真人クンの救命計画・・・(6)
「定恵様にその覚悟がありますのなら、現在私が潜伏している場所にお越しいただきたいと伝えるために来ました」
「つまり、私も逃げよと……?」
真人クン、改め頭ピッカリの定恵様に私は逃亡を勧めます。
このままでは、中大兄皇子に命を奪われかねない状況なのです。
しかしそれは同時に、これまでの人生をすべて捨てよと言っているのと同義です。
私の言葉を真人クンはどのように受け止めるのでしょう。
◇◇◇◇◇
長い沈黙が続きます。
だけど自分の一生を決める大事なのです。
決して急かしません。
そして長い長い沈黙の後、真人クン、改め定恵様は口を開きました。
「かぐや様、私が唐でどのように過ごしてきたのか。
……話を聞いて下さいますか?」
「勿論よ」
「ありがとうございます。
今から……十二年前になりますか。
大きな船に乗って唐へと向かいました。
しかし二艘あった一団のもう一艘は途中ではぐれ、ついに唐へは到着しませんでした。
後で聞いた話では、薩摩沖で難破し殆どの者達が亡くなったそうです」
「ええ、その事は私も孝徳帝から聞きました。
唐へと向かう船が沈んだと聞いた時には心の臓が止まるかと思いました」
『孝徳帝』の言葉に定恵様の表情が一蹴強張った気がします。
「まだ幼かった子供だった私に、師匠である神泰法師様は四大道場の一角である慧日寺へと招き、修行することをお許し下さいました」
「慧日寺とはどのようなお寺なのでしょう?」
「慧日寺は仏門を学ぶ学び舎、あるいは修験場としての性格が強く、神泰様自身もお師匠様である玄奘三蔵様が西の国よりお持ち帰りになられた膨大な経典の翻訳に勤しんでおられました」
「玄奘三蔵!? ……って、天竺へ行った三蔵法師様ですか?」
思わず耳にした超有名人の名に思わずビックリしてしまいました。
「かぐや様は玄奘三蔵様をご存じなのですか?」
「知っているというより、知らない人が居ないくらいの有名なお方ではないの?」
「恥ずかしながら唐に渡ったばかりの私は玄奘三蔵様のご高名を存じませんでした。
しかし玄奘三蔵様の功績は過去にも例を見ない程のものであり、孫弟子の一端に籍を置かせて頂く事すら恐れ多い方だと、後になって知りました。
本当にお恥ずかしい限りです」
いえ、私は西遊記のお師匠様としての三蔵法師としか知りません。
もっと恥ずかしいです。
当然ですが、西遊記はフィクションであり実在の人物・団体とは関係ありません。
♪ ガンダ~ラ ガンダ~ラ ぜいせーいほーずゅーにーでいあ ♪
「三蔵法師様にはお会いになったの?」
思わず野次馬根性が出てしまいました。
「はい、何度かお目に掛りました。
お言葉を頂いたこともございます。
とても素晴らしい御方でした」
「それはとても貴重な経験をされたのですね」
「はい、大変でしたが実り多い留学でした」
「ごめんなさい。
まさかこんなところで三蔵法師様のお名前を聞くなんて思いませんでしたので、つい興奮してしまいました」
「いえ、かぐや様が驚いて頂いただけでも私は嬉しく思います。
私はこの上なく恵まれた環境で世界を学ぶことが出来ました。
元々は自分自身の知識の浅さ、見識の狭さ、志の低さを何とかした一心で唐へ回りました。
いえ……、正直に申します。
このままでは私はかぐや様に何時まで経っても釣り合うことが出来ないと焦っていたのです」
ひょっとして愛の告白?
この世界では建クン以来、二度目です。
♪ ドキドキ
【天の声】夢の中だけどな。
「唐に渡れば、私は変われる。
唐に渡れば、私は成長する。
単純にそう思っておりました。
しかし玄奘三蔵様が天竺よりお持ち帰りになられた経典を見るたびに、知識というものは膨大な労力、果てしない探求の末に得られる宝玉の様なものであると気付かされました。
きっとかぐや様もその様な苦労の末に知識を得られたのだと思います」
ごめんなさい、違います。
学校のカリキュラムに従って授業受けていただけです。
テスト直前にならないと勉強しない劣等生でした。
苦労していたのはそんなダメ生徒に勉強を教えなければならない先生方です。
こら、そこ! 御行クン!
