白村江の戦いの結末
第十章ももうすぐおしまいです。
早いもので、美濃に来て二年近くが経ちました。
西暦で言えば663年だと思います。
私の年は数えるのを止めましたので分かりません。
思い起こさせる輩が居たら、例外なく頭がピッカリになるという珍事が続発しており、誰も触れなくなりました。
不思議な事もあるものですね。
美濃産の製鉄事業は黄金に物を言わせて、順調に拡大しております。
しかし武器の開発の方は一進一退といったところです。
刀らしい形はすぐに出来ました。
どちらかと言えば、曲刀は片刃の剣を焼き入れする時の失敗作と扱われていたみたいです。
剣技は突きも重要なので『真っ直ぐでない剣は剣に非ず』と思われていて、曲刀を作れと言われることに忌避感を感じる鍛冶部さん(※鍛冶職人)もおります。
やる気のない職人さんに無理して作らせたくないので、やる気のある鍛冶職人さんにお願いしておりますが、そもそも日本刀のは長年職人さん達が培った技術の結晶の様なものです。
一年やそこらで出来るはずがありません。
とりあえず当面の目標は『脱・なまくら包丁』です。
鎧は三か月で形だけは出来ました。
まともに動ける様になるのに更に三か月、鎧として役目を果たせるようになるのに更に半年、つまり一年掛かりました。
これで完成ではありませんが、一日一領、鎧を作り、職人さんの修練と改良、そして実際に使ってのバグ出しに取り組んでおります。
兜は三日に一頭のペースです。
弓の方は、秋田様任せなので今のところ進展があったという話は聞いておりません。
鏃は毎日作っておりますので、矢は豊富にあります。
矢の改良にも取り組みたいけど、作り手が限られているので現状維持です。
残る問題は兵士の訓練ですが、これは兵法オタクの村国様に丸投げです。
兵法の教えを実践できる機会だと張り切っております。
こんなで大丈夫かと不安に思いつつ、日々を過ごしておりました。
そんなある日、知らせが飛び込んできました。
『くだらでわこくがまけた
とうとしらぎのじゅうまんをこすへいのまえにおおくのへいしがしんだ
のこったへいしをふねにのせてはいそうした』
鸕野様からの暗号文です。
恐れていた白村江の敗戦が現実のものとなりました。
◇◇◇◇◇
***** 阿倍比羅夫視点、百済の地にて *****
くっそ!
何て戦なのだ!
儂は戦で死ぬことはもはや怖く無い。
武人として生き、この歳になるまで生き永らえたのなら出来過ぎなのだ。
しかしこの戦で死ぬのだけは嫌だ。
あまりに恥ずかしくて死ぬに死ねぬ。
烏合の衆という言葉を何かの書(※)で見たことがあるが、そのようなものが実在するとは思いもよらなかった。
しかも儂の目の前でだ。
(※『後漢書』耿弇伝が言葉の由来だそうです)
百済という名の亡国の再起を計り、余豊璋王子を即位させることが出来た。
もはや我々の出番はない。
いつまで我々がここに居なければならないのだ?
百済の再興は為った。
あとは自分たちの力で国を維持すればいいのだし、そうせねばならない。
もしも我が国が介入し続けなければ国を維持できないというのであれば、元からすべきではない。
何よりも我々がそうしなければならない理由が思い浮かばぬのだ。
『勝つとはどのような事を申されるのでしょう?』
三年前のかぐや殿の言葉が頭の中で聞こえたような気がした。
(※第374話『中大兄皇子の演説』参照)
あの才女には分かっていたのだろう。
この戦には勝ちというものが存在しないのだ。
百済が再興したらそれで勝ちか?
いや……百済が再興しても、百済の地の大半は新羅の支配下に落ちている。
新羅を追いやれば勝ちなのか?
いや……仮に新羅を追い出せたとしても唐が高句麗と敵対する限り、新羅と同盟を組んだ唐は百済を殲滅しようとするであろう。
百済だけで立ち向かえるとは思えん。
もしこの戦に勝ちというものがあるとしたら、それは我々の手で唐を屈服させることだ。
当然、百済の将達は我々の戦力を当てにしている。
だがしかし、我々に利益の無い戦の何処に出兵する理由があるのか?
