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近江令の完成(天智帝視点)

中大兄皇子(天武帝)と鎌足様の本心もだいぶすれ違いが出来てきました。

……というお話です。

 ***** 天智帝視点 *****


 やっと完成した。

 私と鎌子が望んでいた令が完成したのだ。

 名は『近江令』とした。

 新たな近江大津宮に相応しい名だ。


 紙に清書し、二十二巻にも及ぶ膨大な令となった。

 二十三年前、蘇我を廃したのはこれのためだったと言って良いだろう。

 叔父上(孝徳帝)であったら、大和と難波以外にしか及ばぬ地方の制度にしかならなかったであろう。

 百済の地で筑紫の力を削がなければ、連中はこの令に従わなかったであろう。


 この令は各地の有力な氏族、評造こおりのみやっこらを説き伏せ、全ての国に知らしめた令なのだ。

 つまり『近江令』により定められた制度は全ての国、全てのこおりに施工されるのだ。

 逆らう事は許されぬ。

 このために長い準備期間を掛けて全国津々浦々に国府を配備した。

 今後は評造こおりのみやっこらを支配下に置き、連中の特権を剝いでいくつもりだ。

 これまでの税法、租調庸は畿内でのみ施行されていたが、今後は全ての国で差し出させる。

 帝に租税が集中することで、帝の権力は盤石なものになるであろう。


 鎌子が病に倒れた時はもう駄目かとも思った。

 だがそれを補ったのが新たに配下に加わった官人くにんだった。

 名は物部麻呂、あのにっくき宇麻乃の嫡男だ。

 麻呂を初めて目にした時は、父親のように使い潰してやろうとも考えた。

 だが麻呂は優秀だった。

 しかも私に反発せず、従順であった。

 父親の死の真相を知らぬからであろうが、我が力を用いたとしても麻呂が私に反旗を翻す未来が全く見えぬのだ。

 些細な悪口も口にせず、むしろ他の者が私を悪し気に言うものに対して、厳しく注意するほどだ。


 令の編纂に取り掛からせたが、麻呂の知識は卓越していた。

 唐へと渡った留学生と引けを取らぬ、いやそれ以上の知識と見識を有している。

 麻呂の存在が鎌子が不在の穴を埋めたと言ってよいだろう。

 鎌子からも一目置かれ、病に倒れた後も目を掛けられているのは、鎌子と宇麻乃が上司と部下であっただけでは無さそうだ。


 奴ならば私の懐に入れても良い人材かも知れぬな。


 ◇◇◇◇◇


 清書し出来たばかりの令二十二巻を携え、小原おおはらにある鎌子の屋敷へと向かった。

 この令を見て、鎌子にはかつての活力を取り戻して欲しかったのだ。

 鎌子より十若い私の身体も怪しくなっているが、もし鎌子に去られたのなら私はたないだろう。

 養生中の鎌子の力になれば……その一心で、鎌子の見舞いと報告へ行った。


「鎌子よ……加減はどうか?」


「心配お掛けして申し訳ございません。

 もう少しだけ休養させて頂きたく存じます」


「ああ、ゆっくり休むがいい。

 此度は完成した令を持ってきた。

 我らが目指した政の結晶だ。

 やうやくここまで来れたのだ。

 鎌子には是非その喜びを分けたくて近江からきたのだ」


 寝床で上体を起こした鎌子は、傍らに積み上げられた二十二巻をみて、満足そうに微笑んだ。

 そう、それが見たかったのだ。


「ふ……、ようやくですな。

 か……天武帝にはこれを施行し、各地に知らしめなければなりませぬ。

 これから忙しくなりますな」


「ああ、その通りだ。

 鎌子が快癒した暁には鎌子の分も仕事は残しておく。

 楽しみにしておけ」


「何とも病人への見舞いとは思えぬ、励ましに御座います。

 その期待に応えなけれなならないでしょう。

 ですが、今しばらくは休まなければならない様です。

 その間は、そこに居る物部に肩代わりさせて下さい」


 鎌子は私の後ろに控える一人としてその場に居合わせていた。

 鎌子の麻呂に対する信頼の深さを感じさせる。


「麻呂は優秀なのであろうが、鎌子に及ぶとは思えぬがな」


 これは本心だ。

 鎌子に及ぶものなど居りはしないのだ。


「確かに。だが麻呂が倍働けば、私の一人前の仕事をするであろう。

 それくらいには期待をしている」


 褒めているのかどうか分からないが、鎌子がここまで他を信頼しているのは初めて見る気がする。

 やはり高く評価していると見ていいのだろう。


 その様子を見て、私は麻呂を取り立てる事を決めた。



 ***** 中臣鎌足視点 *****


 葛城皇子……今は天智帝だったな、が小原の我が屋敷に来ると前触れがあった。

 要件はその時に話すと言っていたが、大方、完成した令を持ってくるのであろう。

 だが、麻呂を通して逐一報告を受けているから私には分かっている。


 まだ完成には程遠いのだ。

 完成にはあと二十年は必要であろう。

 周知させるだけで数年を要する。

 令の要所となる国司の権威がまだ弱い。

 だがこれが各地の有力者達に飲み込ませられた最大限の譲歩の結果なのだ。

 地方の実権は、未だに国造くにのみやっこだった者らにある。

