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【幕間】定恵の本音・・・(3)

 中臣真人、改め、定恵上人視点のお話です。(最終回)



 麻呂に案内されたかぐや様の潜伏場所は、昼間扇子を受け取った集落でした。

 そしてその一軒の前で麻呂は戸を叩きました。


 トン、トン、トトン


 違和感を覚える叩き方ですが、これが合図なのでしょう。

 若い男がそーっと戸が開けました。

 そして、私達を引き入れると素早く戸を閉めました。

 周りを警戒しているのでしょう。

 かぐや様の取り巻く環境が厳しい事を感じさせられました。

 しかし中は真っ暗で何も見えません。


「麻呂、本当にいらっしゃるのか?」

「かぐや様、真人を連れてまいりました」


 麻呂の報告と私の麻呂への質問の声が重なります。

 すると目の前に小さな光が浮かび上がり、真っ暗な小屋の中がほんのりと照らされます。

 そして私のすぐ前に、昔と変わらぬまま美しいかぐや様の姿が……


「真人クン、おかえりなさい」


 かぐや様は懐かし気に私の名を呼び、挨拶をして下さいました。

 しかし私は驚きと狼狽で声が出ません。

 何とか絞り出したのはかぐや様の名前だけでした。


「かぐや様!!」


「シッ! 静かにね」


 拙い! かぐや様は潜伏中なのです。

 私の不注意でかぐや様を危険にさらすことは許されません。


「ごめんなさい」


「こちらこそ、ごめんね。

 こんな風にこっそりとしか会えない立場になってしまって」


「いえ、そんな事はありません。

 まさかかぐや様がこんな近くにいらっしゃるとは思いもよりませんでした」


 そう言いながら昼間受け取った扇子を広げて、かぐや様の書いた歌を示しました。

 物腰柔らかく話をされるかぐや様は昔のまま優しい姉上の様です。

 そして苦境に居るかぐや様に私が出来る事を尋ねました。

 しかしかぐや様はご自分の事を棚に上げ、私の身を案じて下さいます。


「もしお願いできるとしたら、真人クン……いえ、今は定恵様でしたね。

 定恵様が無事でいてくれることです。

 それを知らせるためにここまでやってきました」


「私はそんなにも危険なのですか?」


「ええ、孝徳帝のご子息である有間皇子は自らが危険だと知っていながら、敵に貶められ、処刑されました。

 斉明帝から聞いた話では、帝も、定恵様のお父様の中臣様も全く関与しない所で謀が進行し、いわれなき罪で断罪され、遠く目の届かない場所で処刑されたと聞いております。

 定恵様の命を狙う者は、やると思い立ちましたら必ず実行します」


 『私の命を狙う者』とは、父上と常にご一緒される中大兄皇子様の事です。

 直接お会いしたことはありませんが、父上の口から名前が挙がることの多い御方です。

 いえ……、どちらかと言うと父上が会わせないようにしていた様な気がします。

 会った事はありませんが有間様の事は存じております。

 実の兄であることも知っておりますが、私にとっては麻呂の方が余程兄弟に近い感覚がします。

 無残な亡くなり方をした有間様と同じことが自分の身に降りかかるというのは……。


「その事は中臣様もご承知かと思います。

 しかし私は中臣様にお目通りするどころか、存在そのものを知らせていけない境遇にあります。

 ですので、中臣様が定恵様をお守りする手段を何か講じておりと思いますが、私には知る術はありません。

 定恵様もですが、私もまた付け狙われている身です。

 なので定恵様にその覚悟がありますのなら、現在私が潜伏している場所にお越しいただきたいと伝えるために来ました」


「つまり、私も逃げよと……?」


「はい」


 …………。


 かぐや様の提案に、私の心の中は激しい嵐の様に荒れ狂っておりました。

 唐に行ってまで欲していたかぐや様との生活が目に前にあるのです。

 今、私が「はい」と頷き、還俗(げんぞく)すれば、私は美濃でかぐや様との生活を送ることが出来るのです。

 さあ、真人よ!

 定恵の名を捨て、僧籍を捨て、「はい」と言うんだ!

 私の中の本心がそう私に叫びます。


 しかし定恵の名を捨てる事とは、唐で十年以上お世話になった神泰様の御心を裏切ることになります。

 多くの犠牲を出しながら唐へと渡ってきながら、和国に帰って何も貢献をしないという事は犠牲になった者達に顔向けが出来ましょうか?

