎌足視点 *****


 人は死を目の前にすると何を思うのか?

 やはり死後、自分がどうなるのかという事なのだろうか?


 我が国に伝えられる神話では、死者は黄泉の国とやらへと向かうらしい。

 一日千人が死に、一日千五百人が生まれるのだという。

 太古の昔から続くのであれば、もうそろそろ満杯になっているだろうか?

 その様な退屈な場所へは生きなくない。

 是非とも追い返して貰いたいものだ。


 仏教の教えでは、五道(※)を輪廻し解脱をした者は涅槃へと至るというが、私には縁のない話だ。

(※五道:地獄・餓鬼・畜生・人・天の五つで、後の時代の大乗仏教に”修羅”が加わり六道りくどうとなりました。)


 決して綺麗な身の上とは言えぬ私には、地獄道がお似合いであろう。

 もっとも手に掛けた連中が善良だったとも思えぬ。

 お互い地獄の修羅となり、またせめぎあい、殺しあう事になるだろう。

 何の事は無い。

 例え地獄道ならくへ堕ちようとも、私は同じことを繰り返すのだ。

 我ながら懲りない奴だと思う。


 しかし私には人間界にしがみつきたくなる気持ちもまだある。

 人間界が楽しいからではない。

 この上なく苦しいからだ。


 人とは賢いはずなのだ。

 言葉を交わし、お互いがお互いを知る方法を持っている。

 戦わずして問題を解決する法を持っているはずなのだ。

 例え飢饉で食料が乏しくとも、お互いが融通しあい、困難を乗り切る事が可能なはずなのだ。

 だがしかし、今の世はまるで獣の如き世界だといって良い。


『人は賢すぎて、そして未熟である』

 かぐやの言った言葉が何度も頭の中を駆け巡る。

 未熟な我々には規律こそが必要だ。

 これまでは神への信仰が規律であったが、神は規律を破る者に罰を与えようとはせぬ。

 もしそうであれば、私が真っ先に天罰を受けるはずだ。


 神の天罰が期待できぬのであれば、人の世には人の手で策定した規律が必要なのだ。

 その要となるのは帝であり、律と令によって平穏が約束される、ハズなのだ。

 しかしその実現は余りに難しかった。

 私の生のあるうちに令の完成を見せてくれた天智帝には感謝している。

 もし物部麻呂が居なければ、それこそ叶わなかったであろう。

 しかし同時にどれだけ不完全であるのかも知ることが出来た。

 もし私にあと二十年の余生があれば……。

 私の腐った胃の臓腑の痛みに耐えながらどこまでできたであろう?

 ……おそらくは未完成の令が、少しマシになるだけだ。


 もう私は後任に任せる日が来たのだ。

 今生の私は満足せねばなるまい。

 少なくとも他人の意志で死ぬのではないのだからな。


 ◇◇◇◇◇


 ずっと寝るというのはこれほどまで苦痛だとは思わなかった。

 腐った臓腑はまともに食事をすることを許さぬ。

 身体の裏側は、床と擦れて至る所に穴が開き、血が流れ出ている。

 私としては死の間際は黙って静かに世を去りたいと思っていたが、全身が腐ってボロボロとなり、寝小便を垂れ流しながら、悶絶の表情のまま死ぬのだろう。

 もしこれが神の裁きだとするなら随分と陰湿な天罰だと思う。


 今ではいつ自分が寝ていて、いつ起きているのか、境界はざかいが分からない。

 もはや昼も夜も私にはなく、僅かでも音がすれば、それが傷口に痛みとなり私に伝わる。


 ……誰かが来たようだ。

 私の傍で人の気配がするが何も口を開かぬ様だ。

 この息遣いは……葛城皇子か?


「天智帝、ようこそお越し下さいました。

 体調が優れないため、御持て成し出来ず、ご容赦願いたい」


 自分ではハッキリとした口調で言っているつもりだが、口を開くだけで体中に痛みが走る。

 息も絶え絶えな、死に掛けの爺ぃのような声しか絞り出せなかった。


「何を言うか。横になっておれ。私は派遣した祈祷の者らが確しかと働いておるのか見に来ただけだ。

 其方はじきに良くなる。安心しているが良い」


 やはり葛城皇子だった。

 葛城皇子らしい強がった言葉だ。


「なあ、鎌子よ。聞いてくれぬか?

