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鎌足の死(大海人皇子視点)・・・(2)

 ***** 大海人皇子視点によるお話です *****


 先程、兄・天智帝より使者を命じられた。

 中臣鎌足殿への内大臣への辞令、冠位の授与、そして新しき『藤原』の姓。

 長く病床にある鎌足殿への手向けなのであろう。

 それに物申すの事はしない。


 だが、私の意見としては大織たいしょく冠は異例過ぎると思う。

 本来であれば大織の冠位は、国外の王に授ける冠位というのが暗黙の了解なのだ。

 例えば百済の余豊璋よほうしょう殿が、母上(斉明帝)から織の冠位を授かった。

 それは国外の王に対して最高位の冠を与える事で尊敬の念を示すと同時に、冠位の上に位置する帝の下であることを暗喩あんゆするのだ。

 鎌足殿に大織たいしょく冠を授けてしまうと、今後、国外の王に対して最高位の冠を授けたとしたら、それは家臣と同格であることを示してしまう。

 故に空位に近い冠であり、亡き巨勢徳太が授かった大繍だいしゅう冠が家臣で受けることが出来る最高位の冠なのだ。

 今は国外の王に冠位を授ける関係の国がないので良いだろうが、鎌足殿に大織たいしょく冠を授ける事で、いずれ冠位制度そのものを廃するなり、改変するなりしなければならないだろう。


 ただ……意外だったのは鎌足殿を内大臣としたことだ。

 私も完成したばかりの近江令に一通り目を通している。

 全てを把握した訳ではないが、右大臣と左大臣の上に位置する新たな役職に”太政大臣”があるはずだ。

 しかも空位となっている。

 なれば太政大臣に任命すればいいだろうに、何故右大臣、左大臣より格が落ちる内大臣にしたのか?

 鎌足殿を太政大臣にすることで何か不都合があるのだろうか?

