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【幕間】鎌足の絶望・・・(2)

社会科の授業みたいな解説回です。

セリフが殆どありません。

 鎌足様視点のお話が続きます。



 いくら愚痴を言っても何も始まらぬ。

 やる事はただ一つ。

 出来る事を全てやる事だ。

 矛盾しているが、仕方がない。

 これから行う事をいちいち数えてはいられぬのだ。


 何はともあれ敵の侵攻を防ぐ事が最優先だ。

 侵攻を前提とし、筑紫の地に水城みずきと呼ばれる防波堤を築く。

 畿内からも人員を動員するが、百済から逃れてきた遺民を動員しよう。

 受け入れ先の筑紫殿には無理を言うがやむを得まい。

 葛城皇子が無茶をやってお陰で態度を硬化させてしまっているが、真っ先に侵攻を受ける身としては我々の申し出に頷くしかないのだ。

 大掛かりな工事を行うために必要なのは綿密な計画だ。

 そのためにも百済から来た技術者の手を借りるつもりだ。

 土を盛るだけの土塁では駄目だ。

 攻撃を受ける前に崩れ落ちかねぬ。

 少なくとも百年は持ちこたえる構造にせねばならない。


 設計が優れていようが、実際に手を動かす連中が手抜き工事をするのであれば無意味だ。

 そのためにも双方にとって信頼のおける者を筑紫国の国司として派遣する。

 第一候補は、阿倍引田比羅夫殿を考えている。

 此度の百済の役では将として従軍し、多くの兵士の命を救ったと聞いている。

 つまり筑紫国にとっても恩人にあたる人物だ。

 今は越国えちのくにの国司であるが、国司としての経験があるのは大きい。

 そして万が一、筑紫が戦火に見舞われる事があれば、将として立つことも出来よう。


 人足を確保するために新たに令を発布した。

 畿内の兵士は、京の防衛に当たらせる衛士として一年間防衛の強化を図る。

 そして白村江で兵士の損傷が少なかった東国から筑紫・壱岐・対馬などの前線へ防人を送り、三年間従事させる。

 規模は年三千人が限度であろう。

 三年で交代するとなれば常時九千の兵が守備にあたるのだ。

 瞬時に壊滅することは無かろう。

 本来ならこのような民の生活を擦り減らさせる政策は行いたくないが、国が滅んでは元も子もないのだ。


 ◇◇◇◇◇


 翌年、防波堤の工事が始まった頃、唐からの使者が筑紫へとやって来た。

 正しくは百済に常駐する唐の出先機関(※都督府)からの使者が来たのだ。

 先の百済の役で被った被害の補償か、敗戦した我々への賠償と思われたが、そのような話は一切なかった。

 白村江で捕まった捕虜たちの処遇についての話し合いに来たそうだ。

 とりあえず書だけを受け取り、一旦引き取って頂いた。

 一つ驚いたことに、都督には行方の知れぬ扶余豊璋ふよほうしょう殿の兄、扶余隆ふよたかし殿であった(※)。

 百済は滅んだが、人は滅んだのでは無かったのだ。

 この事実一つとっても、我々が百済に兵を送ったことが愚かしい行為だったと思わざるを得ない。

(※正しくは、百済を滅ぼした唐は百済だった地に五つの都督府を設置し、そのうちの一つの熊津都督として扶余隆を任命しました 。新羅も百済と同じく唐の被支配地であり、雞林州都督府を置いていました)


