大友皇子との交流(物部麻呂視点)
いつの間にか麻呂クンは卓越した能力を持つ青年官吏となっております。
***** 物部麻呂視点によるお話 *****
カン、カン、カン、カン……。
木剣を使っての大友皇子と剣の稽古だ。
さすがに皇子様を相手に後れを取ることはない。
心配なのは加減を失敗して怪我をする事だ。
加減というものをしたことがないからだ。
讃岐で剣を習っていた頃は、大人を相手にしていたから加減される側だった。
それに身体中のあざやたんこぶをかぐや様に直してもらったから、思いっきり鍛えて貰うことが出来た。
それにかぐや様は効率の良い体の鍛え方を教えてくれたら、かぐや様のいう”基礎体力”というのが他の誰よりも優れている。
その結果、剣を振る回数が少なくても、簡単に息は切れないし、剣を重いと思うことなく振り続けられる。
かぐや様に初めて言われた時には分かっていなかったけど、今ならハッキリと分かる。
かぐや様の凄いところは、後にならなければ分かるはずもない事を、予め知っている事なんだ。
「はあはあはあ、麻呂は強いな。
簡単にいなされてしまう。
しかもいつまでも疲れないよな。
まるで心の臓が二つあるのではないかと思うほどだ」
「物部は武の家系です。
父上には稽古の相手をして頂きました。
それと心の臓は鍛えたからです」
唐で鍛えた事もあるのだけど、それは秘密だ。
「心の臓を鍛えた?
……どうやって?」
「簡単です。疲れようが、足が動かなくなろうが、ひたすら走って走って限界まで走るのです。
意図して心の臓がばっくんばっくんとさせる鍛錬を毎日やりますと、いつの間にか疲れ難くなるのです」
「そんな事が役に立つのか?」
「もし敵に追われて逃げる時に、敵に捕まるのかどうかというのに、疲れて足が動かなくなって走れない……なんて事になりません。
疲れたら相手に斬られるというのに、疲れて身体が動かず剣も振るえない……なんて事になりません。
役に立たない方が宜しいですが、役に立つはずだったと後悔した時にはすでに手遅れになっております。
私は後悔したくないのですよ」
そうなんだ。もう後悔したくないんだ。
「そのような事を考えて剣の稽古をする者を見た事がないが、麻呂は一体誰に師事したのだ?」
「名も知れぬ、片田舎の剣士です。
初めて教えを受けた時には、それは卑怯だと反発しましたが、今になれば自分の未明を恥じるばかりです」
「世の中は広いな。
私の剣の師は、剣を振るうことしか教えてくれなかった。
其方の師は、どんな事を教えてくれたのだ?」
「そうですね……色々とありました。
皇子様は呂布将軍と関羽将軍はご存じですか?」
「ああ、漢国の有名な豪傑だな」
「ええ、私利私欲のために主君をも手に掛けた呂布と、ずっと義兄弟の契りを交わした主君に仕え続けた関羽将軍。
その話を聞かされた時、私は関羽将軍の様になりたいと言いました。
そうしましたら関羽将軍は学芸にも秀でていた方だったら学問にも励むようにと諭して下さいました。
今となっては剣に生きる者にとって必要な本当の強さとは、剣を振るう膂力ではなく、何事にも動じない精神の強さであることを教えられていたのだと分かりました」
「なるほどな。
麻呂は良い師匠の下で剣を修めたのだな。
きっと長い修練の末に辿り着いた境地なのだろう」
オレはあの時のかぐや様を思い出して、皇子様の思い描くオレの師匠との違いに思わず笑いが出そうになった。
だけど、かぐや様は見掛けよりももっと年上なのではないか? と最近になって思うようになってきた。
オレとかぐや様はそんなに歳は変わらないはずなのに、父上とオレくらいに年が離れていると感じる事がある。
それにかぐや様に最後に会った時、昔のまま綺麗だった。
これからもずっと綺麗なままではないのかって思う。
【天の声】鋭い! しかし迂闊に年齢の事に触れたら髪の毛の保証はないぞ。
◇◇◇◇◇
剣の稽古が終わると、次は書の読み合わせだ。
大友皇子様とオレ、そして耳面刀自様と十市皇女が参加される。
しかしオレは書を読むのは大の苦手なのだ。
書というのは大体が唐の言葉で記されている。
長く唐に居たオレにはそれが何と書かれているのかは分かる。
しかしそれを和国の言葉にして読むのが難しいのだ。
素直に読めばいいのに、読み返しだの何だので、ワザと難しく読んでいるとしか思えない。
「『学而時習之 不亦説乎……』
学びて時に習ふ之を……不亦、説乎?」
「麻呂様、『学びて時に之を習ふ 亦説ばしからずや』ですわよ」
耳面刀自様から早速間違いを指摘された。
「麻呂にも苦手なものはあるのだな。はははは」
大友皇子様はここぞとばかりオレを揶揄う。
「苦手なものばかりですよ。
剣にしたって得意ではありません。
私より腕のたつ者なんて山ほどおります」
「そうなのか?
