近江大津京と天智天皇の即位
これまでは主人公が踏み込めない政権内の動きは、鎌足様を主役とした【幕間】で解説していたのですが、鎌足様が不在となってしまったので天智帝の視点で描いてみました。
※天智帝(中大兄皇子)視点によるお話です。
近江大津京の完成を祝し、盛大な儀が執り行われた。
併せて、長らく称制として皇太子の地位にあった私は、いよいよ帝に即位した。
名を天智帝と改めた。
母上の斉明帝が崩御されてから六年経っていた。
その間、叔父上の皇后であった間人が、中皇命として仮の帝位に就き、皇兄たる私の政を補佐してくれた。
だが二年前、四十を前にした中皇命は崩御した。
若くして叔父上孝徳帝の皇后として、母上の斉明帝が重祚した後は大后として、母上が崩御された後は中皇命として、常に大王と共に歩んだ人生だった。
中皇命はこのような歌を残した。
『わが背子は仮廬作らす草無くは 小松が下の草を刈らさね』(万葉集)
(訳:愛しいあの方が一夜の仮宿りを作っていらっしゃる。そこに葺(ふき/草)がないのなら、小さな松の下の草を刈りなさい)
”わが背子”が誰なのか? 今となっては誰も分からない。
実の兄である私と思うものも少なくないが、もちろん違う。
歌だけを残し、中皇命は母上の眠る越智崗へと入ってしまった。
間人が不在の今、もし私が自分以外を帝に即位させようとすれば、二人の名が挙がる。
一人は弟である大海人だ。
しかし弟が帝となれば、私は排除されるかも知れず、自らの立場を危うくする事を考えればこれはあり得ぬ選択だった。
そしてもう一人は倭姫王。
亡き古人大兄皇子の娘であり、倭姫王の祖父・舒明天皇の長子である私の姪であり、そして私の后である。
しかし夫を差し置いて后が帝となる事はあり得ず、私が即位する以外、他に道は無かった。
流石にこれ以上帝位を空位には出来なかった。
それは無二の親友、鎌子が強く望んだことでもあった。
無二の親友と共に蘇我宗家が粛清した乙巳の年(645年)から実に二十一年。
歳若かった私は、いつしか不惑の歳を過ぎていた。
だが……、不惑には程遠かった。
◇◇◇◇◇
「何だこれは!
西国の守りがまるで足らぬではないか!
いくらでも労役はあろう。
言う事を受け入れぬ国司は交代させよ!
とっとと防人を筑紫と対馬へ送らせろっ!」
まただ、この愚鈍共が!
以前であれば内臣の中臣鎌足が取り成し、どうすべきか適切な指示をしていた。
それどころか、このような事態を引き起こす事すら稀だった。
だが中臣鎌足は今、病床にある。
代わりに仕える者らは比較にならぬほど劣っている。
皮肉にもその負担は私へと圧し掛かってきた。
何故、こんな簡単な事も出来ぬのだ!
何故、自らが動こうとせぬのだ!
何故、……私を嫌うのだ。
「おい、そこの!
其方、陰でこそこそ言いたい放題だな。
余に逆らえばどうなるか、いい見本となって貰おうか。
こやつをしょっ引けっ!」
「そ、そんな無体な!
