【幕間】物部麻呂の決意・・・(3)
物部麻呂視点のお話です(最終話)。
「………」
かぐや様の話を聞いて思い出したことがある。
鎌足様から抱えきれない程の仕事を押し付けられているとグダグダ文句を言っていた父上の姿だ。
しかし言葉とは裏腹に、父上の姿は何故か楽しそうだった。
父上は鎌足様の事を大好きだったのだと思う。
ところが忙しい仕事と忙しい仕事との間に、楽しくない仕事が時々あったみたいだった。
仕事が終わった後の機嫌が明らかに違っていたからオレにもよく分かった。
「麻呂クン……」
「薄々は知っていたんだ。
父上が物部である事を教えてくれなかったと言ったけど、父上の仕事が衛部だけじゃないくらいは知っていた。
父上が毒を作って何をしていたかって。
俺が名を偽って唐に渡った時、父上の様子が変だったのがどうしてだったのか。
あの時、父上はしきりにこう言っていたんだ。
『唐に渡って、自分一人で生き抜く力を身に付けて欲しい』って。
今なら分かる。
あの時、既に父上はこの日が来ることを知っていたんだ。
だけど、父上ですら敵わなかった敵から真人を守り抜くってすごく大変なんじゃないか?」
「ええ、分かってくれたみたいね。
だから、麻呂クンにこうして来て貰ったの。
中臣様も真人クンを守りたいと思っている筈だろうけど、確実に中大兄皇子に知られてしまうわ。
つまり真人クンを守れるのは私達だけなの」
「俺達二人だけ?」
「いいえ、ここに居る大伴御行クンも仲間よ。
真人クンが難波宮に来る事も大伴氏の協力があったからできたの。
讃岐でお世話になった秋田様が、二人が帰って来るかもしれないって教えてくれたの。
美濃では真人クンを受け入れる準備が出来ているわ」
「そうなんだ……じゃあ真人を無事保護したらかぐや様と夫婦になるのか?」
「え?」
前々から気になっていたことを聞いてみた。
真人はかぐや様のために唐で頑張ってきたんだ。
真人の母上の与志古様も真人とかぐや様が夫婦になることを望んでいた。
かぐや様もなのか?
「だって、真人はかぐや様に追いつきたい一心で唐へ渡って一生懸命勉強したんだ。
今の真人、いや出家して「定恵」って名前になったけど、定恵を夫にするのか?」
「ど、ど、どうかしら?
真人クンが今の私を見て幻滅するかもしれないし、実は唐で思い人が出来ていたとか?
そ、その前に出家したお坊さんって娶れるの?」
「逃亡したら、もうお坊さんじゃないだろ?
向こうじゃ、かぐや様以外の女人に全然興味を示さなかったみたいだし、ずっとかぐや様の事を思っていたぞ」
「そ、そ、そうね。真人クンを無事に保護出来たら考えてみるよ」
何でかぐや様は慌てているんだ?
まさかそこの男と……?
「もしかして、そこに居る大伴殿と夫婦になったってことは無いよね?!」
「な、な、な、何を言っているの!!」
「かぐや様にその様な不埒な事を考えるはずがなかろう!」
男もかぐや様も慌てているからそうではなさそうだけど、御行という男がかぐや様の事を気になっているのは間違いなさそうだ。
何となく阿部御主人様を思い出した。
かぐや様の事が好きなのに、その気持ちを言い出せない意気地無しなところがそっくりだ。
「話せば長くなるけど、御行クンは私達の仲間。
中大兄皇子の野望を阻止するために、私と行動を共にしているの」
「じゃあ、俺も仲間に入れて貰えるのか?」
「どうでしょう?
私としては宇麻乃様のご遺言を尊重して欲しいと思うけど」
「それは全部終わった後でも良いじゃんか」
「頼もしい仲間が増えることは歓迎だけど、今は真人クンを助ける事だけを考えましょう。
麻呂クンが頼りなの」
「分かった! 任せてくれ!」
こうしてオレはかぐや様と共に真人を守る役目を引き受けた。
◇◇◇◇◇
しかし、難波に着いてからの真人には簡単に近づけなかった。
ある時は唐で出家した定恵上人として歓迎され、ある時は中臣鎌足様の長子として持て成され、その合間に一緒に来た弟子達を相手に談義をしているみたいだった。
それに引き換え、オレは『倉津麻呂』という名の平民同然の留学生。
船の中みたく気安く話しかける事が出来なくなってしまったのだった。
このままでは真人にかぐや様の事を知らせることが出来なくなってしまうと焦り始めた頃、真人の方からオレの居るところにやってきて相談に来た。
かぐや様しか知らない歌が書かれた扇子を受け取ったのだけど、何があったのだと思い悩んていたのだ。
真人にはかぐや様の事、真人が命を狙われている事、かぐや様が心配して難波の隠れ家に潜んで切ることを話し、その夜、真人を連れてかぐや様に会いに行った
だがしかし、真人はかぐや様のところへ逃れる事を断ったのだった。
生真面目な真人は僧・『定恵』としての役目を果たすため、逃げる事を選択しないと言った。
もちろんオレも驚いた。
だけど付き合いの長いオレには何となく分かった。
あいつの向上心はものすごくて、現状から逃れるために、立場を捨てる事を選択しないかも知れないと心の何処かで思っていた。
それにかぐや様は気にしていなかったみたいだけど、『定恵上人』がかぐや様に合流することで、かぐや様が見つかってしまうことを危惧したのかも知れないとも思った。
真人はオレよりも年下だけど、オレはあいつを尊敬している。
いつも一生懸命だし、性格もいい、頭もいい。
あいつに勝るのは体力だけだ。
そんな真人が自分がやるべきことだと、身を危険に晒してでも留学僧としての使命を果たそうとしている。
じゃあ、俺がやるべきことって何なんだ?