 もう一人の私が、返事をすることを躊躇させます。

 あれ程修行に明け暮れたというのに、善悪不二ぜんあくふにすら取得できていない自分が情けなくなってきました。


 ……駄目だ。

 私では結論を導くことが出来ません。

 考えが纏まらぬまま、私はかぐや様に話を聞いて頂く事にしました。


「かぐや様、私が唐でどのように過ごしてきたのか。

 ……話を聞いて下さいますか?」


「勿論よ」


 かぐや様の包容力に私はついつい甘えてしまうのは、やはり私は修行が足りていないのでしょう。

 立派になって帰ってきたと思っていた十日前の自分が恥ずかしく思えました。


「今から……十二年前になりますか。

 大きな船に乗って唐へと向かいました。

 しかし二艘あった一団のもう一艘は途中ではぐれ、ついに唐へは到着しませんでした。

 後で聞いた話では、薩摩沖で難破し殆どの者達が亡くなったそうです」


「ええ、その事は私も孝徳帝から聞きました。

 唐へと向かう船が沈んだと聞いた時には心の臓が止まるかと思いました」


 !!! 何故かぐや様が実の父からそのような話を?

 何故なのか聞きたくありましたが、今は話の途中です。


「まだ幼かった子供だった私に、師匠である神泰法師様は四大道場の一角である慧日寺へと招き、修行することをお許し下さいました。

 慧日寺は仏門を学ぶ学び舎、あるいは修験場としての性格が強く、神泰様自身もお師匠様である玄奘三蔵様が西の国よりお持ち帰りになられた膨大な経典の翻訳に勤しんでおられました」


「玄奘三蔵!? ……って、天竺へ行った三蔵法師様ですか?」


 かぐや様が玄奘三蔵様の名を聞いて驚いたことに、私は驚きました。


「かぐや様は玄奘三蔵様をご存じなのですか?」


「知っているというより、知らない人が居ないくらいの有名なお方ではないの?」


 いや、和国で玄奘三蔵様をご存じの方は少ないはずです。

 少なくとも唐を出てからここへ至るまでに、玄奘三蔵様の名を知っている方は一人もいませんでした。

 なのに何故かぐや様が?

 ……いや、それがかぐや様なのでしょう。

 やはりかぐや様は私など足元に及ばぬ程の博識な方なのですね。


「恥ずかしながら唐に渡ったばかりの私は玄奘三蔵様のご高名を存じませんでした。

 しかし玄奘三蔵様の功績は過去にも例を見ない程のものであり、孫弟子の一端に籍を置かせて頂く事すら恐れ多い方だと、後になって知りました」


「三蔵法師様にはお会いになったの?」


 ああ、やはり帰ってきて良かったと思います。

 私はこのようにかぐや様に唐の土産話がしたかったのです。

 かぐや様が玄奘三蔵様をこんなにもご尊敬されているとは……、つくづくかぐや様は私など及びもしない天女様なのだと思いました。


「はい、何度かお目に掛りました。

 お言葉を頂いたこともございます。

 とても素晴らしい御方でした」


「それはとても貴重な経験をされたのですね」


「はい、大変でしたが実り多い留学でした。

 私はこの上なく恵まれた環境で世界を学ぶことが出来ました。

 元々は自分自身の知識の浅さ、見識の狭さ、志の低さを何とかした一心で唐へ回りました。

 いえ……、正直に申します。

 このままでは私はかぐや様に何時まで経っても釣り合うことが出来ないと焦っていたのです。

 唐に渡れば、私は変われる。

 唐に渡れば、私は成長する。

 単純にそう思っておりました。

 しかし玄奘三蔵様が天竺よりお持ち帰りになられた経典を見るたびに、知識というものは膨大な労力、果てしない探求の末に得られる宝玉の様なものであると気付かされました。

 きっとかぐや様もその様な苦労の末に知識を得られたのだと思います」


 話をすればするほど、かぐや様に追いついたと思い込んでいた自分が恥ずかしく思えてきました。

 私が唐で十数年、世界の最先端ともいえる長安で、天竺からもたらされたばかりの経典を一生懸命学んできたというのに、かぐや様は更にその先を行かれていたのですから。

 横に居る若い男も頷いています。

 (ところでお前は誰なのだ?)