 税の徴収から納付、開墾、耕地の管理を評造こおりのみやっこが担っており、国司はそれを追認するだけだ。

 派遣される官人くにんの人数も僅かで、管理などできるはずもない。

 私は中央から数百人の官人を送り込み、あるいは現地雇用することでその地を管理させる事を以って完遂としているのだ。

 おそらくは近江令の拘束は弱く、帝の力を支えるには心許なさ過ぎる。


 それに穴も多い。

 支配の礎は、六年に一度行われる領民らの戸籍の調査だ。

 だがその調査そのものが正しく行われるのかすら確認する術がない。

 つまりは底に穴の開いたかめの様に水が漏れ出るような代物なのだ。


 無論、それを徹底させた令を作成すれば気は晴れるであろう。

 地方の国がそれに従うのであればな……。

 つまりは、実効を伴う令の策定にはまだまだ時が必要なのだ。


 それに……。


『私には今の国の在り方はあまりにも未熟に思えます。

 悪しき者には相応の罰を。

 正しき者には相応の報酬を。

 万人がお腹だけではなく、心を満たす生活が出来る世を是としたいと私は願っております』


 昔聞いたかぐやの言葉が頭を過った。

 律(※刑法)はまだ形にすらなっておらぬのだ。

 令は国の礎を支えるための支配者による約束事だ。

 だが律はその支配者すらをも縛る縄に故、易々と受け入れるはずがない。

 悪しき者に罰を与えるのは支配者の特権であり、それを取り上げる事への反感は尋常ではない。

 律を制定するためには、帝の持つ力が更に高まるのか、あるいはそれを受け入れさせるだけの人望を持つか、このいずれかであろう。

 残念な事に天武帝にはそれがない。

 特に後者がな。

 未だにこの国は未熟な国の在り方を脱却できずにいる事に絶望すら感じた。


 ◇◇◇◇◇


「鎌子よ……加減はどうか?」


 天智帝の心配そうな声。

 化粧をし、口元を扇子で隠した顔からは顔色が窺えぬが、天武帝こそ体調が悪そうに見えた。


「心配お掛けして申し訳ございません。

 今少し休養させて頂きたく存じます」


「ああ、ゆっくり休むがいい。

 此度は完成した令を持ってきた。

 我らが目指した政の結晶だ。

 やうやくここまで来れたのだ。

 鎌子には是非その喜びを分けたくて近江からきたのだ」


 やはりこれだったか。

 二十二巻もあるとそれらしく見えるのが不思議だ。

 思わず笑みがこぼれた。


「ふ……、ようやくですな。

 か……天武帝にはこれを施行し、各地に知らしめなければなりませぬ。

 これから忙しくなりますな」


 偽らざる本心であるが、出来ればこの大事業を後人に任せる事も考えて欲しく、そう申し上げた。


「ああ、その通りだ。

 鎌子が快癒した暁には鎌子の分も残しておく。

 楽しみにしておけ」


 きっと天武帝なりの励ましなのだろう。

 以前の私であれば、前向きに答えていた。

 しかし、私はもうそろそろ引き下がろうと考えているのだ。


「何とも病人への見舞いとは思えぬ、励ましに御座います。

 その期待に応えなけれなならないでしょう。

 ですが、もうしばらく休まなければならない様です。

 その間は、そこに居る物部に肩代わりさせて下さい」


 正直言って、後は麻呂に任せたい。

 阿部あべの御主人みうしも居る。


「麻呂は優秀だろう。

 だが鎌子に及ぶとは思えぬがな」


「確かに。だが麻呂が倍働けば、私の一人前の仕事をするであろう。

 それくらいには期待をしている」


 ふと口から出たこの言葉は……昔、父親の宇麻乃にも同じ事を言ったな。

 実に懐かしい思い出になるとは、あの時は全く思わなかったのにな。

 因果なものだと思う。


 積み上げられた二十二巻、それが私の限界だったのか。

 それともここまでたどり着いた自分を褒めるべきなのか?


『問題解決のために計画を立て、それを実行し、その結果を精査します。

 そして精査の結果を次に活かす事が重要に御座います。

 これを繰り返す事により、より良い結果を導くのです。

 私のとって失敗とは、この繰り返しせぬ事を失敗と呼びます』


 ……そうなのだ。これはその第一歩なのだ。

 もしもかぐやがここに居れば、その第一歩を讃えてくれそうな気がしたのだった。


近江令(668年)については現存する資料がなく、日本書記にも明確に記されておりません為、実在が疑問視されています。持統天皇の代になり『飛鳥浄御原令(689年)』が発布されましたが、これも原文が散逸しており実在は不明です。

従って歴史の教科書では大宝律令(701年)が日本最初の律令とされておりますが、作者としては乙巳の変(645年)から、ずっと改革を進めて23年後に近江令、44年後に飛鳥浄御原令、56年後に大宝律令と段階を踏んで、制度化を進めていったのではないかと考えております。

各地に国司を置いて地方を治め、利害関係の対立する中央氏族や地方豪族の反発を抑え込んで、共通の決まり事を制定することはそう簡単な事ではなかったと思います。

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