定恵上人の訃報
秋田様からもたらされた定恵上人暗殺の報。
その真偽を確かめるべく、秋田様は再び飛鳥へと飛びました。
おまけに御行クンも付けました。
冬の関ヶ原超えは危険なのと、大伴氏の情報網も利用するためです。
……悪い予感はありました。
最初から。
私が知る歴史で、中臣鎌足の息子が藤原不比等、つまり今の中臣史であることはよく知られております。
中学生の時に習うくらい、当たり前の常識と言っていいでしょう。
しかし中臣真人の名は、私の不勉強なのかも知れませんが記憶にありません。
定恵上人の名も言わずもがなです。
つまり、真人クンの名は歴史の表舞台には出ないのです。
史クンが次男であることも後になって知ったくらいです。
真人クンが歴史に埋もれてしまった理由……、以前は遣唐使として生涯を唐で全うしたと思っておりました。
しかし和国に帰ってきた今、他に心当たりがあるとすれば……。
やはり光の玉で気絶させてでも美濃へ連れて来れば良かったのでしょうか?
そんな事をして真人クンは納得してくれたのでしょうか?
嫌われてもいいから力ずくで……。
止めどもない後悔が私の心の中で渦巻いています。
◇◇◇◇◇
いても立っても居られない日々を過ごす事、約一月。
年が明けてしまいました。
待っていた……いえ、ある意味、いつまでも来て欲しくないという気持ちもありましたが、秋田様と御行クンが美濃へと戻ってきました。
私も覚悟を決めて二人の話を聞こうと思います。
「お疲れさまでした。
何があっても取り乱さないつもりですので、お話を聞かせて下さい」
「はい、それでは申し上げます。
定恵上人はやはり亡くなられておりました。
間違い御座いません。
小原で盛大な葬儀が執り行われ、亡骸は多武峰へと運ばれ、埋葬されたとの事です」
自分自身、頑張って、頑張って、気を強く持とうと頑張っています。
しかし目の前がだんだんと真っ暗になってきました。
二人が横へ横へと倒れていくのが見えます。
……いえ、倒れているのは私?
(どさり)
「姫様!!」
「かぐや様!!」
…………
気が付くと、私は寝床で横になっていました。
……あれ?
最初、私は状況が分かりませんでした。
私は何時の間に寝たんだろう?
今は昼? 夕方? 朝?
暫くして私が倒れた時の状況を思い起こしました。
そう、真人クンが!
……真人クンが。
初めて会った時の幼かった真人クン。
頑張り屋さんで、優しくて、私の事を「おねーちゃん」と言って慕ってくれた男の子。
与志古様は真人クンを婿として迎えて欲しいって言ってました。
あの時に返事を曖昧にせず、ハッキリと「イエス」と言っておけばよかったのでしょうか?
だって私も真人クンの事、好きだったから。
私が返事を曖昧にしているうちに、難波へと行って、後宮に入って、真人クンとは幼馴染みたいな間柄になってしまいました。
もし正式に婚約していたら……真人クンは唐へと渡らず、讃岐に居続けてくれたのでしょうか?
いえ、でも、中大兄皇子に目を付けられていたから、唐へと逃れたのであって、讃岐に居て逃れられたとは限らないし……。
唐に行かなかったら真人クンはどうなっていたのでしょう?
国造の入り婿として満足していたのかな?
真人クンは国造なんかでは勿体ないくらい立派になって、和国へと帰って来ました。
和国に居たら決して得られないであろう経験をたくさん積んで。
だけど……生きて欲しかったよ。
頭の中で、どうしてこうなったのか、どうすれば助けられたのか、終わりのない葛藤が堂々巡りをしています。
「姫様……」
気が付くと、傍らに秋田様がいました。
御行クンも……この前の会話が頭の片隅に過ります。
「ご心配おかけして申し訳ございません。
自分でもまさかこんな具合になるとは思いませんでした」
「いえ、姫様と真人殿との間柄ならば、当たり前と思います。
与志古様も心痛のあまり表には全く出られていないと聞き及んでおります」
「ええ、姉弟のように育ちましたから。
この前会った時はあんなにも立派になって……」
私、泣いている?