しかも我が国の馬鹿どもがそれに乗じて、兵士を無駄に擦り減らすような真似をする。
何故、これまで上手く立ち回っていた鬼室福信殿の策を継承しないのだ?
強大な唐や、百済の地を実質支配している新羅に対して実に有効な遊撃戦を展開している。
とこらが馬鹿どもが正面突破を進言するのだ。
儂はことあるごとに反対するため、後方へと追いやられた。
与えられた役目は兵站の確保だ。
正直言えば、ホッとした。
戦えぬ事よりも、馬鹿どもの立案する馬鹿馬鹿しい作戦に参加しなければならない葛藤に苛まれずに済むのだ。
兵士達は慣れないこの地で一年以上居る。
満足な食事も与えられず、家族と離れ、毎日命の危機に晒されているのだ。
日一日と士気が落ちてきている。
儂が将として出来る事、それは部下を遠く離れたこの地で命を散らせぬ事だ。
それだけが儂がこの地に居続けるただ一つの理由だ。
しかし、そんな儂の気持ちを挫けさせる通達があった。
『逆賊、鬼室福信を処刑す』
あの馬鹿がまた仕出かした!
そもそも幼少の頃から和国で甘やかされて育った余豊璋は王の器ではない。
側近の言う事しか聞かぬ操り人形のような輩だ。
百済に対して愛着があるとも思えず、担ぎ上げられ有頂天になった若造にしか儂には見えぬ。
ここにきて進退窮まった事を儂ははっきりと自覚した。
そしてかぐや殿に言葉を忠実に守ることを心に決めた。
『もし出来ますのなら、白村江に近寄らないで下さい』
こちらの言葉が違うため最初は分からなかったが、白い村の江と書いて白村江と読むらしい。
正直、まさか本当にあるとは思っていなかった。
恐るべきはかぐや殿の持つ叡智なのだろう。
そして七月。
儂の懸念は現実のものとなった。
唐と新羅の船舶が投錨する白村江の河口を全軍あげて襲撃すると通達があったのだ。
その通達を目にした時、目の前が真っ暗になった。
無論、反対する旨の書状を出したが相手にされない。
ご立派なのは髭だけで中身は臆病者かと揶揄される始末だ。
考えなしを勇敢とは言わぬわ!!
しかもその侵攻は、天候や指揮系統の混乱で遅れに遅れ、実際に到着したのは半月後だったらしい。
陸と水上から挟撃すると息巻いていたが、足並みの合わぬ雑兵ばかりの烏合の衆で何が出来るのか?
それを尋ねた伝令からの返答がこれだった。
『船千隻からなる我が大軍を見れば、戦わずとも敵は逃げ出すだろう』
兵法も何も知らぬ馬鹿だけしか思いつかぬ策だった。
そしてそれが前線からの最後の便りとなった。
◇◇◇◇◇
最期まで白村江には近づくことなく、儂は後方で控えていた。
臆病者と言いたければ言え!
無謀な戦いで部下を死なせる愚将にはなりたくない。
そんな恥ずかしい死に方で儂の武人としての生涯を終えるなんて真っ平ごめんなのだ。
戦いがあったであろうその日より、敗残の兵が我が船団に辿り着くようになった。
燃え盛る船から血の赤色に染まった白村江に落ち、命からがら逃げ延びた者。
陸での戦いで強力な武器を有する唐の軍勢になすすべなく敗れた者。
船員の半分以上を敵の矢に射抜かれながら、回頭し逃げ遂せた矢だらけの船。
見るも無残な敗軍の姿であった。
儂は逃げ延びた兵と百済を逃げる事を決意した亡国の民を拾い上げながら、南進し十日後、筑紫へと到着した。
将で生き延びたのは儂以外誰が居るのか?
朴市秦田来津殿、安曇比羅夫殿、上毛野君稚子殿、巨勢神前訳語殿、……皆死んだ。
儂も敵前逃亡の誹りを受け処刑されるかもしれない。
それでもいい。
兵士達が一人でも多く生き延びたと思えば、儂一人の命で償えると思えば、それで十分だ。
なにより当の余豊璋は敵を目の前にして高句麗へと逃亡したのだそうだ。
そのような愚か者のために死ぬ必要など欠片もない。
かぐや殿よ……忠告、深く感謝する。