「私が唐に渡った翌年。

 尊敬する国博士の高向たかむこ様が和国の押使おうしとして唐へ参られました。

 幾度かお話をする機会を得ましたが、お幾つになられても学問を探求する心を忘れぬ御方でした。

 唐で亡くなられるその日まで学びを止めないその姿は、私にとって生涯を賭して追求すべきお姿なのだと心に刻みました。

 高向様だけではありません。

 何名もの留学生が和国へ帰ることなく、唐の地で客死かくししました。

 私は多くの犠牲の上で唐の地で学ぶことを許されていたのです」


 唐で同じ学び舎に居た先輩は道半ばで亡くなる時の事が思い出されます。

 先輩は涙を流し、和国へ帰りたいとうわ言の様に言いながら亡くなりました。

 それなのに私は……


「自分の命が危ないかも知れないという事で、これまで得た知識や経験を伝えずして逃げる事は私には出来ません。

 申し訳ございません。

 かぐや様の元で逃亡生活を送るという事に、私は私を許せそうにありません」


 自分の口から出た言葉が自分でも信じられない気持ちです。

 しかし私の中に居るもう一人の私の本心でもあります。


「……真人クンには逃げて、生きて延びて欲しい。

 ずっと私はそう思っておりました。

 しかし今は学問を修め、修行を経て、上人となられた定恵様なのですね」

 寂しいですが、嬉しくも思います。

 幼かった真人クンが……。

 私は男子おのこがやりたい事を、自分のわがままで止めるような愚かな女子おなごにはなりたくありません。

 自分が人生を掛けて行うべき道、それを見つけたという事は、自分の生きる道を見つけた事に他なりません。

 それを捨てさせるという事がどれだけ残酷な事なのか、私は知っているつもりです」


 お願いです、かぐや様。

 私の為に泣かないで下さい。

 私の決心が揺らぎそうになります。

 そして、私の決意を尊重して下さってありがとうございます。


「だけど一つだけ忘れないで。

 死んでしまったらそれでお終いなのよ。

 生きて、生きて、どんなことがあっても生き延びれば、次があります。

 人生の目標に殉じるのは尊く見えますが、最後まで泥水を啜ってでも生き延びて最後まで立っていた人が人生の勝利者なの。

 だからお願い、生き延びて下さい。

 どうしようもないくらい苦境に追いやられたら……、

 私を頼って下さい。

 私は美濃に居ります。

 私が美濃に居られなくなっていたとしても真人クンが居られる場所を用意します」


 かぐや様。

 やはり私は和国に帰ってきて良かったと思います。

 私が好きになった方がこんなにも素晴らしい方なのだと、改めて知ることが出来ました。

 今からでも先ほどの言葉を取り消したい。

 そう思いながら、私はかぐや様に自分の想いを伝えたい。

 その一心で言葉を絞り出しました。


「かぐや様、かぐや様のご好意を無にしてしまい申し訳ございません。

 そして……ありがとうございます。

 私の事をこんなにも心配してくれて。

 私の人生をこんなにも尊重してくれて。

 私を……僕を一人前の男として認めてくれてありがとう」


「うっうっ……

 真人……定恵様。

 定恵様は幼い時から人に優しく、責任感が強く、賢くて……、私にとって自慢の弟でした。

 でも弟は本日で結願けちがんですね。

 これからは人々を導く僧侶としての道を歩むことを願っております」


 私はかぐや様に認められたのでしょうか?

 その事実だけでも私は救われます。

 かぐや様にそんな風に思って頂けるだけで私は……。


「はい、かぐや様の今のお言葉、しかと心に刻みます。

 ですが私もまだまだ未熟の身。

 今宵お話をしただけでも、全く至らない事を身に染みて感じました。

 讃岐に居た頃、御主人みうし様はかぐや様の事を高い山のようだと申し上げておりましたが、私は今なってようやく気付いた始末です。

 これからも私はかぐや様の面影を心に抱き、少しでも近づけるよう精進する所存です」


 私はこれからもかぐや様を追いかけていきます。

 私はこれからもかぐや様をお慕いいたします。

 私はかぐや様を悲しませないためにも生きます。


 だからお願いです。

 かぐや様こそご無事でいて下さい

 次に相まみえる時は笑顔でお会いしましょう。


 こうして私はかぐや様と袂を別つ事になりました。

 結局、懐に仕舞ったかぐや様への贈り物は渡せずじまいでした。

 唐で摘んだ香しい花、かぐや様のような黄色の花を書に挟み、押し花にして持ってきた約束の品です。

 次に会う事があったなら、その時に渡しましょう。


 しかし……。



(幕間おわり)

(予告)次話も幕間が続きます。

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