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病床の鎌足

 

 『中臣鎌足様が病気で臥せっている』


 この話を聞いた時、私の心は大きく揺れ動きました。

 中臣様が敵か味方かと問われれば、敵です。

 それも一番敵に回したくない敵です。

 強い意志こころ、卓越した頭脳、他を圧倒するカリスマ性。

 味方であれば、この上なく頼りになるでしょう。

 しかし敵となれば、これっぽちも勝てる気がしません。

 隙がありません。はかりごとをしたなら、完膚無きほどまで打ちのめされるでしょう。

 信念を持つ方です。やると言ったらとことんやるでしょう。

 意志の強い方です。どんなに追い詰めても、一手で逆転されそうなくらい凄い方です。

 そんな方を敵に回し、どうやって勝ち筋を見つければいいのか予想も出来ません。

 常に自分の考えの上をいかれそうです。


 しかし、私個人が中臣様から何か不利益を被った事は一度もありません。

 むしろ恩しかありません。

 今の讃岐が農業に成功しているのも、中臣氏の後押し(バックアップ)があったからこそです。

 大海人皇子様との橋渡しをして下さったのも中臣様です。

 後になって知った事ですが、お爺さんが評造となったのは中臣様が後ろで手を回して、お爺さんを貶めそうとした小役人を処罰していたとか?

(※実は誤解である。第261話『伝言ゲーム(5)』ご参照)


 私への被害と言えば、お小言を言われたくらいです。

 原因は私にあったのだけど……。


 私と中臣様は言わば、

 トムジェリー

 いじめられっ子(のび太)いじめっ子(ジャイアン)

 犯人ルパン刑事ゼニガタ

 ……みたいに普段は敵同士なのに、何かあれば共闘する間柄みたいなところがあります。

 仲良くケンカはしませんが……。


 その中臣様が病に臥せっていると聞いて、何かできないかと考える私はやはり甘ちゃんなのでしょう。


 ◇◇◇◇◇


 ***** 小原(おおはら)の中臣氏屋敷にて(小角視点) *****


「失礼する。書状を預かっている。確認して欲しい」


「しばしお待ち下さい。……承りました。

 確かに鸕野うの様の紹介状に御座います。

 お話は承っております。

 中へ参られませよ」


 中へと通されると、床に臥せっている壮年の男が横たわっていた。

 寝ているのか分からないが、それを確認する意味も兼ねて挨拶をした。


「私は鸕野うのの皇女様より魔を払う事を頼まれた者に御座います。

 名を加茂役君(かもえだち)小角(おずぬ)と申します」


 すると力は入らぬが、明瞭な言葉で返事が返ってきた。


「……ふっ、無駄な事を。

 神仏を信じておれば、今頃は祭祀になっておったわ」


「確かにこの世は偽物が多すぎる。

 だが幾つか偽物があるからと全てを偽物と断じるのは軽率では御座いませぬか?」


「其方は本物であるというのか?」


「残念ながら今はまだ本物ではない。

 いずれ開眼し、本物へと至る者だ」


「ふ……正直者だな。

 ならば半端者がやって来たという事か?」


「然り。もう少々正直に申せば本物の遣いとして来たのだ」


「本物か?」


「そう、吉祥天の遣いだ」


「何かと思えば吉祥天とな。

 ふ……そのような者はおらぬ……か?」


「どうだろうな。

 もし心残りがあるのなら、心に思い浮かべるがいい。

 その心残りを私が拾ってやろう」


「心残りか?

 ふん、心残りしかない。

 其方に拾える様な代物ではない」


「この世を儚む者へ神よりお告げを預かった。

『この先、国々は国となる。

 人の世は人治の世となる。

 だが人の世はうつろい易く、

 驕れる人も久しからず。

 ただ春の夜の夢のごとし。

 ひとへに風の前の塵に同じ也』とな」


 反応があった。

 どうやら私の意図を察した様だ。


「そうか……」


 沈黙の中に修行僧でも辿り着けぬ高みに昇りつめた男らしい風格が漂う。


「有難い言葉を聞いた。感謝する」


 そう言いながら男からは様々な感情が流れてきた。

 男は自らの精神こころ制御コントロールする術に長けているようだ。

 私でもここまでの芸当は出来る自信はないな。


 ……安堵の心。

 ……感謝の心。

 ……慈しみの心。

 ……懺悔の心。

 ……慈愛の心。

 ……これは?!


