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【幕間】定恵の本音・・・(1)

第222話『【幕間】孝徳帝の独白・・・(2)』とオーバーラップしております。

当時の真人クンは十一歳でした。

(詐称しているので対外的には十歳ですが)


 中臣真人、改め、定恵上人視点のお話です。



 私が十一の時、大きな船に乗って唐へと渡りました。

 あの時は私なんかよりずっと大人のかぐや様に少しでも追いつきたい一心でした。

 唐に行かなくとも、かぐや様に求婚することは出来ると思います。

 何故なら私の父上様は内臣・中臣鎌足様なのだから、父親の国造くにのみやっこ殿に申し込めば嫌とは言われないはず。

 しかし、それでは自分自身が許せません。

 それでは自分の目的は果たされはしないのです。

 私が欲しいもの、それはかぐや様の御心なのですから……。


 渡航前……、母上様は私が鎌足様の実の子供でなく、実の父親が孝明帝であると打ち明けられました。

 驚きましが、同時に腑に落ちた感覚があったのは、何処かで知っていたのだからと思います。

 私の中にある一番古い記憶。

 それは満点の夜空に光が満たされた光景。

(※第42話『宴、最終日(4)・・・最後の舞』、43話『宴の後』ご参照)


 あの時、母上様が鎌足様にかしずかれていたのが、年を経るごとに心の中のわだかりとなっておりました。

 それが母上様の言葉でそのわだかまりがスッと腑に落ちたました。

 だからと言って鎌足様に対する尊敬の念は全く変わりません。

 鎌足様の人としての素晴らしさは子供ながらにも感じておりましたし、鎌足様に褒められることが自分にとって至福でしたから。

 しかし同時に、孝徳帝に私は見捨てられたのかと思うと、少しだけ悲しくもありました。


 船に乗って唐へ渡る前に、難波宮で唐の言葉を習っていましたら、

「本日は帝が視察の来られる。くれぐれも失礼のない様に」と、通達がありました。


 帝……孝徳帝……実の父親……、全く実感がわきません。

 しかし、初めて帝に……初めて実の父親に会えると思うと……、不安と期待が入り混じった奇妙な感覚に囚われた。

 一体、どの様なお方なのでしょう?


