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【幕間】鎌足の推察

このお話は異世界物(フィクション)であり、実在の人物、団体とは全然全く微塵も関係御座いません事をお断りします。

 ***** 中臣鎌足の場合 *****


 私は書をこよなく好んでいる。

 書はいい。書を読む前の自分と読む後の自分が明らかに違うのだ。

 私の一番のお気に入りの書は史記きんぐだむという唐の国が起こる前にあった大陸での歴史を記した書だ。壮大な書であるため、全てを集めることは叶わなかったが、それでも膨大な量の書である。書の内容は過去にあった事実の羅列だけでは無い。その場に居たかの様な臨場感で書かれたこの書には、政、思想、戦、施政者としての心構え、人の愚かさ、……全てが詰まっていると言って良い。

 十万を超える兵、海の様な川、一万里を超える城、大和や摂津に籠っていたならば決して知ることの出来ない世界が書の中にあるのだ。もし私がこの書に出会っていなかったならば、今の私は詰まらぬ男になっていたであろう。 それくらいにこの書が私に与えた影響は計り知れぬほど大きいのだ。


 そして史記を読みながら思うことがもう一つある。歴史というモノは国を形造るためには必要不可欠なモノである、と思うのだ。積み重ねてきた歴史が高ければ高い程、培ってきた文化が深ければ深い程、その国の持つ背景バックボーンは分厚いものとなり、新しき事を始める起点にもなる。我が国にはこの様な国史を記したものが存在せぬため、まるで海に浮かぶ海月クラゲの様に頼りなく思えるのだ。

 何故帝が国を治める中心にいるのか?

 何故我々臣下が帝に使えるのに相応しいのか?

 その則を超えることの罪深さが如何に深いことであるのか?

 我々は何処からやってきた民であるのか?

 そして今の世に至るまでの経緯は?


 その問いに対して明確な答えを誰も持っていないであろう。もし今企てている計画が成った暁には、是非とも国史の編纂に取り組みたい。皇子にもそう言ってある。

 もちろん担当は私だ。


 ふと手元に目を向けると讃岐で手に入れた扇子という名の扇がある。

 この扇子、なかなか道具として便利な物だ。折り畳めば嵩張らず、広げれば心地よい風を送る扇となる。しかしそれよりも気になるのは、この扇子に書かれた詩だ。

 造麻呂みやっこまろの娘、かぐやが書いた詩だ。読み人は知らぬと言ってたが、そんな些事はどうでも良い。その内容に心を掴まれ離れぬのだ。

 この短い詩に詰まっていることわりは一冊の書を読んでも得られるものではない。その様な詩を私が知らず、僅か8つの娘が知っている事が不思議でならない。かぐやがみやこに居たのならまだ分かる。しかしあの様な辺鄙な場所でどうやって知る事が出来たのか?

 忌部の者が書を貸し与えているとの事だったが、忌部いんべの首子麻呂おひとこまろ殿はこの詩を知らぬ様であった。


 書かれている理もそうだが、この中にある一文に気になる箇所がある。

『秦の趙高ちょうこう、漢の王莽おうもうりょう朱忌しゅい』(注1)と。


 史記にのその名が記される趙高の名がこの扇子にも記されているのだ。私の記憶が正しければ、趙高とは帝の崩御を隠匿し、はかりごとをすることで、本来の帝位継承者・扶蘇ふそを亡き者とし、政敵を次々と粛清していった宦官だ。自らも身に受けた怨により誅殺され、程なくして広大な領土を支配した秦国は滅んだ、という逆賊の徒と言っていい。


 もしこの国に趙高に当てはまるとしたら彼奴しか居らぬ。

 入鹿だ。

 自らの権勢を得るため山背大兄王やましろのおおえのおうを亡き者とし、政敵を次々と追いやり、帝に代わってこの国を支配しようとする逆賊の徒だ。私は彼奴によって命を危ぶまれている葛城かつらぎの皇子(注2)に接近し、入鹿を打つ算段を正に今進めている所なのだ。かの賢人、南淵殿の私塾へ通う傍ら、皇子と会合を重ね、入鹿を撃つ算段を整えている。