「最期に有難き経を唱えよう。

 オン・マユラ・キランデイ・ソワカ

 オン・マユラ・キランデイ・ソワカ

 オン・マユラ・キランデイ・ソワカ

 オン・マユラ・キランデイ・ソワカ

 ………如何か?

 孔雀明王の真言は病気、病魔、ありとあらゆる難を摧滅するのだ」


「ふ……やはり其方は修行が足らぬ様だな。

 半端にしか効かぬが、半端には効いた。

 神仏を敬う気持も少しは湧き上がってきそうだ」


「それは重畳。今後の修行のし甲斐もありそうだ。

 あ……、此度の事は神前にも賜らねばらならぬ。

 だが言わぬべき事もありそうだ。

 それについては任されたいが宜しいか?」


かたじけない。任せよう。

 病魔は余り快癒せなんだが、精神こころが幾分軽くなった。

 半端者よ、感謝する」


「では失礼した。

 願わくばもっと別の形で相見えたかった」


 こうして私は小原を後にして吉野へと向かい、鸕野うのの皇女へ形ばかりの報告をした後、山へと向かった。

 そして預かった鳩の足に文を結び、大空へと解き放ったのだった。


 ◇◇◇◇◇


 ***** 美濃、各務原にて(かぐや視点) *****


 小角様より伝書鳩による文が届けられました。

 中臣様にお伝えする事は出来ませんが、せめて中臣様にご本心を伺いたかったのです。

 そこで他人ひとの心が読める小角様に中臣様にお会いして頂けないかと相談を持ち掛けました。

 最初は怪しい私度僧なぞに内臣様がお会いなさるはずがないと難色を示されましたが、共通の知り合いである鸕野うのの皇女様に橋渡しをお願いすることで、魔を祓う口実で小原にある屋敷へと行って頂いたのです。

 もしも中臣様が私やその関係者に対して厳しい態度を取られるようであれば、そのまま引き下がるとして、中臣様にお会いできないのであれば私が存命であることを匂わせ、もし伝えたい事があれば聞いておきたいと思いたちました。

 文を見る限り、私の目論見は上手くいったみたいです。


 もしも中臣様がどんなに悪だくみしようと小角様を騙すことはほぼ不可能ですからね。

 『獅子を狩るには獅子』って訳ですね。

 私はウサギさんなの。


 伝書鳩に括られた文にはこのような事が書き添えられていました。


『鎌足殿は其方の無事を悟り、心より安堵していた。

 そしてこれまでの其方との交流を懐かしみ、感謝しておった。

 再会することは叶わぬとも、此度の訪問を感謝していた。

 そして心ならず其方を追われる身としてしまったことを強く後悔しており、苦境から救えなかったことを悔いていた。

 もし叶うであれば、遺される家族を頼みたいとも思っていた。

 其方の幸せを心から願っていたよ』


 まさか中臣様がこんなにまで私の事を思っていたなんて予想だにしておりませんでした。

 歴史上の偉人ともいえる中臣様に感謝されるなんて……。

 これまでの思い出が一気にあふれ出して、涙が止まりません。


 讃岐で何気ない会話した時。

 中大兄皇子が避難した時の事。

 大海人皇子の舎人となった時の事。

 後宮で采女となった後の事。


 改めて思うのは……

 私がこの世界に来たばかりの時、お会いした中臣様は現代での私よりも実は年下でした。

 ベンチャー企業のやり手社長の様な中臣様を見て、思ったより若い方だと思ったのですよ。

 中臣様に頼まれ事されるのは嬉しかったし、何としてでも応えて差し上げたいと思いました。


 もしかしたら、ほんの少しだけかも知れませんが、私は中臣様に惹かれていた様な気がします。

 与志古様への心遣いを見て、少しだけ羨ましいと思う事がありました。

 本当でしたら今すぐにでも小原へ行って、治癒をして差し上げたい。

 だけどそれが叶わない無力な自分を情けなく思います。

 きっと今生でお会いすることは無いでしょう。


 飛鳥から遠く離れた美濃の地から、私は手を合わせるのでした。


分かり難い、やり取りで申し訳ございません。

考えて考えて考えた結果、このような形なら未来視を回避できそうだと思ったのですが……。

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