大友皇子の憂鬱(物部麻呂視点)・・・(1)
麻呂クンがかっこ良すぎる?
***** 物部麻呂視点によるお話 *****
大友皇子様のお目付け役として、剣に学問にと行動を共にするようになってひと月が経った。
最初、皇子様は『礼儀作法くらいしか習っていない。実のある事を学びたかった』と仰っていたけど、少なくともその知識量は優秀といって良い水準であるはずだ。
はず……というのも他の人の水準が分かっていないからだ。
しかしもし令を編纂する時に一緒だった同僚というか子弟達と比べれば雲泥の差だ。
もちろん優秀という意味で。
もしあのまま連中が中臣様の指示もなく近江令を制定していたら、守る者が存在し得ないものになっていただろうと思う。
抜け穴だらけで税収が半減する事だってあり得た。
正直に言えば、完成した令にしてもオレだったら抜け穴を使って税を納めない方法が思い付く。
中臣様はそれを知りつつ、期限を区切って形にしたように思えたのだった。
何故、令の不備がオレに分かるかといえば、それは多分かぐや様に讃岐の徴税方法を教わっていたからだと思う。
皇子様の言う『実のある事』とは、案外とこんなことかも知れない。
あの時は当たり前だと思って気にしなかったけど、連中の作った不出来な草案を見て、如何にかぐや様がやっていた讃岐での租税制度の運用が理に適っているかを知ったのだった。
実のあることを学ぶって、後になってから役に立つと分かるものなんだと思う。
◇◇◇◇◇
カン。カン、カン、カン
「皇子様、気が入っておりませんよ」
最初の頃は剣の稽古で剣筋にも力が入っていたが、段々と気が抜けてきている。
剣を打ち合いながら雑談が出来る程だ。
「そう言うな。其方にやられっぱなしで凹んでいるだけ、だ(カン)」
「仕方がありませんね。
何か枷でも付けますか? (カン)」
「例えばどんな風に、だ?!(カン)」
「剣を扱う手を左腕一本にするとか、木剣を半分に短くするとか、その辺を走って疲れたところですぐ対戦するとか、いずれでも構いませんよ」
「では走って貰おうか」
「承りました」
オレは剣と止め、返事をするとすぐさま、宮の外へ出て塀の外を三周回って帰ってきた。
「はぁはぁはぁ……、では始めましょうか」
「では加減はせぬぞ! 覚悟せよ!」
カーン
「勝負ありですね」
打ち込んでくる皇子様の木剣を簡単に往なして、遠く弾き飛ばしてしまった。
まだ呼吸は回復していないけど、身体は動く。
「麻呂、本当に走って来たのか?
全然動きが鈍っていないではないか」
「如何様はしておりません。
本当に走ってきました。
ただどんなに疲れても、身体が動くよう体を鍛えております。
疲れた時は判断も鈍りますが、そうならない様にと疲れた状態で剣を振るう鍛錬を欠かしておりません。
師に言われたのですよ。
『もし敵が私を疲れさせ実力を出させない戦法を取って敗れたのなら、それは敵が卑怯ではなく持久力の鍛錬を怠った私の怠慢だ』と。
これも鍛錬の成果です」
「麻呂は本当にすごいな。
戦場がどんな風かと言って教えてくれる者など誰も居ない。
それどころか、私相手に手を抜いてわざと負ける様な者も少なくない。
馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたくなる」
「仕方が御座いません。
もし万が一、皇子様の勘気に触れて、帝の怒りを買ってしまうかも知れないと思えば、皇子様相手に本気を出せる者はそうは居りません」
「其方はどうなのだ?」
「全力は出しておりません。
しかし御覧の通り手加減もしておりません。
皇子様が実のある事を学びたいと仰いましたので、私なりにその様にしているつもりです」
「ふ……実のある事とは何とも厳しい事なのだな。
其方の父親はやはり其方に厳しかったのか?」
「いいえ、全く。
むしろ甘すぎると言われました。
それに……父上は私に何も物部の教えをすることをしませんでした。
なので私は物部としては半端者なのです」
「何かあったのか?」
「申し訳ございません。
それを知る前に父上は亡くなりましたので、何も分かりません」
「すると其方は父親の伝手とか何もなく仕官したのか?」
「そうなりますでしょうか?