しかし麻呂は優秀な官人だと聞いているぞ」
「どこをどう伝わったのかは存じませんが、中臣様からは『倍働けば中臣様の代わりになる』と言われているのです。
つまり半人前って事ではないですか。
優秀な奴がこのような言われ方をしませんよ」
「それは自慢して宜しいと思いますよ。麻呂様。
お父様がご自身の代わりになるなんて言うはずが御座いませんから」
「そうなのでしょうか?
いつも叱られてばかりで、全く褒められているとは思えません。
至らない事ばかりで恥じ入るばかりです」
「それならどうやって麻呂様は令を編纂されたのですか?
読めないのなら書けないのではないのでしょうか?」
「あ、ああ。これは『シュエアルシーシーチー、ブーイーユエフー』と読めば簡単だ。
わざわざ和国の言葉に直さなければいいんだ」
すると三人は目を大きく見開いて驚いていた。
「麻呂は唐の言葉が分るのか?」
あ……、拙い。
「ああ、出来るだけたくさんの唐の書を読むために、唐から渡来した方をお招きして習たんだよ。
そっちの方が手っ取り早いと思ってね。
だから、唐の言葉で読む習慣が付いたんだ。
見本となった令も唐の言葉で書かれているしね。
逆に和国で書かれた書を読んだり、唐の書を和国の言葉で読むのは苦手なんだ」
「つまり、書を原文の形で理解できているという事か?」
「まあ、そうなりますでしょうか。
令を編纂するのにも唐の言葉で書くのだから、読むのも書くのも唐の言葉が必要になります。
おかげで作業が早いとお褒めの言葉を頂きました」
「事も無げに言うが、麻呂は凄いな」
「そのような事は御座いません。
耳面刀自様の兄上、真人様は私なんか比較にならない程、優秀でした。
もし真人様が居れば、一人で全て令の編纂をやってしまっていたのかも知れません」
「いくら兄様が優秀でも、流石にそんな事は無いでしょう」
「いや、本当に真人は優秀でした。
好きな人に追いつこうと、一生懸命に学んでおりましたよ」
「そんなに兄様に想われるかぐや様ってそんなに美しい方なの?」
「そうですね……、真人が唐に渡る時に、蓬莱山に咲く宝玉の花を土産に求められてました。
それくらいしないと、想いが届かない程、美しい方なのです」
「かぐや様ってそれほど美しい方だったのですか?」
今まで俺たちの会話を黙って聞いていた十市皇女様が口を開いた。
「ええ、オ……私はそう思っております」
「実は母上様からかぐや様の事を聞いたの。
私が生まれたのはかぐや様のお陰なんですって……」
「そうなの、十市様!? 実は私もなのです」
耳面刀自様もビックリしています。
「そうかも知れませんね。
かぐや様は子供の出産には必ず立ち会っていました。
おかげでかぐや様の国許である讃岐は死産となる赤ん坊が少なくて、この二十年で領民の数が倍以上になったと聞いています」
「そのような方が居たのか……、してその御方は今どこに?」
「それは……」
本当のことを言えない事に少しだけ良心が痛む。
しかしもし話してしまえばかぐや様の命が危うくなるのだ。
「斉明帝がご崩御された際に、かぐや様も殉じたと聞いております」
「そうか……」
「私もお母様(※額田様)からそう聞いております。
斉明帝からのご信任がとても厚い御方だったそうです」
十市皇女様が残念そうにオレの言葉に同調した。
ごめんな。本当の事が言えなくて。
少しやんちゃなお兄ちゃんが、実は英語ペラペラだって分ったらカッコいいですよね?