 返事はせなくても良い。ただ聞いて欲しいのだ。

 私がまだ中大兄であった頃、其方は私を見出し、導いてくれた。

 明日に活路を見出せない私に味方しようなど考える者はいなかった。

 如何せん蘇我は大きかった。

 泥水を飲む覚悟で恭順を示して命乞いするか、それとも命を諦めるのか、その二つしか道は無かった。

 其方は私に生きる道を示してくれたのだ。

 大王おおきみの者として、皇子として、目指すべき道を教えてくれた。

 其方は私にとって、この上の無い師匠であったよ」


 もしあのままであったら葛城皇子は今頃はこの世にいなかっただろう。

 しかし、感謝されるのは困惑する。

 何故なら私もまた葛城皇子を利用しようとした者の一人だからな。


「ふ……」


 思わず、含み笑いが漏れ出た。


「済まなかったな……鎌子よ。

 もう少し私が其方の言に耳を傾けていたら……、其方はもっと楽だったであろう。

 だが分かって欲しい。そうせざるを得なかったのだ。

 今は話せぬ。いずれ解って貰えるだろう。

 其方だけには……解って……」


 初めて聞く葛城皇子の謝罪だ。

 はかりごとの裏に何があるのか。

 実のところ私には分かっていた。

 しかし別のやり方を示せなかった私にもその責はある。


「気になさらないで下さい

 何があるのか、分かっておりました」


 正直に言ったつもりであったが、伝わったのかは分らぬ。


「これまでご苦労だった。ゆっくり休め。

 其方の功績は未来永劫語り継ごう。しかしその名が中臣であっては他の者に乗じられよう。新しい氏を授ける。

 其方に凡庸な冠位は似合わぬ。十九ある冠位の最も上の冠位こそ其方に相応しい。

 しかと受け取って欲しい」


 直情家の葛城皇子らしい言葉だ。

 しかし過ぎた冠位は後の憂いとなる。

 私が中臣を離れれば、幼いふひとは孤立無援となってしまう。

 聞いて貰えるか分からぬが……。


「出来れば私の葬送は遠慮して欲しい。

 この役立たずには、質素な墓で済ませたい」


 どこまで言葉が口から出たかは分からない。

 喉を震わす振動だけで、身体に空いた穴が激しい痛みがぶり返す。


「構わぬ。早速用意しよう。

 遣いの者を寄越す。それまで養生してくれ。

 なっ!」


 やはり……私の申し上げる事を最後まで汲み取って貰えなかったようだな。

 これが今生の分かれなのは残念だが、これもまた私の人生なのであろう

 やるせない気落ちで、葛城皇子の……帝となった天智帝の足音を耳で追った。


 ◇◇◇◇◇


 どれくらい経ったであろう。

 外は雨が降っているようだ。

 雨が降ると、身体に空いた傷口が疼く。

 出来れば身体の向きを変えたいが、もはや寝返りを打つ力すら残っていない。

 いっその事、今すぐにでも果ててしまえば、面倒な冠位も姓も受け取らずに済むのだ。

 何時しか私は死を”解放”と捉えるようになっていた。


 だが、雨にしては妙に騒がしい。

 頭の向きを外へと続く戸の方へ向けると、隙間から激しい光が差し込んでくる。

 雷の様だ。

 だが不思議な事に音がしない。

 雨音の方が騒がしいくらいだ。

 妙な天気だな?


 すると外と部屋を隔てる戸が不意に開け放たれた。


「雷です。危ないからお逃げ下さい」


 番人が大声で叫んでいる。

 無理を言う奴だ。

 動けるのであればいつまでもこんなところに横になっていないだろうに。

 だが次の瞬間、空が光で覆われた。


 そしてそれとほぼ同時に、私の身体から痛みという痛みが全て引いた。

 自分が死んだのだと錯覚するほどの変化だった。

 しかし目に入る風景は薄汚れた人間界の光景そのままだった。

 そして目の奥にに焼き付いた先ほどの光に覆われた夜空が、遠い昔に観た美しい光景と重なったことに遅ればせながら気付いた。


 ……そうか。


 物部宇麻乃からの最期の連絡にあった内容を思い出した。

『帝の装身具を纏ったその亡骸は、まるで静かに眠ったまま燃やされたかのように穏やかでした』


 痛みから解放された今の私ならば、例え全身を火に炙られようと同じように死ねるであろう。

 また一つ、あの娘に救われたことを悟った。



(つづきます)


日本書紀には『天智八年秋(西暦669年)、中臣鎌足(藤原内大臣)の屋敷に落雷があった』と書かれております。

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