 暫くすると、大部屋に帝らしい方が大部屋に入られて、方々を見て回っておりました。

 気になって仕方ないのを悟られまいと書に目を落とし、私は一生懸命呼んでいる振りをしました。

 振りなどせず真面目に読めればいいのですが、帝が気になって書の内容が全然頭に入らなかったのでした。

 そこへ不意に後ろから声が掛かりました。


其方そちは中臣殿の長子か?」


 帝の思いも寄らない質問に、私は自分の持てる精一杯の礼儀を振り絞って答えました。


「はい、そうで御座います」


「これから唐へ行くのは怖くないか」


「少し怖いですが、唐でたくさん学べるので楽しみです」


「そうか。しっかりと学びたくさん知識を蓄えて無事帰って来ておくれ」


「はい! 頑張ります」


 ……良かった。

 帝はお年を召していたけど優しそうな眼をした御方でした。

 あんなに優しそうな方が、何の理由もなく息子を捨てるわけがありません。

 私を鎌足様の息子としたのには何か事情があるのに違いありません。

 たった一言二言だけの会話でしたが、無性に嬉しく思いました。


 今にして思えば、自分はしごく単純でした。

 しかしそれで良かったと思います。

 何故なら実の父と言葉を交わした唯一の思い出が良いものであったことは、とても幸いな事なのですから……。


 ◇◇◇◇◇


 難波津を出た船は一路、西へと向かい、筑紫へと着きました。

 そしてこのまま北へ向かうのかと思いましたら、何故か船は南西に舵を切りました。

 麻呂が船員から聞いた話によりますと、長江(揚子江)から唐の長安へ直接向かう航路を取るのだそうです。


 当たり前のことが幸せだと気づくのが、そうでない状況に遭遇した時なのは皮肉な話です。

 破天の中、大きな船はもっともっと大きな海の中で木の葉の様に弄ばれました。

 大きく揺れる船倉で船床があり得ない程傾くさまを見て、私は今日が自分の最期の日であることを覚悟しました。

 幸いにも嵐が去り、一人が海に落ちた以外皆無事でした。

 しかしもう一艘の船とは離れ離れになり、単独で大海原を往くことになりました。

 陸地が見えた時、そこはまるで極楽浄土に思えましたのは今でも忘れえぬ思い出です。

 そして離れ離れになったもう一艘の船が後になって難破したと知り、自分が死の淵に居た事を改めて知りました。


 唐へ着いた私達は長安城に通されて天子様に謁見するのかと思いましたが、それは叶わなかったみたいです。

 天子様に謁見できるほどの冠位の高い方が不在だったのだそうです。

 しかし決して歓迎されていない訳ではなく、むしろ待遇は至れり尽くせりでした。

 各々が自分の希望を書き記して、それに沿った寺院や州長官などに紹介をしてくれたのでした。

 私は『唐で最も進んだ学習をしたい』と希望を出しました。

 今思えば子供の戯言として捨て置かれても不思議はなかったと思います。

 しかし私の希望を知ったとある僧侶様が、私を気に掛けて下さいました。

 私が生涯を通して師と仰ぐであろう神泰様です。

 神泰様は私に適性があるか調べるため、面談をして下さった。


「君が中臣殿か?」


「はい、私は中臣真人と申します」


「まだ幼い子供ではないか。何故唐にまでやって来たいと思ったのだ?」


「私は和国で学べない高度な知識を、ここで学ぶために来ました」


「確かに長安に勝る場所はないだろう。そこまでして学びたい理由を教えて欲しい」


「私は何も知らない子供であることが恥ずかしいです。立派な大人となるために学びたいと思いました」


 今思えば、至極単純な動機だったと思う。

 私は闇雲な知識欲に囚われていたのかも知れない。


「たったそれだけの理由で故郷を離れて遠い長安にまでやって来たことに、私は感心する。

 君は高度な知識と言ったね。

 私の居る慧日道場では、玄奘三蔵様が天竺よりお持ち帰りになった千を超える経典を翻訳している真っ最中なんだ。

 ここよりも進んだ知識は他にないと自負している。

 君は慧日道場で学んでみたいと思うかい?」


「はい! ぜひお願いします。

 一生懸命学びます」


「学ぶだけでは駄目だよ。知識を修めなさい。

 知識とは実践して、初めて役に立つものなのです」


「はい! 分かりました。

 一生懸命修めます」


 当時の私は自分の幸運に気付けぬほど愚かでした。

 後になって、神泰様から初めて会った時の話を振られる度に赤面してしまいます。

 だけど赤面できるようになったことが成長したあかしなのだと、神泰様は教えて下さいます。


 ◇◇◇◇◇


 あれから十二年。

 この様な生活が何時までも続くのだと思っておりました。

 しかしある日突然、修行の日々に終止符が打たれましたた。

 唐の役人より帰国命令が下ったのです。

 悪い事をした覚えはありませんが、最近、唐と和国が剣を交えた噂を耳にしました。

 それが影響しているのかも知れません。

 何故なら私は中臣鎌足の息子、中臣真人なのですから。


 帰国の話は、驚くほど早急に進み、知らせを受けてひと月もしないうちに長安を発つことになりました。

 神泰様には形ばかりの挨拶しか出来ず、世話になった方々にろくに話をする事すら出来ませんでした。

 和国へ持っていく書や経典、そして仏具、仏像を準備するのを神泰様がお手伝いして下さいました。

 思えば、唐に来た最初から唐を去る最後の日まで、神泰様にはお世話になりっぱなしです。

 恐縮していると、神泰様は最後の教えとしてこう仰いました。


「もし私に対して感謝の意を表したいのであれば、それを君の国で表しなさい。

 そうすれば君へ感謝の意を持つものが現れるでしょう。

 その者が他の者に感謝の意を示したとしたら、感謝が伝達するんだ。

 とても面白いと思わないか?

 私の慈悲の心が、遠い異国の地で花開くのだから。

 きっと私は君の世話をした事を、この上なく嬉しく思うでしょう」


 神泰様の話を聞き、本当に自分の唐での留学は恵まれたものであったことを改めて感じました。


 長江を下る船で久しぶりに麻呂と再会しました。

 私より五つ年上の麻呂はすっかり大人になっておりました。

 一方で麻呂は私の丸めた頭にご執心で、見掛けは大人なのに中身は相変わらず子供っぽい奴であることに何故だか安堵しました。


 十二年ぶりの和国。

 私は立派になって和国へと帰ったのでした。

 ……と思っていたのですが。



(つづきます)


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