「かぐや様、お二人の間柄を知らぬ私が言うのも烏滸がましいのですが、定恵様は決して公開なさっておられないと思います」
「御行クン……」
「かぐや様は定恵様に立派になったと言って下さったではありませんか。
そう言って頂くためにこれまで定恵様は異国の地で懸命に修行に励んでこられたのだと思います。
それが報われたのです。
自分の行く道を後押しして下さったではないですか。
私ならば……それだけでこの先の人生をいきてゆけます」
「ありがとう、御行クン。
真人クンは本当に立派だったわ。
ご自分の道を見つけられて、それに邁進する覚悟をお持ちで……立派になり過ぎて私なんか近寄れないかと思うくらい素敵な方になられました。
だけど……やはり生きて欲し……かった」
(ぐずっ、ぐずっ)
真人クンを思い出せば思い出す程、涙が出てきます。
「姫様、私もまさか彼の方がここまであからさまな行動に出るとは思いませんでした。
いくら焦りがあったとはいえ、身内である鎌足様すら敵に回しかねない暴挙なのです」
私もそれが不可解でした。
でも今になって考えれば答えが分かります。
「おそらく未来を視て、中臣様が抗議をしたり、反旗を翻したりしない未来が来ないを確信した上での暴挙なのでしょう。
周りの誰が怪しんだとしても、中臣様さえ敵に回らなければ、他はどうでも宜しいのでしょう。
有間皇子の時も、斉明帝と中臣様以外の人目を憚った様子はなかったみたいですから」
「こうなりますと何でも仕出かしかねませんな」
「最後には大海人皇子へと、その矛先が向かうのです」
「それと、調べていくうちに様々な事が分ってきました。
こんな時ですが話をして宜しいでしょうか?」
「はい、むしろ気が紛れるのなら何でも話して。
ただ頭が回らないから、話を理解できる自信は無いけど」
「ならば。
中大兄皇子は『皇兄』という立場で称制を執り行っておりますが、それが終わりそうです」
「どうしたのですか?」
「ここで申し上げるのは気が引けますが……間人大后様が昨年ご崩御されまして、皇兄ではなくなりました」
「間人が! それは何時ですか?」
忘れかけていた間人皇女時代の若かった間人大后様の姿が目に浮かびます。
よく言えば天真爛漫、悪く言えば……。
ともかく私にとって、間人様はお世話になった恩人であり、その存在は私にとって癒しでもありました。
「実は昨年の四月、真人殿が帰国される前のことです」
「先ほど仰っていた"焦り"ってその事ですか?」
「ええ、中大兄皇子が即位するには支障はありませんが、もしご自分に何かありました場合、真人殿の出生が認められれば、中大兄皇子の子息ではなくなります。
また敵対勢力はそれを支援するでしょう。
何せ敵の多い方ですから」
「そうですね。手下も多いようですけど敵はもっと多いでしょう。
現に私達もその敵対勢力です。
もう即位したのですか?」
「新春の儀で新しい詔を発布しました。
強大な唐、新羅に対抗するため、京を近江へ移すと。
おそらくは新しい宮が完成してから即位するのではないでしょうか?」
やはり来ました。近江京への遷都!
「かぐや様の仰った通りですね」
(※第430話『かぐや、未来について語る・・・(1)』)
「決戦が近づいてきているという事でもあります。
私達も先へと進まなければならないのでしょう。
後悔するのはこれを最後にします。
是が非でも中大兄皇子の野望を止めてみせます」
二人は大きく頷くのでした。
……真人クン、ごめんね。
当初草案では真人とかぐやを一緒にするつもりでした。
少なくとも二人が結ばれるというくらい親密にするつもりでした。
しかしストーリー的にも、歴史的にも、その隙間が見つからず、このような形になってしまいました。
大変申し訳ありません。
ちなみに日本書記によると、『天智四年(西暦665年)九月二十三日、朝散大夫沂州司馬上柱国劉徳高らを遣わした』とだけあり、定恵のその後については触れられておりません。
この約100年後に藤原氏にまつわる言い伝えをまとめた藤氏家伝によりますと、
『百斉の士人、窃かに其の能を妬みて毒す。則ち其の年の十二月廿三日を以て、大原の第に終る』とあり、定恵は帰国して3か月後に毒殺されたとの記録が残っており、これが正史とされております。
しかし、天武天皇7年に帰国し、後に鎌足の遺骸を奈良県の多武峰に改葬したという言い伝えも残っており、真偽のほどは闇の中です。
(ちなみに鎌足の墓は大阪府高槻市にある阿武山古墳だと言われております)