 些細なことかも知れないが、兄上の真意を知る手掛かりになるかも知れない。


『藤原』か……。

 中臣鎌足殿の従弟に当たる中臣金なかとみのこがねが重要な国の祭祀を取り仕切っている。

 彼を始めとして中臣氏とは袂を別つという事になり、『藤原』を名乗るのは鎌足殿の息子、ただ一人だけになるだろう。

 後ろ盾を失った鎌足殿の嫡子にその才が受け継がれていればよいが、でなければ没落もあり得るであろう。

『藤原』の姓を与える目的が、単なる郷愁ノスタルジーなのであればいいのであろうが、もし別の目的があるしたら、切ない気持ちになる。

 兄には生涯を通じて、心許せる親友が居なかったという事になるのだから。


 さて、兄上が近江大津宮に到着するのは早くて明後日だろう。

 急いで勅命を下し、それを持って飛鳥へと戻るのはその翌日、つまり三日後となる。

 少しだけだが暇が出来るから、準備をしておくか。


 私は吉野へと便りを出した。

 兄上に”視られ”ても、あやし気に見えない普通の便りだ。


 ◇◇◇◇◇


 授与当日。

 大勢の官人くにんらが列をなし、まるで小原おおはらの鎌足殿の屋敷を取り囲みに出陣するかのような行列で向かった。

 しかしこれも兄上の意向なのだ。

 授けるのは冠だけだけでなく、様々な報償が送られる。

 それを運ぶだけで一苦労だ。

 雨でぬかるんだ道を、行列は裾を汚さぬ様にそろそろと進んでいった。

 まあ、昨夜の大雨が朝までにあがっていたのは幸いだったと思うしかない。


 もっとも一人だけこのぬかるんだ道を気にしないものが居た。

 私が乗る輿の後ろを歩く男、名を役小角というそうだ。

 便りを受け取った鵜野が寄越してくれた祈祷師という触れ込みでついて来ている。

 それにしても……如何にも怪しい風貌だ。


 小原の屋敷へと到着すると、輿は奥にまで進み、降りた私は鎌足殿の寝所へと通された。

 同行するのは式次第を取り持つ中臣金、そしてその補助役らだ。

 そして私は後方に小角を控えさせた。

 ……やはり怪しい風貌だ。


 寝所に着くと、鎌足殿は静かに横たわっていた。

 むくろと言われても信じたくなる程微動たりともしない。


「安心して下さい」


 後ろから小角の声がした。

 どうやら小角が鎌足殿の意識を読み取ったようだ。


「では始めよう。

 中臣鎌足殿、返事はせずとも好い。

 帝は鎌足殿の快癒を願っておられる。

 この催しが鎌足殿の快癒の邪魔となることを帝も皇弟たる私も望んでは居らぬ。

 蟋蟀(こほろぎ)が鳴いていると思ってくれても構わぬ。

 皆もそのつもりで臨むよう」


「是」


 小角が鎌足殿の心の内を伝えてくれた。

 周りから見れば、小角は私の言葉に対して返事をした風にしか見えぬであろう。


 中臣金が詔を読み上げた。


「それでは始めさせて頂きます。

 先ずは、新しき氏の創生と授与を行いまする」


 授与は全て私が行う。

 格下として扱われるこがねから鎌足殿へ授けさせる事は兄上が許さないであろう。


「本日、内臣、中臣鎌足に天智帝より姓を給わる。

 ここに帝からの勅旨を以て新しき氏を『藤原』とし、今後は『藤原鎌足』の名を名乗ることを許す」


 鎌足殿は微動たりともしない。

 だが表情は思いのほか安らかだ。


「是」


 どうやら、受け入れたようだ。


「それでは天智帝の下命を以て藤原鎌足に申し伝える。

 内大臣の職に命ず。以後、一層励むことを望む」



 ふ……、やはり嫌か。

 私でもそう思う。

 ましては病床にいて職務に励めとは何の冗談かと思ってしまう。


 最期に冠位を与えるが、その準備に補助役の者達が取り掛かった。

 新たな衣、冠、報償の目録などだ。


「それでは冠位の授与を執り行う。

 天智帝の代理として、皇太弟・大海人皇子様により給う」


 金の言葉が厳かに響き渡る。


「天智帝より藤原鎌足の功労に感謝し、これまでの功績を鑑み、大織たいしょくの冠を与える」


 私は自分の言葉とも思える言葉を紡ぎ出し、そっと冠を差し出した。


「……是」


 意外にも鎌足殿は大織冠を受け入れた。

 それが親友たる天智帝への感謝の気持ちなのだろうか?


 私は式次第を取り仕切る中臣金へ視線をやった。


「それではこれにて、辞令および冠位の授与を終わる」


 実に簡素な式だ。

 鎌足殿に……藤原殿に負担を掛けまいとする兄上の希望でもある。

 藤原殿も『私の葬儀は簡素すべし』と言っていたらしい。


「金よ。先に引き返してくれ。

 私は少しだけ残って藤原殿を見ていたい」


「はっ」


 片づけを終えた金は、私の言葉に従って補助役らを連れて寝所を出て行った。

 そして私は静かに横たわる藤原殿を前に腰を下ろした。

 そして静かに語り始めた。


「鎌足殿よ。これまでご苦労だった。

 ゆっくり休まれよ。

 そして礼を言いたい。

 兄上を……ありがとう。

 兄上にとって鎌足殿は特別であった。

 そして羨ましくもあった。

 だから……鎌足殿に人を紹介して頂いた時には嬉しかったよ」


 ふと気が付いたが、鎌足殿の寝床は畳だった。

 それも新しい畳だ。

 もしかしたらかぐやが作った畳が廻り回って届けられたのかも知れない。

 鵜野かも知れない。


「鵜野も礼を言いたいと言っていた。

 其方は我々の中心にいるべき人物だった。

 もし心残りがあるのなら、兄上に託して欲しい。

 我々の子孫に任せて欲しい」


 何故か鎌足殿の表情は非常に安らかだ。

 病人というものは悲壮さを漂わせているはずだ。

 特に鎌足殿は吐血したと聞いている。

 腹の臓が相当に痛みを発しているはずなのに、余程か鎌足殿の精神こころが強いのか、あるいは既に痛みを感じるどころでは無くなったのだろうか?


「百年、二百年、千年経とうと『藤原鎌足』という卓越した臣がいた事を語り継ごう。

 天智帝と其方の功績を称えよう。

 そうだな……国史を編纂したいという物好きが居たな。

 国史編纂が成った時には必ず伝え、未来永劫記録として残そう」


 心なしか、鎌足殿の表情が和らいだ。

 しかしあまり長居するわけにもいくまい。


「それでは邪魔をしてしまった。

 次に来るときには、もっと良くなっている事を期待している」


 そう言い残し、私は小原の屋敷を後にした。


 しかし……。

……さて(3)は誰視点?

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