まさか皇子様のお付きになるとは想像もしておりませんでした」
「ならばその師が其方を育てたのか?」
「いえ……、そうでもありますが、そうでもありません。
多くの方に世話になり、今の私がおります。
父上も物部としての教えはされませんでしたが、私が学ぶ環境を用意してくれました。
競争相手は私なんか足元に及ばぬほど優秀な奴でした。
師の教えは破茶滅茶でしたが、後になって自分のためになっている事を知りました」
「それは羨ましい事だな。
私の事を思い、教えを説いてくれたものがどれだけ居るだろう?」
「だから諦めないで下さいって。
代わって私が教えますから。
そうすれば私が世話になった人の教えを皇子様に伝えられます」
「ははは、そうは言うがな何かと面倒なんだ。
何より将来帝になる者が学ぶべきものは他とは違うと、父上様に言われていてな、教える側もどう教えればいいのか分からないのだ」
「そうゆうものなんですかね?」
言わんとすることは分かるけど、確か次の帝は、皇弟様の大海人皇子様じゃなかったっけ?
迂闊に口に出していいものなのか?
「オ……私には帝が何たるかは知っておりません。
ただ、もし皇子様の身に危機が迫ったら、初めて皇子様にお見せする全力でお守りする覚悟ですよ」
「どこまでも人を食った男だな。
まあよい、頼りにしているぞ」
そう言いながら、皇子様は何処か浮かない表情だった。
◇◇◇◇◇
その日の日程を全て終えて、仮住まいへと戻ろうとしたところ皇子様に呼び止められた。
「麻呂、少しいいか?
話を聞いて欲しいのだ」
どうしたのだろうか?
だが、断ることは無いし、そもそも出来るはずもない。
「はい、何なりと。
オレに出来る事なら何でも言って下さい」
あ、つい。
「いいや、ざっくばらんで構わぬ。
話を聞いてくれるだけでもいい」
「話を聞くって事が一番大切なんですよ。
遠慮なく話をして下さい」
こうしてオレは皇子様の宮へと通され、皇子様と二人っきりで話をすることになった。
つまり誰にも聞かれたくない事なのだろう。
しかしその実、父親である帝はこの場面が視えているかも知れないのだ。
言動には細心の注意を払わなければならないだろう。
「済まぬな。一人で考えるのも疲れているのだ。
どうしていいのか、分からなくなってきた」
「そうなんですか。
して、考え事とは?」
オレは頭の中に中臣様を浮かべた。
自分の中にある中臣様に伺いながら、中臣様なら何と言うか、どう切り返すか、を試行した。
オレの知る限り、人の話を聞く術に最も長けた方だからだ。
「父上が……天智帝は余を何かしらの職に就くように考えている様子なのだ」
「それは当然なのではないでしょうか?」
「しかし父上様の次の帝は、皇弟たる叔父上なのだ。
私が権力を持てば争いの元になるのではないだろうか?
そう思うと、何としてでも辞退したいのだ」
なるほど。
天智帝は、いづれ皇弟と対立するとかぐや様が言っていた。
そして自身の血をひく大友皇子を次の帝の座に据えたいという事なのだろう。
急いで令を制定した裏側にそんな目論見も見え据えていたよな。
「それは如何なものでしょう」
「何故だ?」
「一寸先は闇、という言葉を聞いたことがありますか?
将来の事なんて誰も分からないんですよ。
もしかしたら皇弟様の身に何かがあるかも知れません。
それでなくとも、帝と皇弟様とはさほど歳が離れておりません。
万が一そうなったときに、何も経験を積まなかった皇子様が帝となりましたら、大変なのは皇子様自身ですよ」
「しかし……」
「もし、皇弟様との軋轢を心配するのなら、直接お会いになって話をしてみては如何でしょう?
例えば、今後とも仲良くやっていきたいとか、お手伝いしたいとか伝えてみるのもいいかも知れません」
「そうゆう考え方もあるのか?」
「申し訳ありません、勝手な憶測です。
大王での規律がどのようになっているのかを知らないので。
叔父と甥が話をしてはいけないなんて規則が実はあったなんて言われましても、私には分かりません」
「無責任な奴だな」
「ええ、決意されるのは皇子様です。
私はそれをどんな事であろうと支援するだけですから」
「頼りにしてるぞ」
そう言う皇子様は晴れ晴れとした表情……とはならなかった。
悩みは深そうだ。
(つづきます)