頷いているんじゃない!
「私が唐に渡った翌年。
尊敬する国博士の高向様が和国の押使として唐へ参られました。
幾度かお話をする機会を得ましたが、お幾つになられても学問を探求する心を忘れぬ御方でした。
唐で亡くなられるその日まで学びを止めないその姿は、私にとって生涯を賭して追求すべきお姿なのだと心に刻みました」
唐での生活は求道者的な性格の真人クンには合っていたみたいです。
「高向様だけではありません。
何名もの留学生が和国へ帰ることなく、唐の地で客死しました。
私は多くの犠牲の上で唐の地で学ぶことを許されていたのです」
責任感の強い真人クンらしい考え方だと思います。
でも……。
「それなのに自分の命が危ないかも知れないという事で、これまで得た知識や経験を伝えずして逃げる事は私には出来ません。
申し訳ございません。
かぐや様の元で逃亡生活を送るという事に、私は私を許せそうにありません」
やはり、そうですか。
「……真人クンには逃げて、生きて延びて欲しい。
ずっと私はそう思っておりました。
しかし今は学問を修め、修行を経て、上人となられた定恵様なのですね」
寂しいですが、嬉しくも思います。
幼かった真人クンが……」
あれ? 涙が……。
「私は男子がやりたい事を、自分のわがままで止めるような愚かな女子にはなりたくありません。
自分が人生を掛けて行うべき道、それを見つけたという事は、自分の生きる道を見つけた事に他なりません。
それを捨てさせるという事がどれだけ残酷な事なのか、私は知っているつもりです」
涙が止まらなくなってきました。
心の中と口から出る言葉とが全然違っているみたいな感じです。
「だけど一つだけ忘れないで。
死んでしまったらそれでお終いなのよ。
生きて、生きて、どんなことがあっても生き延びれば、次があります。
人生の目標に殉じるのは尊く見えますが、最後まで泥水を啜ってでも生き延びて最後まで立っていた人が人生の勝利者なの。
だからお願い、生き延びて下さい。
どうしようもないくらい苦境に追いやられたら……、
私を頼って下さい。
私は美濃に居ります。
私が美濃に居られなくなっていたとしても真人クンが居られる場所を用意します」
「かぐや様、かぐや様のご好意を無にしてしまい申し訳ございません。
そして……ありがとうございます。
私の事をこんなにも心配してくれて。
私の人生をこんなにも尊重してくれて。
私を……僕を一人前の男として認めてくれてありがとう」
「うっうっ……」
涙が止まりません。
真人クンには絶対に生きて欲しい。
許すまじ、中大兄皇子!!
もし真人クンに何かあったら、生かしておかない。
何もなくても、絶対に建クンの仇を討つけどねっ!
「真人……定恵様。
定恵様は幼い時から人に優しく、責任感が強く、賢くて……、私にとって自慢の弟でした。
でも弟は本日で結願(※)ですね。
これからは人々を導く僧侶としての道を歩むことを願っております」
(※仏教用語で『卒業』みたいな意味)
「はい、かぐや様の今のお言葉、しかと心に刻みます。
ですが私もまだまだ未熟の身。
今宵お話をしただけでも、全く至らない事を身に染みて感じました。
讃岐に居た頃、御主人様はかぐや様の事を高い山のようだと申し上げておりましたが、私は今になってようやく気付いた始末です。
これからも私はかぐや様の面影を心に抱き、少しでも近づけるよう精進する所存です」
何かものすごく過大評価されていない?
真人クンの方が私なんかよりよっぽど立派で、大人で、人格者だよ。
私、真人クンを自慢したいよ。
『定恵はワシが育てた!』って自慢するリトルリーグの監督みたいに。
こうして、私の説得は失敗に終わったのでした。
以前張った玄奘三蔵の伏線を無事回収しました。
ちなみに玄奘三蔵はこの前の年(664年)に亡くなっております。
玄奘三蔵の持ち帰った経典が無ければ、今の日本の仏教は違う形になっていたかも知れません。
その程までに偉大な功績を残された法師様です。