父上はオレに新しい氏を興して欲しいと言っていた、とかぐや様は教えてくれた。
渡航前、唐で学んだ知識を活かし、国のために役立てる事を父上は望んでいた。
だけど、オレはこの国の頂点が中大兄皇子のまま、新しい氏を興し、国のために働けるのか?
父上は殺されるほど嫌われたのだ。
もしオレが、何も知らないふりをして物部と石上神宮を継げば、きっと父上と同じ道を辿るだろう。
父を殺した中大兄皇子の言われるがまま、意に副わない事をさせられるかも知れない。
気にいられなかったら父上の二の前になるかも知れない。
じゃあ、中大兄皇子に逆らって何が出来る?
新しい氏を興す事だって無理なんじゃないか?
オレは深く深く惟た。
……頭の片隅に、昔の出来事が浮かんだ。
宙を舞う少女の姿。
いつまでも、いつまでも……まるで蹴鞠のように軽々と、遠くまで跳ね飛ばされている。
かぐや様だ。
オレを庇って猪に体当たりされたんだ。
オレが悪いのに……。
(※第96話『麻呂クンの増長(1)』参照)
しかし吹き飛ばされたかぐや様は立ち上がり、猪と対峙して、そしてこう言った。
『貴方がここに居ても何も出来ません。
はっきり言って邪魔です!
足手まといです。
早く逃げなさい!!』
かぐや様の言葉を思い返すたびに心が苦しくなる。
オレは弱いんだ。
オレは役立たずだ。
オレは……情けない。
自分の浅慮が許せない。
かぐや様を危険な目に合わせてしまった自分が許せない。
何もできなかった自分を許せない。
それ以来、オレは苦手だった書を読み、剣の稽古に一層励んで、頑張った、つもりだった。
しかしオレは本当に変わったのだろうか?
あの時の、幼かったかぐや様に追いついたのか?
少なくとも心の強さはかぐや様には及んでいない。
強くなりたい。
剣の腕だけじゃなく、精神も強くなりたい。
父上は命懸けでかぐや様を守ろうとした。
守れるだけの強さがあった。
かぐや様はオレを含めてたくさんの人を救っている。
神の使いだから、だけじゃない。
自分の危険を顧みずに真人を守ろうとしてくれている。
オレは……。
◇◇◇◇◇
真人が摂津へと向かったその晩、オレはかぐや様が潜伏する小屋へと向かった。
トン、トン、トトン
合図を送ると、大伴御行が戸を開けてくれた。
かぐや様がまだ居る様だ。
「夜分ごめんなさい。
真人が摂津へ向かったのを知らせに来た」
「そうなの……やはり一緒には行けないのね」
ポツリと溢すかぐや様の声は沈んでいた。
「ありがとうございますって言っていたよ。
絶対生き延びるともね。
だから見守ってあげてよ」
「うん、分かっているつもり」
「それでオレは宮に仕える事にした」
「宮に? 官人になるの?」
「ああ、物部麻呂として衛部を志すよ」
「衛部って……宇麻乃様と同じ?」
「そう、父上の遣り残したことをやろうと思う」
「宇麻乃様の遣り残しって……?」
「これからこの国は大変な事になるんだろ?
だからオレは敵の中でかぐや様を手伝うよ」
「そんな! 危険すぎるわ!!」
「危険かもしれないけど、かぐや様と一緒に居れば安全ってわけでもないでしょ?」
「それはそうだけど、バレたら命が危ないわ。
宮に居たら、中大兄皇子の未来視の力から逃れられないのよ。
逃げることも出来なくなるのよ」
「そうだね。父上もそうだった。
だけどオレは中大兄皇子の御業を最初から知っているんだ。
絶対に敵の裏をかいてやる」
「だけど……」
「かぐや様、心配かけてごめん。
だけどこれが成功すれば、真人は命を狙われなくなるし、かぐや様も安全になる。
それに神様からの神託も守れるんだろ?
だからオレは宮の中から出来る事をやってみるよ」
「分かったわ。
だけど真人クンも麻呂クンも死なないで欲しい。
本当は危険な事から逃げて欲しい。
絶対に生き延びてね」
「ああ、約束する。
今のオレには中大兄皇子の力は及ばないけど、宮に仕えて皇子にお目通りしてしまったら、もう会えないと思う。
だから暫くの間お別れだ。
次に会う時は全部解決した後だね」
「そうね」
「かぐや様も無茶するなよ。元気で!」
「ええ、麻呂クンも元気で」
オレは尊敬する父上と同じ道を歩むことを決意した。
オレは強くなる。
今度こそかぐや様を守るんだ。
(幕間おわり)
第十章はこれにて終了です。
次話より第十一章、いよいよクライマックス。
……の前にひと山、ふた山あります。




