真人クンの救命計画・・・(2)
伝書鳩の初投入です。
一般的に伝書鳩は200km以内の通信に使われます。
1000kmの移動になると帰還率がかなり落ちますので、筑紫(九州)→美濃の通信には不向きだと判断しました。
真人クンの救命計画がいよいよ実行段階へと進展しました。
計画はこうです。
まず私は難波に潜伏します。
もちろんバレない様に変装します。
到着予定の筑紫には大伴氏から選抜された間諜を配置し、入港する船を見張ります。
そして到着した留学生らを見張り、行先を調べます。
残念ながら現段階では真人クンが帰国する情報が入っておりません。
そして海路を通って畿内に行くのであれば、私が難波で待ち構えます。
私の記憶では真人クンは唐で仏教の勉強をするために渡航したはずです。
となると唐から経典やら仏具やら仏像も持ち帰って来ると思います。
つまり荷物がいっぱいですね。
船賃は唐持ちなので、多少重量オーバーしても超過フィーは支払わなくていいでしょう。
そう考えると船を使って大荷物を運ぶ可能性が高く、おそらくは難波津に到着するはずです。
途中何処へ立ち寄るのか分かりませんが、真人クンが到着するまで待ちます。
♪ わたし 待ーつーわ ♪
もし陸路である場合は、いち早く情報を仕入れて待ち構えるため、筑紫からの道中に馬を待機させております。
一方、難波で待ち構える私ですが……
変装して潜伏するとしたら、身分を偽らなければなりません。
しかし飛鳥時代は超超超ムラ社会ですので、見慣れない者が流れ着いたら周りは一斉に警戒します。
「へっへっへ、”若い”女子が来たんだ。皆で歓迎してやろーじゃねぇか」とか、
「あそこに見慣れない娘が住み着いたけんど、きっと俺たちの食糧を盗みに来たのかも知れねえ。殺っちまえ!」とか。
操だけでなく、命すらも危ないかも知れません。
勿論、撃退できる自信はありますが、難波で悪目立ちしたら敵に見つかってしまうかも知れません。
根無し草が潜伏するとしたら、貧民として物乞いするとか、山の中に籠るとか、出家するとか、いずれにせよ不自由な生活を強いられます。
そこで、大伴氏の信頼できる方のお付きとして後ろ盾を得る事にしました。
そして単独では不便なので旦那役付きです。
消去法的に、必然的に、なおかつ成り行きで御行クンが(仮の)旦那さんになりました。
あくまで(仮)です。
会社でも仮置きと言いながら一年以上置きっぱなしの荷物があったりしますが、何があろうと(仮)です。
用が済んだらとっとと解消します。
だから御行クン、浮かれていないでね。
しかし、夫婦であることを怪しまれないためにも事前の擦り合わせは必須です。
何を聞かれても指名手配犯であることを捕ませないために、徹底して嘘のプロフィールで固めます。
仮の生い立ち、仮の名前、仮の学歴、仮の友人、仮の好物、仮の趣味、仮のメルアド、仮の年齢(十八歳)、仮の……。
もちろん御行クンにも何を聞かれても答えられるようにお互いの(偽の)プロフィールを覚え込ませます。
もし御行クンが奥さんのお乳の形を尋ねられても答えられるよう、今のうちに見せておいた方が良いかな?
一応言っておきますと、事あるごとにクーパー靭帯を再生しておりますので、私のBカップお乳は今だに十代の形をキープしております。
ぽろん♪
◇◇◇◇◇
潜伏する事、十日間。
大きな船が数隻入港しました。
筑紫からの連絡は未だ来ませんですが、タイミング的にはあの船に真人クンが居たとしても不思議はありません。
潜伏している小屋から外へは出ず、遠巻きに監視しました。
船が入港すると、大勢の役人らしき人達がわらわらと集まり、到着した人達を仰々しく迎えております。
人足さん達が船と陸を何度も往復して運び出しております。
様子からして唐からの使者と帰国者の迎え入れと見て間違いなさそうです。
とりあえず今後の動きに注視します。
一行は陪都である難波宮へと移動しました。。
おそらくは宮中で歓迎会か慰労会みたいな儀式なのでしょう。
となると大伴氏の人から情報が入るかも知れません。
暫く待ちましょう。
そして翌々日。
大伴氏の間諜から連絡がありました。
唐から帰国した一行の中に、確かに中臣鎌足様の子息がいるとの事でした。
名前は真人ではなく『定恵』と名を改めているそうです。
……ということは真人クン、出家したんだ。
そうなると生涯独身なのかな?
そうすると、あの中からピッカリ頭を探せば真人クンが見つかるかも知れませんね。
そして『定恵』さんの近くには『倉田麻呂』という者が付き添っているとの事なので、この人が麻呂クンみたいです。
ここで私は新しい試みとして、伝書鳩に挑戦してみました。
美濃から持ってきた鳩三羽の足に、紙を結び付けて放鳩しました。
万が一、他の穂との目に触れてしまった時にバレないために、紙には『なんば 〇』とだけしか書いてありません。
今回は伝書鳩が美濃に戻れるかどうかを調べるのが目的ですので、通信内容はさして重要ではありませんから。
後で聞きましたら、三羽のうち、二羽が無事に帰ってきたとの事でした。
行方不明になった鳩が迷子になったのか、途中猛禽に襲われたのか、どうなったのかは分かりませんが、成功率が100%ではない事が分かった事が収穫ですね。
◇◇◇◇◇
さて、潜伏して難波宮を遠くから見張っておりますと、ぼちぼちと宮を離れる人達が散見されました。
真人クン達を見逃さない様、飛鳥へと向かう街道の陰から見張っておりましたが、それらしい人は見つかりません。
なかなか難波宮を離れないみたいです。
やはり警戒しているのか?
それとも中大兄皇子の手下が足止めさせているのか?
宮の中でまさか大それたことはしないだろうとは思いますが、相手が相手だけに一刻も早く接触を計りたいところです。
一番危険なのは敵の本拠地である飛鳥だと思いますが、宇麻乃様が暗殺の手段としていた毒の可能性もあります。
真人クンが危険であることを知らせるため、じっとその機会を伺いました。
そんなある朝、一人の若者がフラフラと海の方へと歩いて行く姿が見えました。
お坊さんではありませんが、服装が唐風ですので唐から帰国した留学生でしょうか?
目を凝らしてみると、麻呂クンの特徴と重なります。
私が話し掛けるのはリスキーなので、御行クンにお願いしました。
出来るだけ怪しまれず、友好的に。
御行クンがその人の方へ歩いて行き、そーっと話しかけました。
「そこのお方。人違いだったら申し訳ないが、麻呂殿ではありませんか?」
するとその人は驚いたかのように振り向き、警戒しながら返事をしました。
「如何にも。
そうゆう貴方は何方でしょうか?」
振り返ったその人は間違いなく麻呂クン、その人でした。
(つづきます)
記録では664年、665年に唐の使者である郭務悰、劉徳高が相次いで来日したとあります。特に665年の劉徳高らが日本に派遣された際、一行は二百五十人からなる大使節団であり、九月に筑紫に入港したそうです。
この時の船で、鎌足の息子である中臣真人(定恵)が帰国したと記録が残っておりますが、本話では時間経過を曖昧にしております。