 唐が我が国に強気に出ない理由を探るべく、百済故地(こち)に残る和人らに情報を集めさせた。

 交渉とは戦いだ。

 己を知り、敵を知らなければ必ず負ける。

 落としどころが分らない交渉なぞ、決裂か相手の言いなりになるかのどちらかなのだ。


 調査の結果、意外な事が分かってきた。

 一つは、必ずしも唐は我々を敵として見ないしていないという事だ。

 敵の敵は味方であり、味方の敵は敵だ。

 つまり百済が存在していたのなら、我々は唐の敵だった。

 しかし百済が消滅した今、唐の敵は高句麗であり、そして新羅が唐の味方だとみなされていないという事だ。

 もしも我々が高句麗に肩入れするのであれば、唐にとって看過できない出来事だ。

 また新羅が唐にとって仮想敵国であると考えた場合、和国は味方につけておきたい側であると考えているらしい。

 その証拠の一端として、白村江で捕まった捕虜達が都督府で大切に扱われているとの情報が入った。

 捕虜というよりも交渉の席に就く役人としての待遇だそうだ。

 そう考えると、交渉の落としどころは案外と楽になるのかも知れぬ。


 そして第二陣となる唐からの使節がやって来た。

 使節団の団長は郭務悰かくむそう殿、唐の官吏だ。

 称制とは言え、事実上の帝である葛城皇子への謁見を希望したが、郭務悰殿が唐の皇帝から派遣された使者でないことを理由に断った。

 しかし、郭務悰殿には我が国としての方針をきちんと伝えた。


 原則として百済故地(こち)への干渉、新羅への敵対、高句麗への支援を行わぬ事を条件として、和平を望む事。

 そして先方からは、捕虜の返還、そして唐との大使交換を打診された。

 遣唐使は私も望むところである。

 前向きに検討することと相成った。


 しかし両国は、万を超す死者を出す大戦を交わしたばかりなのだ。

 施政者たる者、交渉が決裂する事を前提として防衛体制を引かなければならない。

 防波堤の工事は着実に行われていき、その年のうちに防波堤が目に見える形となった。

 このままいけば……そう思われた時、またしても難題が持ち上がった。


 『京を近江へと移す。唐の侵攻に備え、防御を強化する』


 葛城皇子が筑紫・朝倉へ移した京を、次は近江にすると言いだしたのだ。

 何度言えば分かるのだ!?

 まずは私に相談してくれ。

 優先順位というものがあるのだ!


 唐の軍勢がここ川原宮にやって来るという事は、筑紫が落ち、難波が落ちたという事なのだ。

 戦いは攻める側の方が遥かに難しい。

 戦地にたどり着くまでの労力は半端ない上に、地の利がないのだから当然だ。

 一方、守る側は待ち構えて、準備を万端にする猶予がある上に兵站も確保されている。

 ただ一点、守りには勝利条件というものが存在しないのだ。


 被害を全く受けず守り切れれば勝ちと言えようが、そんな戦は存在しない。

 少なからず被害を受けるのだ。

 得るものが無く、敵を撃退する代償として被害を受け、それを勝利というならば愚かにもほどがある。

 防衛とは必ず敗北するのだ。

 大切なのは如何に敗北の損害の程度を少なくするか。

 それが重要なのだ。


 故に今は唐の侵攻に備え、重要拠点の増強に注力したい。

 全ての準備が整った後ならば、宮でも何でも好きな場所に建ててくれ。

 その様な本音を慇懃いんぎんな言葉で、くどくどと、延々と、ネチネチと言い続けた結果、大津へ宮を建設する話は一旦保留となった。


 ふー。


 葛城皇子の事だ。

 諦めてはおらぬであろう。


 ◇◇◇◇◇


 唐との交渉が行われ、大使を派遣することが決まった。

 我が国の大使にはもりの大石おおいわを派遣することにした。

 有間皇子の家臣だった男だ。

(※第328話『【幕間】有間皇子の自責・・・(4)』ご参照)


 実直な人柄で、大敗した白村江でも生き延びた知将でもある。

 冠位も高く、人望もある。

 今はまだ唐を味方と考えるのは時期少々だが、危険な場所へ赴くとしても大石おおいわならば成し遂げるであろう。


 こうして我が国最大の危機を避け得たように思えた。

 だがしかし、予想しなかった新たな問題トラブルが起こってしまった。

 これまで唐へと渡った留学生を返還する事になったのだ。


 つまり葛城皇子の目を逃れるために唐へと渡った我が息子、真人の帰国が決まったのだ。



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