 入鹿とて愚かではない。自らも命を狙われていることくらいは分かっているゆえ、滅多に表には出て来ぬ。


 史記で得た知識の中で私が心惹かれる事が、諜報と計略、そして規律だ。多くの軍勢でもって相手を押しつぶすだけが戦ではない。特に史記の中にある孫子という兵法家の言動は特に含蓄が深く、何度読み返してもその度に目が覚める思いがする。

 中臣は忌部と並び、祭事をもって国に奉じる事を生業としているうじだ。つまり各地にあるやしろに諜報を行う者を配置すれば、些細な事象も見逃す事なく相手を追い詰める事が可能になる。

 正に孫子の有名なあの一節(注3)の通りだ。

 知彼知己者 百戦不殆

 不知彼而知己 一勝一負

 不知彼不知己 毎戦必殆

(訳:敵を知り己を知る者はどの様な戦いにおいても危機的な状況には陥らない。

 敵を知らず己を知る者は勝ったり負けたり。

 敵も己も知らぬ者は必ずピンチを背負う)


 その甲斐あって、蘇我の一角を味方に引き入れることに成功した。後は如何にして入鹿を謀に掛けるか、だな。


 それにしても、今思えばかぐやは私の考えている事を全て分かっている様な口ぶりだった様に思う。あの様な幼子が『計画』を知る手段を全く持ち合わせておらぬにも関わらず、だ。

 養父ちちを名乗る造麻呂みやっこまろは凡庸な男だった。忌部が蘇我と連んでいない事は諜報から聞いておる。

 まさか吉祥天の神通力を以って見通している訳でもあるまい。しかし今の所それ以外に説明する手段がない。吉祥天ならば吉祥天で構わない。とっとと入鹿を得意の呪術とやらで葬って貰いたいくらいだ。

 それでもやはり、かぐやは吉祥天などではないと私は思っている。

 舞終えた後、気を失ったかぐやを抱えた時にかぐやの軽さに驚きを覚えた。

 ただの幼子なのだと。

 人前で気を失う吉祥天なぞ居まい。

 あんなに軽々と人の手で抱えられる吉祥天なぞ居るはずがない。


 只の知恵の回る幼女、と本人は言ってたが、空を覆い尽くす眩い光、あれがかぐやと無関係で無いことは確かだ。するとかぐやは、神に近しい何者かと繋がりがあるという事なのだろう。周りの者の様子を見ると、かぐやは自分が何者であるのか秘匿している様子だった。

 あの幼き身なりで一人秘密を抱えていると考えると、気の毒な娘にも思えてくる。


 何故だろうか?

 私はかぐやという幼子が気になってばかりだ。

 もし妙齢の女であれば、私は一も二もなく造麻呂に求婚の意を伝えていたであろう。将来、私に息子が出来たのなら、何がなんでも求婚させたい。


 かぐやの言っていた言葉が頭を過ぎる。


『私は書を嗜む生活を将来の夢だと思っているつまらなき者です』


 奇しくもそれは私の望みと全く同じなのだ。



(幕間おわり)


 解説

 注1. 平家物語の一文。本来ならこの後に『唐の安禄山』が続きます。

 安禄山は755年に反乱を起こし3600万もの人命を奪ったとされます。

 飛鳥時代からすれば未来の人間なので外しました。


 注2. 中大兄皇子なかのおおえのおうじの事。

 葛城はいみな、つまり本名。親しい人しかこの名で呼ばない(と思う)。

 中大兄皇子とは、中=2番目、大兄=皇位継承権を持つ者の意。


 注3. 孫子の兵法書の有名な一文。

 飛鳥時代に史記が輸入されていた痕跡は見当たりますが、孫子の兵法書については不明です。


いつもありがとうございます。

明日より新しい章に入ります。

特に何かが変わるわけではありませんが、ほんの少し時代が動きます。


明日より投稿時間は何時ものように18時過ぎになります。

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