私は何もしておりません。
どうかご再考をっ!」
「安心しろ。
其方と連んでいたものも一緒にしょっぴってやる」
天津甕星様より承った加護の力で、私の事を悪しげに噂話をしている連中の姿が目の裏にハッキリと浮かんだのだ。
そしてその男が目の前に居た。
私は感情の赴くまま、こやつを処断した。
何一つ間違ってはおらぬ。
この国の最高位に位置する帝に対して悪口を言って、無事に済むはずがない。
隠し事をしているつもりだろうが、私にはそれが分ってしまうのだ。
ならば処すだけだ。
幸いなことに三人ほど処断したところで、宮の中で私の噂話をするものは居なくなった。
しかし無くなったのは噂話だけではない。
宮中で話をする者が居なくなり、宮中は筆が滑る音すら聞こえるほどの沈黙に包まれることになった。
だが一向に構わない。
異を唱える者がいない現状は、二十年前には望むべきもない環境なのだ。
以前だったら一つモノを言えば、十反論が来るのだ。
内麻呂も、倉山田も、叔父上も……。
鎌子だけが私の意見を否定せず、どうにかしようと動いてくれたのだ。
全てが私の思うがままに動く現状。
つまり私はなりたかった姿の帝になったのだ。
誰も成り得なかった帝となったのだ。
◇◇◇◇◇
「はあはあはあ……痛っ!」
頭痛が止まらない。
クラクラする。
力が入らない。
今の私は毒を盛られることを考えると薬を飲めない。
未来は視れるが、過去は視れないからだ。
例え自分が毒を盛られる未来があったとしても、それも視れないのだ。
なんて不自由な力なのだと思う。
どうせだったら過去を視たかった。
誰が何をやったのか判れば、私の全権力を動員して潰せばいいのだ。
未来が視れたとしても、自分が視たい時に観たいものを視れない力に何の価値があろう。
何より自分の未来が分からないのであれば、有難味は半減だ。
幸い……というべきか、私には生まれ持った能力があった。
……いや、能力があることに気付いたのだ。
それは目に見えた光景を寸分たがわず覚えられるというものだ。
まるでこれが他人に出来ない力であることを知ったのは、随分と後になってからだった。
この能力が如何なく発揮できたのが、宇麻乃の裏切りだった。
不意に浮かんだその光景を、その場面を切り取って頭の中に全て記憶する事で、奴が潜む場所を特定できたのだ。
後ろの山の形、道標、浜の景色、それらを部下に伝え、徹底して調べさせた。
場所が特定できればこちらのものだ。
追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、この手で奴を処断してやったのだ。
もし戦になれば、この力は有益であろう。
反乱の芽があったとしても小さいうちに摘み取れる。
この私の生まれ持った力のお陰で、この不自由な力も使いこなせているに過ぎないのだ。
今は戦の準備をして居る者は無い。
もし山奥に住む蝦夷が戦の準備をしていれば話は別だが、例えそうだったとしても私を脅かす者が居るはずもない。
私は若き頃から目指していた政を実現すべく、全力で走り出した。
だが、それを支える親友は私の横に居なかった。
◇◇◇◇◇
私が最も恐れる事。
それは私がやった事をやられる事だ。
私が恨まれているという自覚はある。
私のこれまでの人生を振り返れば、今の政が屍の上に成り立っていると言って良い程だ。
私とて道理が分らぬ輩ではない。
だが、私が目指す帝を中心とした律令に則った政の創生のため、皆が一丸となって突き進まなければならぬのだ。
それを狭い了見で反対しようとする者がかくも多き事なのか、嘆かわしくなる。
特に叔父上、孝徳は酷かった。
もし私が天津甕星様より力を賜っていなかったら、頓挫していたかも知れぬ。
鎌子が川原の宮を造り、そこを本拠地として守りを固め、徹底して力を削いでやった。
難波の宮を空っぽにしたくらいでは私の腹の虫は収まらぬ。
宇麻乃に片付けさせ、排除してやった。
将来を見据えた時、私に何かあった時に無関係の者を帝にすることはあってはならない。
そうなれば私の苦労は全て徒労に終わってしまうのだ。
故に孝徳の長子、有間を処した。
母上、斉明帝も私の計画に協力してくれたのならああはならなかったであろう。
母上の死の未来を視た時、心ならずもその死を利用させて貰った。
決して私が手を下したのではない。
手を下したのは、筑紫の者達だ。
その仕返しはキッチリとさせて貰った。
いや……、あと一万くらいは削りたかったが、無事だった比羅夫が兵士らを救ってしまったのが誤算だった。
中々に思う通りにはいかぬ。
糞っ! かぐやめっ!
あの女はよりもよって私に手を挙げたのだ。
この手で殺せなかったことが悔やまれる。
あれ以来、かぐやが私の力に引っ掛かることは無くなった。
つまり、かぐやを目にした者が誰一人としていないという事だ。
大海人も、鵜野も、讃岐の国造も、飛鳥の有力者の誰一人として。
もはや生きてはいまい。
居たとしても、何処かの山奥で野猿の様な暮らししか出来ぬ。
私にとって唯一の障害となる、月詠命から力を承った娘が居なくなったのだ。
今の私は万全なのだ。
だから私の身体よ、あと五十年は持ってくれ!!
私にはやりたい事が山ほどあるのだ!
やらねばならぬ事が抱えきれぬほどあるのだ!
ようやく私はそれが出来るようになったのだ!
……痛っ!
今後、天智帝の出番は増えます。
こうしてみますと全文が後書きの解説みたいな?




